短編

(2)

 俺とドクターは損傷や故障の修理やメンテナンスなどで、度々顔を合わせた。用事がなくても、何故か研究室まで辿り着いてしまうこともあった。俺はそれがとても不思議だった。何故、こんな無意味な行動を繰り返しているのか。彼の顔を見なければ、異常をきたしそうだったからである。俺はそう結論付けた。

 ある日、これから進撃せんとする直前の出来事だ。指揮官の意見に異を唱え、俺は彼と口論になってしまった。いや、口論と表現するのは少し違和感を感じる。指揮官は俺のことを酷い言葉を並べて罵倒したが、俺は静かに作戦に対する意見を述べていた。彼の作戦は理解できなかった。先鋒の兵士を囮、つまり犠牲とし、後方の戦闘用機械の軍団が敵を制圧するというものだった。俺の中枢のシステムでは、人間の命を最優先としていた。本来ならば、壊れてもまた修理すれば再使用が可能な機械を最初に出すべきである。
 そう意見したら、指揮官の男に顔面を殴られた。しかし皮膚表面は人間のように柔らかいといえど、その下は特別硬い金属だ。痛覚のない俺は痛みを感じることはなく、ただ俺を殴った男が手を押さえて砂塵の舞う地面を転げ回るだけだった。骨が折れてしまったのかもしれない。

「まったく、ナタンも下らんものを造ったようだ。殺戮機械など、ただ殺しだけをしていればいいものを」

 俺は上官に対する失敬、暴行などの規則違反により、地下牢に入れられた。その理由が理不尽なので訴えた結果、懲罰の期間が延期になった。人間とは時に、理不尽な生き物だ。
 俺を牢に入れたあとに見張りの兵士がドクターを中傷していた。主に俺の態度が悪いだとか、開発の時点で俺の声帯を取り除いてしまえばよかったのにとか、とりあえず俺関連のことだった。俺は無意識のうちに格子の隙間に腕を突っ込んで、その兵士たちの襟首を掴んだ。そのまま中へ引っ張る。当然のことながら兵士の頭が細い隙間を通り抜けられる訳がなく、二人の兵士は衣服の首回りに絞められて窒息死してしまった。
 俺自身、どうしてこんなことをしてしまったのか分からない。味方の人間を殺すのは良しとしていなかったのに、何故だろう。彼らがドクターの陰口を叩いた時点で頭が燃えるように熱くなったのと何か関係があるのだろうか。あとでドクターに検査して貰わなければならない。

 俺はもう暫く、牢に入ることになった。本来ならば処刑ものだが、どうやら誰かが罰を軽くするように訴えたらしい。ドクターに違いないと、俺は根拠のない確信があった。機械は明確な根拠なしで結論してはならない。しかし俺はルールに違反し、そのように結論してしまった。
 機械に食事はいらない。一週間に一度、専用のエネルギー剤を体内に取り込むだけでフル稼働が可能だ。しかし、俺が独房に入ってから既に十三日が経過していた。機体の動きが鈍くなり、思考も衰えていることが分かった。長い間、ドクターの顔も見ていない。早く彼の顔が見たい。機械には有り得ない思考、恐らく人間でいう願望というものが俺の中に生まれて、エネルギーを供給していないせいで中枢のシステムに異常をきたしているのだと判断した。
 その日の午後十時二十三分だった。ドクターが現れた。

「やあ、ロイック、元気かな」

 ドクターの顔は以前よりも少し、頬がこけているようだった。隈も以前より濃くなっていた。睡眠を取っていないのだろうか。

「あなたの方が、具合が悪そうです」
「最近眠れないんだ。君が此処に閉じ込められてからというもの、安心してベッドにも入れない。仕事もままならないんだよ」

 そうですか、と俺は口の中で呟いた。そして、顔が少しむず痒いような気がした。きっと何かの間違いだろう。
 格子の間から伸びた彼の腕が、俺の温度のない頬に触れた。じわり、と人間でいう内臓部分で、何かが染み出しているような感覚を受けた。やはり、俺は何処かがおかしくなっている。

「ドクター、機体に異常をきたしています。それを表現する術を持たないので何と伝えたらいいのか分かりません。あなたの顔を見ると、俺は何かおかしくなってしまうのです」

 胸部を錘か何かで圧迫されたような感じだった。人間はこれを苦しいと言うようだ。
 ドクターは、何故か泣きそうに顔を歪めた。久しぶりに見る彼の表情は笑顔ではなかった。俺がその原因を作っていると知ると、罪悪感のようなものが生まれた。……罪悪感?俺にそんなものはない。

「それは、愛しいという感情だよ」
「違います」

 俺に感情はない。もし俺がそう感じるのだとしたら、何処かの部位が故障している証だった。

「僕が君を想っているように、君も僕が好きなんだよ」
「好きとは、どういうものですか」
「愛しい、手放したくない、抱き締めたい……僕は、そういう情動だと思っている」
「俺に人間的情動はありません」

 何回も繰り返し言った言葉だった。彼もそれを分かっている筈だった。俺を造ったのは、俺が感情を持たないようにプログラムしたのは、彼自身なのだから。俺の頬を手の平で撫でる彼の温もりは温かい。

「機械にも感情は芽生えるんだよ」
「それは有り得ません」

 彼は白衣のポケットから、何かの金属を取り出した。いくつもの鍵が通った、銀色の輪だった。

「此処から出よう。そうしたら、外に行って、話をしようか」

 彼は沢山の鍵の中から一つを選び出し、牢の鍵穴に刺した。ゆっくり回すと格子が開いて、脱出できるようになった。俺はドクターに連れられ、懲罰房を抜け出した。
 久しぶりに立った地上は昼間とは違って平穏な静寂に包まれていた。空を仰ぐと、小さな星が光っていた。俺とドクターは砂の上に座り、星が降るのを待った。

「君がいない間、沢山の人が死んだ」
「人間は戦で死にます。今までもそうでした」
「ロイックが出陣できなかったからだよ。君は優秀だ。君の存在がないと、我々は滅びるしかないのさ」
「その俺を造ったのはあなたです」
「そうだね」
「あなたが兵士に中傷されるのを聞き、彼らを殺してしまいました。房の中であなたを思い出して、会いたいなどと思ってしまいました。俺は故障しているのでしょうか」

 ううん、とドクターは唸った。暗闇の中、彼は難しい顔をしていた。

「故障してないよ。それが自然なんだ」
「また、俺に感情があるとでも言うのですか」
「その通り。……いい加減に認めてしまえばどうだい?君は機械じゃなく、人間だ。僕と同じように心もある」
「ずっと前に、あなたは俺に心がないと言いました。機械だと言いました。あれは嘘だったのですか」

 ドクターの手が俺の手を握っていた。機械の俺のように、恐らく冷気の中だからか、体温はまったく感じられなかった。俺はそれが恐ろしく感じられた。俺に触れていた彼の手はいつも温かかった。今は、指先はドライアイスのようで、俺はぞっとした。……何だと?

「嘘……いや、後から分かったことさ。ううん、きっと最初から知っていた。本当は、誰にでも感情はある。僕は君から人間的情動を取り除いたが、そんなものは関係ないんだ」
「ドクター。……ドクター・ナタン」
「どうかしたのかい」

 俺は彼の手を強く握り返した。意味のない行動だった。初期の俺だったら、絶対にしない行為だった。

「俺は怖い。あなたを失うことが」
「……それが、感情だよ。愛しいという感情だよ」

 俺は否定をしなかった。人工の血管を流れるオイルがいっせいに中心に集まって、オイルを全身に送り出す内蔵機械がドクドクと音を立て始めた。こんな奇妙な現象は初めてだった。

「僕はね、君の前にも沢山の機械を作ったんだ。でも、どれも情動の除去に成功しなかった。僕は情動の除去に拘った。機械に情が湧くのが怖かったんだ」
「何故?」
「人間は死ぬと、ちゃんと軍で式を挙げてくれるんだ。でも、機械は壊れたら終わり、修復も出来なくなって使えなくなったらバラして他の機械の部品に使う。僕は一度、自分が造った機械を戦で死なせてしまった」

 せめて愛する者の葬式はしてやりたかった。でも許されなかった。バラバラにして、部品に使った。解体作業がどんなに辛いか分かるかい?
 ドクターはそう語った。俺は胸の奥が少し痛いような気がした。痛覚はないのに、おかしな話だ。

「君の片目は、その亡くなった彼のものだ」

 ドクターの指が俺の右の目元を優しく撫でた。これが愛しいというものなのだろう。

「ドクターは俺ではなく、俺の、彼の目が好きなのですか」
「違うよ。僕は君自身が好きなんだ。今まで造ったどんな機械よりも……」
「……」
「君なんか、造るんじゃなかった」

 いつか聞いた言葉を彼は言った。

「僕は感情を持たない機械を造りたかった。互いに一切干渉しない、完璧な、ただの機械をね。最初は成功したと思った。でも、失敗だった」
「いえ、成功です。情動除去に関しては失敗かもしれませんが、俺は成功だと思います」
「……ありがとう。君にも、愛しいという感情が理解できたかな」
「はい」

 俺が製作されて四十一日。俺は漸く、人間的情動を解釈した。
 星空の下、俺とドクターは愛し合った。星がいくつか、空から零れ落ちた。表面温度の変化を感じるだけだと思っていた皮膚の機能は、俺に真夜中の寒さも知らしめた。身体に鬱血の痕が暫く残った。

4/30 産業廃棄物

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