叢中の男

(4)

 おかしい、と朱睿は思った。
 県令が殺されて秩序を失った町にしては、活気がありすぎると。
 朱睿からやや下がって付き従う司馬蘭が声を潜めて言った。

「張旻が殺されたというのは誤報でしょうか」
「いや……その筈はない。見えるか、あれが」

 朱睿が指差した先は、小高い丘の上に建つ立派な建造物だった。県令を長として多数の官吏が務める役所である。しかし遠目から見てもそれは所々損壊した部分があり、黒く煤けている。火の手が上がった後だろう。司馬蘭が小さく首肯する。

「この付近の亭は?」
「ここから四里程隔てたところにございます」
「ならば、後で亭長に詳しく話を伺おう。今、役所に行って検分しても我々は何も見つけることは出来ないだろう」

 朱睿は再度、町並みを見渡した。この町、釧は首都に比較的近い位置にあるためか、普段から賑わっているように思う。衣類を売る店、塩の売買を行う商人、道端で講話をする遊説家、客を呼び込む茶屋。各々の喧騒が明瞭に耳に飛び込んでくる。
 人々の顔に不安や恐怖といった負の色は見られず、寧ろ活き活きとしているように朱睿の目には映った。
 朱睿と司馬蘭は互いに顔を見合わせる。民から話を聞き、調査し、例の盗賊の捜索を行うつもりでいたが、陥落した役所以外にその証拠が見当たらないのでは、本当に暴動が起こったことすら疑ってしまう。

 朱睿は歩みを止め、懐から書簡を取り出した。盗賊の首領・姜堅の人相書きだ。それを広げて皺を伸ばすと、二人は手近な狗肉屋の女主人に声をかけた。

「いらっしゃい……おや、見ない顔だねえ。旅の人かい」
「健福から来た者だ。少々話を伺いたいのだが、宜しいか?」

 礼を尽くして請うと、婦人は人の良い笑みを浮かべて「勿論」と言った。

「一月前に、この釧の役所で暴動が起こったと聞いたが、真か?」
「ああ、張旻が殺されちまった事件だね」
「そうだ。県令の首が取られたというのに、何故この町はこんなにも――」
「悪政を行うあいつがいなくなったからさ! すべて姜堅様のおかげだよ!」
「……何?」

 ちょうど、店の奥から男が出てくる。女主人の夫のようだ。肩に弓矢、腰に刀を提げて、狩りにでも出かけるらしい。

「ねえあんた! この町が賑やかになったのも、張旻をやっつけてくれた姜堅様のおかげさね」
「え? ああ、そうだなぁ」

 男は頭をポリポリと掻きながら苦笑した。朱睿と司馬蘭は、はて、と首を傾げる。
 どうして、姜堅が英雄化されている?
 始めに浮かんだのはその疑問だったが、よくよく考えれば納得も出来た。
 先程、婦人が口にした言葉。“悪政を行う”あいつ。つまり、朱睿は大事なことを見落としていたことになる。

「張旻について詳しく訊きたい」

 掘り下げて尋ねようとすると、婦人は醜い物を見るかのように顔をくしゃくしゃに歪めた。店の台に手をつき、怠そうに語り始める。

「あの男は本当に酷い人間だったよ。頻繁に、しかもかなりの量の税金を巻き上げるくせに、あたしらのためになんか使わない。全部、私腹を肥やすためさ。それに、町を巡回する時は適当な言い掛かりをつけて懲罰するんだ」
「一日に五回は鞭打ち刑を見た気がする」
「それにねえ、役所から自分の私物が無くなったとか言って、部下の役人を釜茹でにしたりさ」

 聞けば聞くほど、かつての県令の悪行が次々と飛び出してくる。これには朱睿も頭を抱えることとなった。
 中央、そして郡にさえ届かぬ張旻の悪政。どれほど彼が己の行為をひた隠しにしてきたかが窺い知れる。
 それならば、張旻が殺されて民たちが喜ぶのも理解できた。

「悪名高きことかくのごとし、とはよく言ったものだ」

 婦人が呆れた風に言い、張旻が消えたことに心から安堵しているようだった。朱睿は本来尋ねたかった事を思い出し、必要ないと見た人相書きを懐に仕舞い込んで、改まった。

「して、かの姜堅なる男の居場所はご存じか?」
「ちょうど、あそこの酒場で昼間っから酒盛りだよ。皆で、町に留まって欲しいってお願いしたから、暫くは滞在して下さるだろうよ」

 それは本当か、と朱睿は一瞬、己の耳を疑った。

(姜堅がこの町にいるだと?)

 婦人が、小道の角にある一軒の酒場を指さした。
 ……これは好都合。対象を捜索する暇が省けた。あとは縄を掛けてしまうだけである。
 思ったより事は早く片付きそうだ。朱睿は司馬蘭に目配せをすると、婦人と男に礼を言い、例の酒場へ足を向けた。

15/19 第一章

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