短編

(1)

産業廃棄物



 俺が目を覚ますと、彼は「おはよう」と言った。彼は俺の視覚センサーが捉えた初めての生き物だった。

「ドクター・ナタンですね」
「初期知能は問題なし。此処が何処だか分かるかい?」
「軍用兵器の開発所です」
「その通りだ」

 ドクターは柔らかく微笑んで俺の視界から姿を消した。代わりに真白い天井が現れた。上半身を起こすと、それと下半身を繋ぐ骨組みが俺の機体の中で鈍い音を立てた。握り拳を作っていた手を開くが、何だかぎこちなかった。

「気分はどうだい」

 ドクターが室内の薬品や機械を弄りながら問いかけた。背中しか見えなかった。

「最悪です。各部位が正常に動きません」
「最初のうちだけだよ。一日も経てばすぐにちゃんと動くようになる」

 彼の言葉を信じることにして俺は作業台から下りた。足の裏から冷たい床の温度が伝わってくる。俺は履物はおろか、衣服は何一つ纏っていなかった。

「これを着なさい」

 ドクターが差し出したのは、やたら装備の厚い戦闘服だった。ああ、と納得した。

「風邪を引いてしまうよ」
「俺は人間ではないので風邪を引きません」
「でも寒いだろう」
「機体の表面温度が低下するだけです」

 特殊な金属の上に特殊な人工皮膚を被せた俺の表面は人間のように寒暖を感じることはない。気温に気を遣う必要はないので非常に楽だった。
 俺はその服を着用した。重装備のそれは戦争にでも使われそうなそれだった。

「君をある人に合わせなければならない」

 ドクターは俺を研究室から連れ出し、長い長い階段を上った。俺は彼の後をついて行く。薄暗闇の中、一定間隔で設置された灯りの数は徐々に少なくなった。やがて光が見えた。俺たちは外に出た。
 俺が会わなければならない人物とは、大柄の、髭を生やした中年の男だった。

「今度の試作はいかがですかな」
「我ながら会心の作です。衝撃耐久度も熱耐久度も前作から格段に上げています。重量は増しましたが、機敏な動きも可能です」

 男とドクターが俺の話をしていた。俺は黙って聞いていたが、やがて男が「早速実戦投入したいのだが」と言った。ドクターは少し困ったように笑った。

「それは出来ません」
「何故?」
「まだ彼は完全ではありません。微調整が必要です」
「なら仕方ない。終わったら知らせて欲しい。一六三○までには済むだろうか」
「善処します」

 男はどうやら、俺が俺である存在理由を早く証明したいようだった。俺はドクターに連れられ、再び地下の研究室へ入った。地上は砂塵が舞い、騒音も喧しく、太陽が容赦なく照りつけていたが、研究室は空調機のためか人間には過ごしやすそうだと思った。しかし俺には関係のないことだ。

「そこに座りなさい」
「ドクターは先刻から顔の筋肉が硬直しています。それは何故ですか」

 作業台に座りながら指摘すると、彼は細い注射器を手にしたまま更に顔を歪めた。目の下には濃い隈があった。

「随分、不愉快なことを訊くんだね」
「俺には不愉快かどうかの判断は不可能です。そのようにプログラムしたのはあなただ」
「僕はあの男が気に入らないんだよ」

 あの男というのは地上で会った大柄の彼だろうか。俺はドクターが彼を嫌っている理由を知らなかった。

「理由を話しても君は理解できないと思うよ」
「何故ですか」
「心がないからだ」

 注射器の先端の細い針が俺の頸部に突き刺さった。中を通るコードに薬品が注入されていた。

「人間的情動がないと理解できない解答なのですか」
「多分ね」

 口角が怖ろしく下降していたことから、ドクターは恐らく怒っていた。理由を求める俺に対してか、それとも気に入らないという男に対してか、俺には判断できなかった。薬品を投入し終えると、彼は針を抜いて俺の頸部を指先でそっと撫でた。

「ついさっき完成させて起動したばかりの君をその日のうちに実戦で使うなんて、あの男は馬鹿だろうか。まだ十分に動けないのに、そんなことをさせたら死んでしまう」
「俺は死にません。壊れるだけです」
「そういう表現の仕方は止めてくれ。君は機械じゃない、僕たちと同じ人間だよ」
「俺はあなたが開発した機械です。人間ではない」

 きっぱり言うと、ドクターは呆れたように溜め息を吐いた。しかし何故そうするのか分からない。

「君は悲しい機械だ」
「すべて、あなた自身がプログラムしたのです」

 俺はドクター・ナタンによって造られた戦闘用機械だった。物事を基本的に思考する脳以外は、すべてマシンだ。人間で言うと心臓に当たる部位や、血液が循環する管も人工の繊維で構成されていた。血液も本物ではなく、機械が稼動するのに必要な成分が含まれたオイルだ。
 外界の情報を取り入れ、できる限りの人間的情動を取り除いた思考回路で、俺は物事を判断する。常に合理的に、かつ効率的に、そして俺の親であるドクターが設定したプログラムに沿って動くのだった。

「君なんか造るんじゃなかった」

 ドクターは悲しそうな顔で(実際悲しんでいるのか俺には判断できない)小さく呟いた。彼は俺に聞こえないように言ったつもりだったのだろうが、俺の聴覚センサーは鋭くそれを拾ってしまった。しかしそれに関して俺は追及しなかった。

「君の兄弟は、少なくとも君よりは人間的だったよ」

 そんな過去の情報は俺にとって重要ではなかった。しかしドクターは俺が求めていないにも関わらず、勝手に喋り始めた。俺の前に開発された数機の戦闘用機械は心を残していたようだった。それでも戦闘に特化するような過酷な訓練を受けたらしく、人間とは程遠いものだったらしい。ドクターが言うには、俺はそんな兄弟たちよりも人間として何かが欠落しているらしい。人間ではないのだから当然だと思った。俺を造って後悔するくらいなら、最初から今のプログラムで造らなければよかったのに。人間とは理解に苦しむ生き物だ。

「メンテナンスは終了したのですか」
「ああ。でも今日一日は様子を見るといい。初日だ」
「一六三○には実戦投入するのでは」
「僕がそんなことをさせる訳ないだろう」

 何故なのか疑問に思ったが、また君には理解できないよとか言ってはぐらかされるのだろう。俺は大人しく、地上には戻らずに機体の確認も兼ねて地下要塞の中を探索した。兵士は皆、戦場に赴いているのか誰とも出くわすことはなかった。薄暗い地下を巡りながら、俺はふと疑問に思った。俺は何という名前なのだろう。あとでドクターに尋ねなければ。

 翌日、俺は地上に出た。重量のある装備で、実戦に投入された。地上にドクターの姿は確認できなかった。地下で研究か、開発でもしているのだろう。俺は組織のトップの男の指揮の下、あらかじめインプットされていた情報をもとに敵対勢力と戦った。
 ある日の戦場でのことだ。敵は殲滅したものの、爆撃に遭ってしまい右腕が吹き飛んだ。顔面にも少々、損害を受けた。装備が赤いオイルで染まってしまった。
 要塞に戻る道すがら、俺は沢山の死体を目撃した。俺が殲滅した敵のものばかりではない、味方と思しき装備の死体もあった。彼らは皆、人間だった。後から話を聞くと、俺のような戦闘用機械以外の兵士が生きて陣営に戻ってくる確率は極めて低いらしい。俺はいつか故障して使い物にならなくなり解体され最後には他の機械の部品となるまで、毎日毎日戦場に出なければならないのだ。

「腕はどうしたんだ!」

 要塞に戻るなり、ドクターにそう言われた。声を張り上げ、俺の左腕を引っ張って作業台へ寝かせた。彼は怒っているのかもしれないと推測した。俺が右腕を失くしてしまったから、また造って接合しなければならない。

「爆撃に遭いました。共に行動していた兵士は死亡しました」
「いずれ誰かが弔ってくれる」
「一般兵の治療はしなくていいのですか」
「後でいい。誰か代わりにやってくれる」

 果たして人間の命よりも優先される事柄があってもいいのだろうかと、俺の頭の中に疑問が浮かんだ。ドクターが言ったことは、俺のプログラムと少し違っていた。

「僕が君以外を最優先して考えることはない」

 俺の身体を修理しながら、彼は愛しいものを見るような目をして言った。こんな殺戮機械に愛着でも湧いたのか。
 偶にこうやってドクターと時間を過ごすようになってから、俺は彼の表情から、彼がその時何を思っているのか大体の推測ができるようになった。彼は、俺が機体を損傷させて帰還すると毎度のように怒った。かと思えば、柔らかく微笑んだ。人間とは不思議なものだ。

「俺の名前を教えて下さい」

 俺は先日、要塞の中を探索しながら思ったことをドクターに言った。額と頬の小さな傷を治しながら、彼は数回、目を瞬かせた。

「いきなり、どうしたんだ?」
「呼び名がないと不便です」

 俺はそれまで、例えば指揮官やドクターに「おい」とか「お前」とか「君」としか呼ばれていなかった。他の機械には名前ではなくとも製造番号はついていたのに、俺は番号すら与えられていなかった。

「君を番号で呼ぶのは嫌だったんだ。機械みたいで」
「俺は機械です」

 彼は少し悩んだあと、手をてきぱきを動かしながら俺の名前を口にした。

「ロイックと呼ぼう。君は今日からロイックと名乗りなさい」

 少しの間、といっても0.03秒くらいの間、俺の思考はフリーズした。
 経験したことのない感覚だから、上手く表現できなかった。頭の奥か、或いは機体の中の人工器官が燃えるような。偽物の皮膚がじりじりと焼け焦げるような、全身の循環オイルが逆流するような。とても奇妙な感覚だった。俺はこの感覚を何と呼べばいいのか知らなかった。

「ドクター、身体が異常を訴えています」
「他にどこか怪我をしたのかい?」
「外傷はありません。ただ、内側が焼けるような感じがするのです」

 俺の機体に何が起こったのでしょう。尋ねると、ドクターはくしゃりと笑って俺の頭を優しく撫でた。

「どういうことなんでしょう」
「それはね、きっと嬉しいんだよ」
「……嬉しい?」

 ドクターの出した答えは、俺には受け入れがたいものだった。というより、有り得なかった。常識的に考えて、そんなことはないのだ。
 だって、俺には感情がない。心がない。人間的情動がない。嬉しいだなんて思う筈がないのだ。

「俺は機械です。人間のように喜怒哀楽は存在しません」
「そうかな、ロイック。もしかしたら機械も、人間のように感情が芽生えるのかもしれない」
「その根拠は何処からのものですか」
「さあね。僕の勘か、願望かな。君を造った者としての」
「とても信頼性のない理由です。機械に感情はありません」
「そうやって、先入観で決め付けるのはよくない」
「先入観とは違うと思います」

 俺は何度も否定したが、ドクターが納得することはなかった。俺の頭を髪の毛がぐしゃぐしゃに乱れるまで掻き混ぜ、幼い子供のように屈託なく笑うのだった。よく笑う人だ、と思った。何故、人間は必要もないのに顔の筋肉を動かすのだろう。会話する時と食事以外に動かす必要のある場面はないように思える。ニコニコと笑うドクターを見て、俺は何故笑えないのだろうと考えてしまい、無駄な思考だとすぐに抹消した。

3/30 産業廃棄物

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