短編
(7)
およそ一日ぶりに家のドアを開けると、玄関には三浦のスニーカーがあった。秀はまだ帰ってきていないらしく、つい重い溜息が出る。三浦とサシで相対するのは非常にストレスが溜まる。秀がいてくれたらある程度は中和するのだが。
「遅いお帰りだな」
ソファでケータイを弄っていた三浦が顔も上げずに一言。おかげさまでな。心の中で苦々しく言葉を返しながらキッチンの冷蔵庫へ向かう。扉を開けて中を探るが、目当てのものはない。
「……おい、俺のサイダーは」
「邪魔だったから捨てた」
「は?」
「捨てた」
冷蔵庫の扉が乱暴に閉まり、中に入っているものがガシャンと音を立てる。三浦に歩み寄りながら、なるべく冷静に、冷静にと自分に言い聞かせる。
「ガキ臭ぇ嫌がらせやめろよ」
「嫌がらせしてるつもりはないけど、何だ、その程度で苛立ってんのか」
「自分のもの勝手に捨てられて文句言わねえ奴がいんのか? でけえ字で甲斐って書いてあるのが見えなかったのか老眼」
「悪い、見てなかった」
目の前で苦情をぶつけているにも関わらず、相手は視線をケータイから外さない。まるで歯牙にもかけていない様子で、怒るだけ無駄、俺の寿命が縮まるだけだと悟る。自分の部屋に行こうとしたところで「何で帰ってこなかった」と、ようやく顔を上げて声をかけられた。
「昨日は誰かが女連れ込んでたもんでな。帰らなかったんじゃなくて帰れなかったんだよ」
「ひがみか?」
何でひがみに聞こえるんだよ。馬鹿じゃねえのか。
自室のドアに背を預けながら、ソファにどっかり座ったままの相手を睥睨する。
「まあ、どうせ泊まる場所なんていくらでもあるだろうしな。お前みたいな、誰にでも脚開くアバズレは」
「……あ?」
露骨に喧嘩を売られている。いつもは揚げ足取りのように下らないことで突っかかってくるのに、あからさまに悪意が込められているようで無視できない。
「身体で払って泊めてもらうのか? 売女みたいに」
「何が言いてえんだよ、てめえは」
「別に。訊いてるだけだ」
そう言いながら、三浦の俺を見る目は侮蔑に満ちている。口元も歪ませながら。ここまで貶められているのを知りながら流石に部屋に引っ込もうという気にはなれない。
「は、お前もそうすれば? この居心地悪ぃ家にいるより、適当に女抱いて暮らしたらどうよ」
三浦が息だけで、はっ、と笑う。
「お前の真似事はしたくないな。身体開いて泊めてもらうって、惨めだろ」
「……お前さ」
性格が歪んでいる。破綻している。そう思う。
何でこんな人間が平然と暮らして、普通に大学生活を送っていられるんだ?
……ああ違う、そのゴミ虫を相手にするような態度は俺にだけだった。
「人のこと馬鹿にして楽しいか? ……俺が何しようが、お前には関係ないし、迷惑かけない限り俺の勝手だろうが」
三浦は勝手をして迷惑ばかりかけている。それなのに、何故、たった一日、外で男と寝て一晩過ごしただけで、こんなに侮辱されなければならない。
「マジで性格悪ぃよな。何でそんなに俺に突っかかるんだよ。俺のこと気に入らなかったら、関わるな。……俺も、お前が大嫌いだ」
何故、嫌いだなんて言葉を俺が言わなければならない。
いまだかつて、これほどしっかりと相手の目を見て、これほど憎悪と悲しみを込めて言ったことはない。
こめかみが熱く、喉も異常に乾く。先日買っておいたサイダーを一気に飲み乾したい気分だったが、生憎ない。キッチンに戻ってグラスにただの水道水を注ぎ、何故かきゅっと震えて絞まる喉を落ち着けるように乱暴に煽る。クソぬるいしクソ不味い。
グラスの半分飲みきったところで背後でフローリングがギシリと鳴った。振り返る前に両手首を捉えられ、シンクに落ちたグラスが喧しい音を立てた。
18/30 君と恋がしたい