密室アクアリウム

(4)

 ホテルは二人部屋である。大河は、同室者が犬飼だという事をすっかり忘れていた。だから、部屋番号だけ聞いた大河が先に部屋の鍵を開けた後、遅れて着いた犬飼を理由もなしに睨んでしまった。

 しかし犬飼は他のクラスメイトとは何処か異なる雰囲気を持った生徒であり、何事にも動じない性格は、大河の前でも同じだった。

(こいつに感情ってもんはねえのか)

 普段から仏頂面しか晒していない大河がそう思うくらい、犬飼は何かが欠落しているような男だった。
 本当に今時の男子高校生かと疑うくらい落ち着き払っている。いつも何を考えているのか分からない。
 表情も感情もない。しかし心がない非道な奴という訳でもなく、ただ淡々としすぎていて、ミステリアスなのだ。

「先に風呂借りる」
「ああ」

 そして何故か、普通に言葉を交わしている。
 おかしな話だが、大河は同年代と会話をした事が殆どない。強面で近づきがたい雰囲気は人を遠ざけ、接近して蓋を開けてみると案の定おっかない不良。まず相手が怖がって話にならない。群れを成すのも嫌いだから、不良仲間もいない。

 中学時代から荒れた生活を送っていた大河にとって、他人とのコミュニケーションはなくても困らないものだった。しかしいざ他人と接触してみれば、奇妙なものである。
 相手が犬飼孝弘だからだろうか。

 豪華なリゾートホテル。弱い蛍光灯の光は部屋を薄暗くしている。
 犬飼は準備をするとあっという間にバスルームに消えて行った。

 自分が修学旅行。改めて考えてみると、最高に似合わない。

 開け放たれたままのカーテンを閉めようと、窓際に近づく。染み一つないカーテンは淡い黄色で、窓枠や桟にも埃、汚れ一つない。部屋は広い。ベッドも広い。このような機会がなければリゾートホテルでの宿泊は一生経験する事はなかっただろう。

 カーテンを閉めて暗闇の外界を閉ざそうとすると、窓の外に白いものが映った。最後まで引ききろうとした薄い布を掴む手を途中で止め、大河は信じられない思いで外を見下ろす。


 ウサギが立っていた。


「……!!」

 声も上げず、大河は乱暴にカーテンを閉めた。


(……有り得ねえ。見間違いに決まってる)

 動悸が激しい。心臓が、どくどくと音を立てて脈打っている。
 こんな場所に、ホテルに、ウサギがいる筈がない。あのテーマパークの従業員なのだから。

 一度深く深呼吸をして、大河はそろそろとカーテンを開ける。そして、窓の真下を見下ろした。



 ウサギはいなかった。ただ、全てを飲み込む闇が存在していただけだった。

「だよな……」

 きっと見間違いか、幻覚だったのだ。木か何かが、あの大きな白い着ぐるみに見えただけだろう。
 一日に二度も、あの特徴的な生物を見て絡まれたせいだ。余程、記憶にへばりついているらしい。

 大河はカーテンを再び閉めた。どうかしている。退屈な一日を過ごして、疲れているのだ。

「どうした」

 低い声と、次いでドアを閉める音。風呂から上がった犬飼が、相変わらずの無表情で大河を見ていた。

「あ? 何が」

 随分と風呂から上がるのが早い。それともいつの間にか結構な時間が経過していたのだろうか。
 大河は振り返って、いつもの癖で犬飼を睨んだ。
 犬飼は沈黙を守っている。焦れったい。

「おい……」
「何か変だ」
「……何が言いてえんだ、テメェは。俺が窓の外見てたら駄目なのかよ」
「苛々するな」

 会話が噛み合っていない、ような気がする。何故、続けようとしない。
 犬飼の顔には言葉通りの怪訝が載せられている訳でもなく、やはり固定された無表情なものだから、余計、本心からそう思って発言しているのか怪しい。

 ますます苛立ちは募る。確かに彼と言葉を交わしているのは自分なのに、何だか相手にされていないように感じる。彼は“仲宗根大河”と会話しているのではなく、目の前にいる“誰か”と会話しているに過ぎない。自分の名前さえ知らないのではないか。

 大河にそう思わせるくらい、犬飼は不思議な雰囲気の男だった。

「気味悪ぃんだよ、テメェ」
「……」
「死んだ目しやがって。幽霊かよ」

 そんな目で見られると、殴りたい衝動が湧いてきそうだ。
 犬飼の視線には何も含まれていない。恐怖も嘲りも慈悲も、何もない。だからこそ、大河の気に障る。

 起立したまま微動だにしない犬飼を押しのけ、大河はタオルを引っ掴むとバスルームへ向かった。けして逃げたのではない。自分が逃げるだなんて有り得ない話だ。

 熱いシャワーを頭から被って、大河は苦虫を噛み潰したような表情をなかなか消せない。

(修学旅行なんて来るんじゃなかったな)

 頭上から降り掛かるお湯は、大河の苛立ちまでもを流してはくれない。
 理不尽な怒りを何に向けたらいいのか分からず、コックを乱暴に捻ってシャワーを止めた。

 きっとすぐに忘れるのだろう。気にする必要はない。
 今日の不思議な出来事も、時が経つにつれて記憶から徐々に薄れていくのだろう。
 シャワーのお湯は中途半端に漏れ出ていた。

10/96 兆候

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