叢中の男

(5)

 その酒場を切り盛りしているのは、凱という名の老婆だった。故に、その酒場は「凱婆さんの店」と町の人々から親しみを持って呼ばれていた。
 今日のお客は大層騒がしかった。店中に敷いた筵の上に胡坐を書いて座り、酒を飲み、雑談に華を咲かせる。何せ人数が人数で、ざっと見渡したところ五十あるかないかというところだ。狭い店内に、太く逞しい腕を剥き出しにした男たちが所狭しとひしめきあっているのだ。
 今日は姜堅一派の貸切であった。

「頭ぁ、ちぃっと飲み過ぎじゃねえですかい」

 姜堅の傍で飲んでいた手下の男の一人が、心配した風にこそっと言ったが、当の姜堅は彼の背中を豪快に叩いて言い放った。

「何言ってんだ、今日は町の皆さんの奢りじゃねえか。今のうちに存分に飲んでおかねえと、後になって燃料切れになっちまうぜ」

 その通り、今日の酒宴は釧の町の人々が特別に開いてくれたものだ。一か月程前、県令の張旻という腐れた男を殺した。その時は一先ず、ねぐらへと急ぎ帰ったのだが、後になって再び訪れてみると酷い歓迎ぶりだったのだ。あの悪鬼の首を刎ねてくれてありがとうと何度言われたことか。

「てめえらも、もっと飲め。今だけだぜ、安心してゆっくり飲めるのはよ」
「ですが……ほら、凱婆さんもこっちをじろじろ見てやがる。飲み過ぎだって怒ってるんですよ、きっと」
「何だ今更。思う存分飲めって言ったのはあっちじゃねえか。俺はそれを実行してるだけよ」

 得意になって言うものの、姜堅の顔はその髪色の如く真っ赤に染まっており、誰が見てもこれ以上の飲酒は控えるように宥めたくなる程である。見た目の酔い具合に反し姜堅はしっかりとした口調で言い張り、更に杯を煽った。
 少し頭がぼうっとするが、まだまだいけるだろう。周囲の心配をよそに、姜堅は膝を打って正面の手下に言った。

「お前、何かしろ」
「はい?」
「娯楽が何もねえじゃねえか。この祝い酒の場だって言うのに、つまらねえぞ」
「俺が、するんですか?」

 要求された男は一気に酔いが覚めたように口元を引き攣らせて苦笑いをした。顔には「そんな無茶な」と書いてある。

「そうだ、踊れよ。何だったら町の娘たちも連れて来ていい」
「そんな……無茶です。ああ、ほら、剣舞だったらあそこで飲んでるあいつが上手いですよ」
「店の中で剣振り回すのはご法度だろうが。諦めてお前、踊れ」
「ええ……」

 男が困惑しきって逃げ出したい気分になった時、横から太い腕がすっと伸びてきて、姜堅の目の前の杯を奪って行った。

「何すんだ、呂飛」
「……頭」

 喧しい店内でもよく響く重低音で男は諌めた。彼の姓は呂、名は飛。字は姜堅同様にない。大雑把に切られた黒髪と、とても立派な体躯が特徴の男である。彼は姜堅の腹心の部下であった。

「呂飛の兄貴、頭に何か言ってやってくださいよ。俺には止められないっす」

 その懇願を受けて呂飛は姜堅をじっと見据える。何を考えているのか分からない黒い瞳を向けられ、姜堅も浮遊する思考を好きにさせながら睨み返していると、手下の男が何も言わずにさっと逃げて行った。

「あっ、てめえ」
「頭」
「お前のせいだぞ」

 姜堅は呂飛の手の中から杯を乱暴に引っ手繰ると、また新たな酒を注いで煽った。何度も酒精が通り過ぎた喉は焼けるような痛みを訴える。それに気づかない振りを通して、呂飛を横目に見た。先程逃げていった男の姿も視界の端に映る。

「まだまだいける。何せ俺は大陸一酒が強い男だからな」
「…………」

 呂飛は黙り込んでしまった。しかしそれはいつものことである。彼は非常に口数少なく、先程の男のように姜堅に意見することは一切ない。何かを訴えるような目で見てくることはあるが、彼が真面に口を利いたところなど、長年一緒にいて数回しか見たことがなかった。

「……頭」
「そう心配すんなって。酒飲んで死にはしねえんだからよ。酒癖だって悪くねえし、な。酔っ払って手下に寝首掻かれることだってあり得ねえ」

 姜堅が自身満々に宣言できるのは、自身へ対する手下どもからの信頼を深く噛み締めているからだ。その中には呂飛も含まれる。特に、彼は弟のような存在でもあった。年は十九。図体は姜堅よりも大きいが、偶に見せる犬のような部分が可愛らしい。と、姜堅は思っている。

 呂飛は諦めたのか、自分でも杯に酒を注いで飲み始めた。図体に似合わずちびちびと舐めるように酒を飲む。それを見て満足した姜堅が何気なく店の入口に目をやると、二人組の男が入ってきた。町の人だろうか、知らない顔だ。

16/19 第一章

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