短編
(5)
強兵を為した優秀な兵法家も、数々の武勲を為したかつての将軍も、帝にしてみれば一介の臣に過ぎなかった。どれだけ周囲に褒めちぎられようが、どれだけの兵を配下に持とうが、彼らは他の者ども同様にただの臣民でしかなかった。
朝堂では、帝を除く誰しもが得物を下ろし、小走りで移動せねばならない。普段威張り腐っている高官でさえも帝の御前では腰低く鼠のようにちょろちょろと駆け回るのだから、愉快で仕方がない。それは先に罪人に堕ちた兵法家と、元武官の文官も違わない。
故に帝は、朕に逆叛し得る者は何人たりとも存在せずと当然に思っていたのだ。
しかし事態は帝の予想を大きく裏切った。死ぬべきだった男が死なず、逃亡し、町の市城に匿われているという。絶対にあってはならぬことだった。
帝は小規模な軍団を派遣された。城を落とすのは思った以上に容易に済み、帝は報告を待っていた。
そこへ一人の男がやってきた。脇には配下らしい者が二人、付き従っている。
「陛下、ご覧下さいませ。逆臣、徐恵・何嬰両名の首にございます」
軍団の長らしいその男は礼を尽くした後に無機的に報告を済ませ、両脇の者に合図をする。各々が箱から取り出したものは、罪人二人のものと思しき頭部であった。
「ふん、生意気な顔つきをしておる」
この世に心残りはない、という思いが如実に現れている、穏やかな表情だった。青く変色した唇は緩やかな弧さえ描いていた。それがまた、気に入らない。
「駆けつけた時には既に、二人は自ら首を刎ねて事切れておりました。また、彼ら以外には生身の人も死体も、何もございませんでした」
「もうよい。下がれ」
「は」
「――お待ち下され」
男が再び礼を尽くして立ち去ろうとした折に、帝の隣に幽霊のようにひっそりと控えていた者が制止した。その宦官は至極怪訝な表情をすると、急に大音声で叫んだ。
「誰か、張井を呼べ!」
帝には、その宦官が何故そのように叫んだのか、理由を全く把握出来なかった。ただ、呆気に取られて目を瞬かせるのみであった。
やがて、張井という男が朝堂に連れられて来た。至急のことであったから戎装も解かず非情に無礼極まりない格好であったが、咎める隙もなく宦官が険しい声音で詰問した。
「正直に答えよ。この首は何嬰のものか、否か」
張井は、何故にかようなことを尋ねるのか不思議で堪らないと言った風に、首を横に振った。
「私は三年前まで何嬰と共に戦場に出ており人相もよく知っておりますが、これは全くの別人です。間違えようもございません」
一瞬で帝の顔が真っ赤に染まった。怒りに手が震えた。
宦官は冷静を保ったまま、張井の返答に静かに補足を施した。
「もう片方も、徐恵の首ではございませぬ。見事謀られました」
「……先程の男、そして張井、二人の首を刎ねよ!」
これほど忌々しい話があっていいだろうか。帝は喚き立てた。あの男――何嬰は二度もこの自分を侮辱したということだ。
あの時、人の使い方を理解していないと詰られた時、腸煮えくりかえるほど腹を立てたというのに顔さえ真面に帝は記憶していなかったという事実を今この場で露呈させられたようなもので、大いに尊厳に関わることだ。帝の顔の赤らみは、憤りと恥の二つであった。
軍団の長と張井という武官は、斬首された。明らかなる「とばっちり」に違いなかったが、帝の命は絶対であったから誰も歯向かう者は存在しなかった。
後に判明したことだが、この時に持ち込まれた二つの首の一方は、逆臣二人が身を隠していたという町を治めていた、班達という男のものだった。もう一方は、班達の補佐役の男であった。
10/30 紅を負う