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9.心のもや


 心のもやもやが消えない。セオは事件のあと、家に帰ってからずっと霧の晴れない気分のままで床についた。そして目が覚めても霧の晴れ間は見えず、朝ごはんはぼんやりと食べてしまった。
 学校に行ったら真っ先にディオに謝ろう、昨日頬を殴った事を謝りたい。昨日帰ってからずっと、エリナの悲しい表情よりも、ディオを殴ったときのあの感触の方が拭えなかった。許してくれなくてもいい、とにかくこの事件に一つの区切りをつけたかった。


 隣のクラスの前で、セオはディオの登校を待つ。普段よりも20分はやく来た学校は、人が少なくて寂しい感じもする。
 しばらく待つと廊下の向こうからディオが歩いてきた、同じ家に住むジョナサンは一緒ではない。彼はセオに気づくと、口角を少しだけあげて彼女に近寄った。昨日の事はあまり気にしていない様子だろうか。

「おはよう、ディオくん。」
「おはようセオ。どうしたんだ?ぼくに用事かい。」
「・・・き、昨日の事、ディオくんに謝りたくて。あんな暴言を吐いて、ディオくんを殴って、本当にごめんなさい。」

 セオは頭を下げる、誠実に、ただ昨日の事を悔やんで謝った。そんな彼女を見て再びディオは驚いた、自分の失態をここまで見詰め直して謝罪出来る人は珍しい。しかも昨日あんな姿を見せたセオからは想像はできなかった。まるで昨日のあれは誰かに操られたか二重人格だったかのような、今の彼女自身からは、本当に、考えられない。

「・・・いいんだ、気にしないでくれ。ぼくもエリナにとんでもないことをしたと反省している。だから・・・ぼくも、ごめん。」

 そんな誠実な彼女には、しっかり謝る態度を見せた方が良いだろう。ディオも申し訳なさそうに頭を下げた。彼も昨晩はかなり悩んでいた、どうやってセオとの関係を修復すればいいのかと。このまま彼女を放っておけば、ジョナサンとの仲は裂けない。だからといって自分から謝るのは癪だった。そんな時にセオから謝罪をしてくれたのはとても都合がよかった。

「お互いに許し合おう、ぼくも女の子に酷いことはもうしないし、・・・セオ、君も暴力はやめると言ってくれ。」
「暴力は、やめたい・・・んだけど、どうしても我慢できなくなってしまうの。情けないでしょう、女の子なのに。」
「我慢できない、のか。」
「そうなの。だから、もしわたしがまたああいう風になったら止めて欲しい。」

 セオ自身も自分の『悪い癖』にはかなり困っているようだった。しゅんと凹んでいる彼女に対して、ディオはほのかに優越感を覚えた。じゃあ許してやるよ、と言いたいところだが、自分にもセオに対して非がある行動をしているので、その言葉は呑みこむ。

「わかった、君がまた昨日の様になったらぼくが止めるよ。」
「・・・よかった、これでディオくんと仲が悪いままになったらどうしようと思った。」
「ぼくもだ。」

 ディオは顔に笑顔を浮かべる。セオも釣られてぎこちない笑顔になった。




「ディオくんに悪いことしちゃったんだよなあ・・・。」
「ディオがどうかしたのかい?」

 放課後、である。セオはジョナサンを誘って、街の港で船を眺めていた。港の関係者立ち入り禁止の柵によっかかり、煤を吐く船に向かってつぶやく。ジョナサンはセオが何の事を言っているのかさっぱりだったので、頭にハテナを浮かべた。

「昨日ね、ディオくんが男の子たちと女の子をいじめていたの、だから・・・その、つい。」
「・・・まさか。」

 セオと付き合いの長いジョナサンは直ぐに察した。彼女が拳を振るい上げる姿を想像するのは簡単だ。セオは、うん、と頷き、大きくため息をつく。

「ディオくんを殴っちゃったの、今日謝ったんだけど、すごく後悔していて。」
「・・・後悔しているならまだよかったよ。あれだけ気をつけてって言っているのに!」
「気を付けたけどだめだったの!ああ・・・許してもらえたけれどもショック・・・。」
「またこれから気をつけよう、最近はだいぶ我慢できていたんじゃないかい?」
「うん・・・でも、学校の男の子にばれちゃったし。」

 はー、と、もう一度大きくため息をつく。ジョナサンは苦笑いでセオの頭を撫でた。そして彼は船の方に目をやり、頬杖をついて同じようにため息をつく。

「・・・ディオは何故か知らないけれど、ぼくにいじわるをするんだ。」
「ジョナサンに?」

 ジョナサンも心に溜めた靄を吐き出す。最近のディオとの出来ごと、ボクシングの事や友達に変な噂話を流された事などを思い出す。どうも彼は自分の事を良く思っていないようなのだ。具体的に話を出すのはセオに余計な心配をかけそうだったので、ちょっと思い当たることがあるだけで、とだけ言う。

「思いすごしではない、と思うんだけれど。」
「どうにも出来ない事があったら言ってね。」
「・・・暴力はだめだよ。」
「もうやらないって!」

 友達は離れて行っても、セオはこうしてすぐそばにいること、ジョナサンはそれに満足だった。彼女は友達の中の誰よりもジョナサンを信頼していて、ジョナサンも彼女を一番に信頼していた。





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