叢中の男

(1)

 刻は夕方、沈みかけた太陽が山道を申し訳程度に照らし出し、行軍する彼らの行先を示している。痰の絡んだような鳴き声の鴉が遠慮もせずに、その醜い声を晒していた。
 上空を飛び回る鳥の下、彼らは皆、ゆったりとした長衣を羽織り、或いは深衣を羽織り、或いは武装をし、衣擦れや金属の音を立てながら進む。先頭は凡馬に乗る武装兵が数人、その後に見事な駿馬に跨る男が二人。それ以降は歩行する者が荷を担いで足を動かしている。

 ここに一人の男がいた。姓は朱(シュ)、名は睿(エイ)、字は伯謀(ハクボウ)と言い、年は二十五、生まれは宗国首都・健福の人である。
 性は厳かつ賢にして、それが過ぎることはない。しかし足らぬこともない。彼の中庸があってか、若くしてこれまで保凉郡の刺史(郡の長・太守の監視役)として政務を全うしていた。
 役所で政務を果たしている筈の朱睿(シュエイ)が何故、百余人を具して山道を進んでいるのかというと、健福と接する保凉郡、更にその西に位置する、首都と最も近い県である釧県で、とある暴動が起こったからであった。
 近年出没している山賊が、県令(県知事)の居る庁舎を襲ったのことであった。しかも、その県令は連中によって殺害されてしまったという。
 本来であれば刺史でなく、太守や都尉が赴き事を片づけるべきなのだが、生憎、他に重要な役があるとのことでこの件に関しては朱睿が当たることになった。

 すなわち、今度の行軍の目的は件の盗賊の捜索及び討伐である。

「伯謀殿、日が暮れて参りました。急がなければ日没までに釧に着きませぬ」

 隣を馬で闊歩する男が静かな声音でそっと朱睿に耳打ちをした。彼の姓名は司馬蘭(シバラン)。字は公譲(コウジョウ)。年は三十七、朱睿の補佐を務める男である。
 朱睿は一度、背後を振り返り見て、そしてこっそりと言葉を返す。

「長旅で皆、疲弊している。これ以上急ぐと脱落者を出しかねない」

 朱睿の黒々とした明るい瞳が司馬蘭を突き刺した。便よりも全を優先する彼が馬の背で揺られながら言うと、司馬蘭は渋面を作った。

「しかし、宿に着かねば野営となってしまいまする。そうなれば野盗に襲撃される心配もございます」
「十余人、屈強な者を見張りにつけておけば襲撃される心配もないだろう。私も眠らずに皆を守るつもりだ」
「では、既に野営をなさるおつもりで?」
「然り」

 司馬蘭はゆっくりと首を巡らせ、背後の行列に目を遣った。確かに歩行する者は騎乗する上位官と異なって荷を直接背負う上に険しい道を行くためにか、その足取りは重々しい。休憩を挟みながら進んでいるとは言え、朝からの行軍では疲弊しきってしまう。
 山道の途中、ちょうど平らに開けた場所に至ったところ、朱睿が馬を止めて後ろに声を凛と張り上げた。

「本日はここで野営を行う! 荷を下ろして夕餉の支度をせよ」

 朱睿の声が清々しく響き渡り、歩行する者たちは漸くの長い休憩に入れることに胸を撫で下ろした。どさ、どさ、と物を地面に下ろす音ばかりが次々と聞こえる中、消え入りそうな夕日の灯だけは相変わらずに橙色を持って一行の様子を照らしていた。

12/19 第一章

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