密室アクアリウム

(5)

 時刻が近づくにつれ、大水槽の周辺には客がまばらに集まり始めた。館内を回っている時には少ないと感じていたが、壁際に立って見てみるとショーの開始を待つ人々の数は案外に多い。大水槽の正面の壁に背を預けて待つ大河と犬飼の前にも、家族連れや男女の集団が談笑しながら待っている。
 テレビのローカルニュースで取り上げられていた、冬限定のイベントだ。最近は何かとプロジェクションマッピングを活用したイベントが多いが、テレビではなく実際に目にするのは初めてだった。

「見えるか?」

 周囲に人もいるので二人の間にはしばらく沈黙が流れていたが、唐突に犬飼が声を出した。言葉の意図がわからず大河は目を瞬いた。

(……前が、ってことか?)

 人が多く連なってはいるが、一番後ろの位置からでも水槽は見える。魚たちは、自分たちを見に来た人間たちを気にも留めず、ゆらゆらと漂っている。ぎこちなく頷くと、犬飼は「そうか」と呟いて、それきり再び口を閉じた。

 今のは何の確認だったのだろう。視力の問題なら、確かに大河は目が良いとは言えないが、日常生活を送る分には問題ないし、魚が泳いでいるのだって見える。
 謎の発言に悩んでいると、前にいる家族の様子が視界に入った。父親と母親と子どもの三人で、父親が小学校低学年くらいの子どもを抱きかかえ、肩車をしていた。視線が高くなった子どもは歓声を上げてはしゃいでいる。

(こいつ俺のことチビだと思ってんのかよ)

 身長は百八十を超えているし、明らかに長身の部類に入る。人の背中や頭で前が見えないという事態には決してならない。
 このような気遣いをされたことがないから少し心外だ。むくれていると、肩車をした父子がちょうど大河の真正面に現れ、視界が塞がれた。
 隣から手首を引かれる。

「こっちならちゃんと見える」

 手を引かれて二歩分移動すると、誰の頭にも遮られずに青い大水槽の全体が見えた。横目でチラリと犬飼を見やるが、いつもの無表情だった。
 
(つうかこいつと身長そんなに変わんねえし)

 立った時に犬飼の目線の位置が僅かに高いと感じることはあるが、差といえども小指一本分もない。お前は見えるのかよ、と無言で訴えると、伝わったのか「俺は大丈夫だ」と言った。

『お待たせいたしました。ただいまよりアクア・ファンタジーを開始いたします』

 マイクを通した女性の声とともに周辺の照明がゆっくり落ち、通路も水槽も薄暗くなる。人々のざわめきが静まると、正面の大水槽が突然明るくなり、音楽が流れ始めた。

 縦も横も十数メートルある硝子の中では、イワシのような小さな魚や、エイやサメ、他にも見たことのない魚が泳いでいたが、その中の一匹が硝子の壁を乗り越えて飛び出してきた。前方から感嘆の声が上がる。本物だと思った魚はどうやら光だったようで、水泡を吐いて泳ぎ回ると水槽の奥へと消えていった。
 広い水槽をスクリーンにして、本物の魚と光で作られた魚が一緒になって泳いでいる。時にカラフルな色が行き来したり、あるいは仄かな紫色に照らされたり、水の中の生物たちは目まぐるしく姿を変えながら泳いでいた。

 最後は大きなサメが客の方に突進し迫ってきたかと思うと、硝子にぶつかって弾け、その身体が光の粒になって消えた。周囲の魚たちも光になって霧散した。拍手が起こり、通路の照明が明るくなる。放送が入ると人々はぽつぽつと消え始めた。
 今はこんなこともできるのかと、少し感心した。音楽に合わせて光の魚が泳いだり消えたりするのは見事で、目はずっとその姿を追っていた。普段、生活に占める娯楽の割合が極端に低いぶん、今のショーは純粋に面白かった。
 隣に立つ男を見やると、その横顔は相変わらずで、何を考えているのかわからない瞳と、下がった口角があった。

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