短編

(10)

 一度だけ、この男と寝たことがある。それが最初で最後だと思ったし、そうしようと思っていた。

 二年生に進級して少し経った頃、俺には当時付き合っていた男がいた。セフレではなくて、れっきとした交際。もともと俺は男しか好きになれない人間だ。高校まではそれを隠し、想いを寄せた相手がいても一方通行で、それを告げることなく、何も始まることなく終わらせてきた。

 付き合っていた相手は顏もスタイルもよく、周囲の女子によく言い寄られるような優男。それでも俺を選んでくれた。男とそういう関係になるのは初めてだと話していた。俺も、今まで恋愛対象は同性でありながら、初めてだった。だがお互いに好き合っていたし、乗り越えていけると、愚かな俺は思っていたのだ。
 そういう雰囲気になりいざ事に及ぼうという時に、やっぱり無理だと拒絶されるまでは。

 俺は男で、つくものはついてるし、ついてないものはついてない。それを目の当たりにし幻滅されるのは、想像できなかった訳じゃない。恐れはあった。それでも相手は俺を愛してくれていると思っていたから、踏み込めたのだ。
「やっぱり女の子の方がいい」という言葉がどれほど残酷だったか。元々ノーマルの男を好きになる俺が馬鹿だったのだと、どれほど自分を詰ったか。

 血の気も失せ、今にも死にそうな顏をしていたらしい俺が帰宅するなり優しくしてくれたのは三浦だった。当時、奴は既に部屋に転がり込み、三人でシェアをしていた。
 俺が三浦に何を言ったのかは、はっきりと覚えていない。三浦は俺を受け入れ、泣き止むまで優しく抱いてくれた。男と寝たのも、三浦と寝たのも、それが初めてだった。今まで自分で後ろを弄って自慰をしたことはあっても、人の腕の中で、じっとりと愛撫されながら抱かれたのは。
 俺を抱き締める腕が、触れる肌の温度が、涙が止まらなくなるくらい優しかった。その印象ははっきりと覚えている。三浦に抱かれていると、あらゆる苦しみから救われたような気分になった。

 朝、自分の部屋のベッドで目を覚まし、隣に三浦の姿を見て背筋が凍った。
 三浦はれっきとしたノーマルの筈で、彼女もいた。優しくしてくれた相手にもし情が湧いたって、どうせ報われない、自分が苦しむだけだと、身をもって知ったばかりで。
 三浦も、俺なんかと寝てしまって後悔しただろう。お互い、その夜のことは口にしなかった。距離を置き、避け始めたのは俺。喧嘩を売るように横柄な態度を始めたのは三浦。お互い、消し去りたい過去。何も知らない秀は「喧嘩でもしたの?」と俺に訊いた。
 
 どうしてか昔から、ノーマルの男ばかり好きになった。好きになったって、苦しいだけ。だったら最初から誰も好きにならなければいい。適当な、同じ趣向のセフレを作って、寝るようにした。セックスだけの関係の男から付き合おうと言われたこともあったが、怖くて断った。相手が誰であっても、結局最後は傷付くだけだと自分に言い聞かせて。

 外にセフレを作っていることを秀に知られてからは、秀ともセックスするようになった。秀は三浦とも寝たが、俺と三浦はあの夜以来、関係することはなかった。
 今日までは。



 背後からの抽挿は酷く乱暴で力加減も何もなく、ガツガツと腰を打ちつけられ、触れる肌と肌が乾いた音を立てる。
 でかくて質量のあるそれが中を押し広げながら何度も押し入ってくる感覚は、正直、意識が飛びそうなほど気持ちがいい。
 間違いなくこいつは、セックスが上手い。これほど乱暴にされているのに、一度射精した俺の性器は再び硬度を持って勃ち上がっている。この男は考えなしに腰を振っているようで、確実に俺の弱いところを突いてくる。声を抑えることはもうやめた。

「ン……っあ、あぁ……っ」
「ケツだけ突き出して、みっともねえな」

 苛立ちと嘲笑。三浦は露骨にそれを突きつけてくる。まるであの時とは正反対の態度で。また、喉の奥がきゅっと絞まる。

「おい、もっと絞めろ。これじゃいつまで経ってもいけない」

 そう言いながら三浦の息は上がっていた。短く息を吐きながら、俺のケツが馬鹿になりそうなくらい滅茶苦茶に打ち付けてくる。
 俺はもう自分の体重をまともに支える余裕もなく、床と平行になるくらい前屈みになった上半身を、指先が白くなるほどにシンクを掴む手と、膝が笑ってしまう脚だけで何とか立っているような状態。その場に崩れ落ちたくても、三浦の手が俺の腰を引っ張り上げる。

「ひっ! ぁ、あ、んん゛ッ」
「嫌いな奴に掘られて喜んでるなんて世話ねえな」
「な、も……ッ、い、ああっ」
「またガチガチにしてんのかよ」

 腹につくくらい持ち上がった性器の根本を掴まれる。先端から止めどなく涎を垂らし、キッチンの床をびしょびしょにしている原因。三浦は根本を絞めたまま、特別触ることもせず、今まで以上に激しく穿つ。ゴリゴリと腹を擦られて、気が飛びそう。
 自分本意なセックス。ゴミ虫相手にはこれで十分だと言わんばかりの、自分本位な。
 俺の涙を拭いながら、そっと、割れ物を扱うかのように、優しく抱いた男とは別の人間だ。

「昨日も男くわえたばっかりなのに、お前の身体は元気だな」
「んっ、…ひ、人を……ッ淫乱、みて……に、言いやがっ……!」
「何か間違ってんの? ここ押さえてないと、またいきそうなんだろ」
「はっ、誰が……ッ! てめえの……腰使いなんかで、…っん、いけっかよ」

 額から伝う汗が、大きな粒に集まって床に落ちてゆく。視界に入る、勃起した自分の性器。上擦った声で訴える俺の言葉に説得力はない。それでも、唇の端を吊り上げて、せめてもの、と笑ってやった。不意に、後孔を出入りする激しさが弱まった。

「てめえ、なんかより、っ……昨日の奴の方が、よっぽど……よかったよ」

 頭が熱い。無理な体勢のせいか、肩が、腰が痛い。自分のものから溢れ出た液体が作る水溜りを、蕩けそうな思考で眺める。

「意識飛びそうな、ほどな……! は、五回も……して、やったぜ、搾り取られて、これ以上は、出ねえってくらい……、ッあア!」

 突然、視界が変わる。上半身を無理矢理引き上げられ、腹の中で当たる位置も変わる。ずるり、と大きな生き物が抜け、身体が反転したかと思えば太腿を持ち上げられ、ぬるつく液体でびしょ濡れになったそこに再び捻じ込まれた。

「っう、あ、…あっ…」

 後ろからとは違い、揺さ振られるように何度も下から突き上げられる。涙で霞む視界を開くと、三浦の顏が映る。口元を歪ませ、眉間に皺を寄せ、胸糞悪そうな表情の男。
 突っ込んで腰振りながら、どうしてこんな、親の仇でも憎むような顏を。

「……俺も、お前が嫌い」

 乱暴な抱き方で、もはや気持ちいいというより、苦しい、辛い。
 ガクガクと揺さぶられ、一番奥まで突き上げられた時、中で三浦のものが爆ぜた。荒い息を整える暇もなく、萎えたものが中から抜けていく。

 支えを失いその場にへたり込もうとするが、突然、首が絞まる。シャツの首元を、三浦の、俺の体液で濡れた手が掴んでいた。

「な、――っ」

 相手の顏が近づいて、口を塞がれた。熱に膿んだ脳味噌が急激に冴え、相手の胸を拳で押す。

「……出て行け」

 僅かに離れた距離から、俺は震える声を絞り出した。三浦は衣服を整えると、俺の言葉通り、家から出て行った。セックスをしていたという雰囲気を微塵も感じさせない、冷めた表情で俺を見据えることを忘れずに。
 ドアが乱暴に閉まる音を聞き、汚れるのも構わず背後にもたれながらずるずるとその場にしゃがみ込んだ。

「言ってることと、やってることが違ぇんだよ……!」

 いまだ収まらない熱が、じくじくと下肢で疼いている。震える手で自身を掴み、ぐちゅぐちゅと音を立てながら荒い手つきで扱いた。後ろに奴のものが入っているような感覚はまだ消えない。先端の割れ目を抉るように爪を立てれば、すぐに射精した。
 自分の精液で濡れた手を、手の平に爪が食い込むくらい握り締め、シンク下の戸棚に打ち付けた。

「クソ……」

 秀が帰ってくるまで、キッチンで一人、蹲っていた。

21/30 君と恋がしたい

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