密室アクアリウム

(4)

 学校とは反対の海岸の方向に電車で三十分。そこからさらにバスで十分。市街の賑わいから少し離れたところに水族館はある。
 幼い頃、両親に連れられて訪れたことがある。何を見たか、どうだったか、当時の印象はまったく記憶にないが、ただ来たことがあるという事実だけが頭の中にある。きっと、暑い夏だった。

(冬に水族館……ってのは)

 しかも平日ということもあり、館内に客の姿はあまり見かけない。一つのフロアに2、3組、という少なさだ。
 大河としては、客数が少ないほうが助かる。多くの家族連れやカップルの中を男一人で歩きたくはない。流石に、受付で入場券を買う時は気まずい思いをしたが。

 誰かと一緒に遊びに出かけるのは、おそらく小学生以来だ。学校で一人で過ごすようになってからは友達もいなかったし、親と外出することもほとんどなかった。
 だから「遊びに行く」という行為がどういうものか――どこに行ったらいいのか、大河には見当もつかなかった。
 ずっと悩んでいたが、昨日、犬飼が観ていたテレビのローカルニュースに隣の市の水族館が取り上げられていた。電車で行ける距離だということもあってそこに決めたのだった。

「誰かと遊びに行くのは初めてだ」

 そう呟く犬飼を一瞥する。水族館のメインだという大水槽で泳ぐイワシの大軍を見上げる横顔。光に反射して輝く銀色の鱗が、一体となって右に左に、上に下に、優雅に泳ぐ姿は見事だ。

「友達とかと行ったりしねえの」
「友達いなかったし」
「そうだったな」
「仲宗根とが初めてでよかった」
「……そうかよ」

 どうしてか、胸の奥が浮き足立つ。優越感だろうか。犬飼は、大河と来た一回しか知らない。


「あ、サメ」

 どちらの声なのか、喉から出たのはほぼ同時だった。この広い海はまるで自分たちのものだと言いたげに泳いでいたイワシの大軍の中に、無遠慮に突進するサメの姿。鋭い牙を剥き出しにして襲い掛かる天敵に、イワシは蜘蛛の子を散らして四方八方に逃げてゆく。
 一部で捕食されている現場があるのに目をくれず、他の生物は悠然と青色の世界を回り続ける。

「可哀想だな」
「水槽の中じゃ、逃げられないから」
「食われるために泳いでんのか……」

 魚の吐く水泡が上ってゆくのを眺めていると、右手に温かいものが触れる。それが何なのか分かっていた大河は、確かめることなく握った。細長く滑らかな指に自分の指を絡ませる。

「いいのか」
「誰にも、見えねえし」
「……デートみたいだな」

(デートって何だよ)

 生まれてこの方、そのようなものにはまるで縁がない。そもそも友達すら、という人間関係しか築いてこられなかったのだから。
 デート、なのだろうか。犬飼と二人で遊びに来ているこの状況は。

「……別に、何でもいいけど」
「何?」
「何でもねえよ」

 デートだろうが何だろうが構わない。手を繋いで犬飼を受け入れるくらい、この男に何か特別な感情を抱いていることは自分自身、否定できないと分かっていた。
 繋いだ手を強く引いて、先へ進もうと促したその時、館内に流れていたゆったりとした音楽が止む。チャイムの音が鳴り、スピーカーから女性の声が流れ出る。

『館内のお客様へお知らせいたします。十五時三十分より、一階の大水槽にてプロジェクションマッピングのショーを行います』

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