叢中の男

(2)

 朱睿は天幕の外にいた。本来ならば刺史の身分である彼が屋外で野盗に目を光らせる必要など皆無なのだが、疲弊している者に見張りを任せきりにしておくのは彼の気が引けたからであった。
 焚いた炎の波から飛び散る火の粉が朱睿の衣服に付着した。夕焼けと同じ橙色。しかし日は既に沈み、今は歪な形の月が玉座に居座っている。その光が地に降り注ぐと、昼間は縛っていた朱睿の長い黒髪に反射し、艶々と輝いているように見えた。
 朱睿殿が外で番をするのなら私も、と隣に座っていた司馬蘭が「ほう」と溜息を吐いた。

「如何した?」
「いつも思うのですが、美しい御髪ですな。月光に当たると濡れた鴉の羽のような光沢だ」

 綺麗な頭髪に加え、この心許ない光の下では、朱睿の端整な顔立ちに陰りを差し、どこか神秘とも憂鬱とも取れる美貌を作り出している。周囲の一人が「ご婦人に大層ご人気でしょう」と賛辞したが、朱睿は内心、色恋には興味などないと思っていた。
 火の粉が弾ける音の中、朱睿は静かに答える。

「否、そんなことはない」
「嘘をおっしゃいますな、伯謀殿。容姿も良ければ性格も良い。常に全体を考える君子です。これがどうして人の気を集めないことがありましょうか」

 実質、刺史としての朱睿の評価は高かった。太守の監視――補佐を行う彼の保凉郡内での民からの信望は厚く、的確な忠言をするために太守からの信頼もある。中央での評価は知らないが、女性に限らず彼を慕う者は多い。
 勿論、女性からそれらしい声を掛けられたことも度々あったが、官を第一とし色は最後へ後回しが基本の朱睿は相手を断るか、その堅実な性格に耐えがたいと思った相手の方から離れて行くのが常だ。

「君は私をよく知らないだろう。私は女性の扱いがめっきり駄目なんだ」
「それは意外と言うべきだ。不思議だ、あなたは礼、政、仁、色、何にでも通じていそうなのに」
「私は万能な人間ではないよ。期待をするのは良いが、もしそれを裏切られてもその時私は何も言えぬ」
「私は、買い被りだとは思いませぬが」

 司馬蘭が穏やかに笑む。周囲の者もそれに同意し、首肯した。

(私を褒めてどうするというのだ)

 気付かれぬように薄く息を吐き、朱睿は所在無い手を何気なく胸元へ当てた。その時、衣服の内で紙が擦れる音がしたので、今することがないのならば、とその書簡を取り出した。

「それは何ですか?」

 番をする男が拝してその書簡を覗き込んだ。火の粉が飛ばないように注意を払いながら火へと近づけると、書かれた内容が露わになる。
 それはある人物の人相書きだった。

「これは……」
「私たちが討伐すべき山賊の首領だ」

 男の顔が細い墨の線で描かれていた。人伝えで聞いた人相の上に大層いい加減に描かれているものの、辛うじて、鼻筋がすっと通っていることや凛々しい眉、短い頭髪、それに顔を横に走る刀傷――それだけは確認できた。

「何でも、先の襲撃事件の折、彼奴は自らの名を高らかに宣言したらしいのだ。庁舎内に生き延びることが出来た官吏がいたとも知らずに」

 郡役所から出立する一週間ほど前のこと、保凉郡の都尉(警察のような官職)に聞かされた話であった。
 その山賊の首領は県令の首を獲った後、この庁舎は自分が占領したと自らを名乗ったのだという。
 司馬蘭が急かして言った。

「して、その名は?」
 
 朱睿は静かに頷く。

「姜堅(キョウケン)。――姜堅という男だ」

13/19 第一章

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