叢中の男

(2)

 春が目を覚ましたのは、瞼の裏に赤いものがちらついたからである。眩しくて目を開けると、今宵は普段よりも些か明るいような気がした。しかも、人声が慌ただしい。

「……何事だ?」

 呟き褥から抜け出そうとすると、隣で眠っている筈の男がしっかりとした力で春の腕を掴んだ。何処へ行くのだ、としゃがれた声で囁く。

「外の様子を」

 褥から抜け出し、春は寝所の襖を僅かに開ける。長衣の衿を引き寄せた時、廊下を誰かが急いて走り去った。その後に複数の宦官たちが息咳切らして駆ける。悲鳴を上げていたように思ったが、何せ寝起きで意識がはっきりしないので確信がない。

「春。どうした?」

 寝台に横たわる輝帝が訝しげに問うた。彼にはこの騒ぎが聞こえないのだろうか。春は振り返って「何でもありません」と誤魔化した。
 輝帝の心を不安定にするのは避けなければならない。丞相の李葉にそう強く押されたのは数か月前のことである。輝帝はもうあまり長くないらしい。今年に入って彼は大きく体調を崩した。原因は不明であるが、過労であろうと宮廷医は判断していた。

「こちらに来なさい」

 手招きをする皇帝に従順に近寄れば、肩を優しく抱かれて褥に引き入れられる。長衣の上から臀部を揉まれ、背筋に蟻が駆け上がるような不気味な感覚を覚えた。男の乾いた吐息が頭頂部に掛かる。
 戦火を逃れ生き延びることが出来て良かったとは思わない。寧ろ春は、母と命運を共にしたかったと、今でも強く思っている。
 ――この皇帝の愛玩道具になるくらいならば、死んだ方が人として生を全う出来た。
 その悲哀の想いをひた隠しにしながら、時は二年も経過してしまった。今ではもう、輝帝の愛撫には慣れていた。けれど心は未だ慣れていない。絶対に慣れたくはなかった。
 以前に、輝帝が他の少年と交わっているのを襖の隙間から垣間見たことがある。その少年は女のような声を大袈裟な程に上げながら、男の上で夢中で腰を振っていた。

( ……あんな。あんなみっともない姿にはなりたくない)

 輝帝の腕の中で春は考える。しかし、あの少年も、自分も、そう変わりはないのではないか。同じく皇帝の男に抱かれて快楽を与えられている浅ましい身分の者だ。理屈で否定しても、身体の感覚は誤魔化しきれない。

「見よ。今宵は一段と月が綺麗だぞ」

 意識を戻され、春は輝帝につられて窓の外を見上げた。男に背を向ける体勢になって、檸檬の形を目に移す。
 歪な形だと、いつも思う。希から仰いだ月は、こんな楕円形はしていなかった。もっと円に近い、柘榴の形をしていた。そして、時には色を変え綺麗な紫色を示すことさえあった。

「――」

 一瞬。気のせいだったかもしれない。黄金である筈の月が、別の色になった。
 
 その時、春の耳を轟音が襲った。
 鼓膜を破りきる程に大きな音だった。聞いたことのない音で、軍馬の大軍が兵士を乗せて攻め寄せてきた時の音声にも似ている。
 次いで、爆破音が鳴った。

「何事だ!?」

 そっと春を抱き締めていた輝帝が瞬時に起き上がり、枕元の剣を引き寄せる。取り乱す皇帝の姿を見、春もこれはただ事ではないと確信する。先程の爆音のせいで、頭が痛い。皇帝もこめかみを押さえ、覚束ない足取りで褥から這い出た。
 輝帝は春の存在を忘れたかのように寝所の出口まで一目散に走り、襖を開け放つ。

「李葉!! おらぬのか!」

 輝帝が丞相の名を張り裂けんばかりに叫んだ時、彼の頭が千切れて宙に飛んだ。

10/19 導入章

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -