trance | ナノ



 セオの最近の趣味は世界の歴史を漁ることだった。SPWの検査がない時、……検査中でも、暇な時はほとんど本を手放さない。彼女が眠っていた100年の間に世界は大きく動いていた。革命、独立、解放、戦争、和平……。「生前」には想像すらできなかったハイテクノロジーな世の中は、ついていくことだけでも大変だが、その背景を知らないでは理解できないものも多い。
 受験目の前の承太郎や、時間がありそうな時にはホリィにお願いをして、県立図書館で本を借りてもらっている。大きな図書館なので、英語の図書や資料が豊富で、日本語初心者のセオでもこの日本で気軽にものを知ることができる。

「おお、セオ。今日も読書かの。」

 誰もいない空条邸、そのキッチン、である。
 セオは淹れたばかりの紅茶の香りを楽しみながら、今日も今日とで本を読んでいたところだった。そこにひょっこり顔を出したのはジョセフである。彼は付き人らしい黒服にサングラスの男と共にキッチンへ入ってきた。ジョセフはもうすっかりセオを友人の1人として見ているようだが、あいにく黒服の方はまだセオを危険だと思っているらしく、眉間のシワは深く、うっすら透けるサングラスの向こうの目は、細く、セオを睨んでいる。

「こんにちは、ジョセフさん。」
「どうもどうも。ホリィと承太郎は?」
「ホリィさんは夕食の買い物、承太郎君はまだ学校です。」
「ほうほう。……ああ、お前さんは車に戻っておいてくれ。」

 ジョセフは黒服の男にひらひらと手を振る。黒服の男は言われるまま家を出て行った。玄関の引き戸が開き、閉じる音を、ジョセフは確認した後数秒黙り、そして口を開いた。

「その後、具合はどうかね。」
「穏やかにやっています。」
「お腹は。」
「まだ実感のない大きさなのですが、確かにこう……何かがいるなぁと。」
「無理はするなよ、……とは言っても、本の虫には関係ない言葉かのう。」
「心遣いありがとうございます。」
「……。」

 日本式に頭を下げて感謝を述べるセオに対して、ジョセフはどこか不満げであった。そんなジョセフにセオも不満ではあるが、なにが不満なのかと率直に聞けるような間柄ではない。

「なーーんというかのう、他人行儀というか……もうちっとフレンドリィーにしてくれてもええんじゃないかの!」
「フレンドリィー……。」
「元はエリナおばあちゃんと祖父の友達じゃ、DIO亡き今わしらは歩み寄ってもいいと思うんじゃ。」

 そのDIOのことが自分の心を苛んでいるのだ、と、セオは言うことができない。ジョセフはセオと歩み寄りたい一心なのだろうが、そのセオ最愛の人が亡くなったと言う事実を軽々しく口にするジョセフに、セオは眉間にシワを寄せた。

「なあセオ、君が吸血鬼で、あのDIOやエリナおばあちゃんやジョナサン……おじいちゃんと同じ時代に生きていたというのは分かるんじゃが、君はリサリサとジョージ二世という名前に聞き覚えはないかね?」

 ジョセフおじいちゃんの口から「おじいちゃん」「おばあちゃん」という言葉が出てくるのは面白いな、と、質問をされたセオは質問に関係無いことを思って少し笑った。
 質問の答えは結論から言うと、考えても身に覚えの無い名前だった。ジョージというのはジョナサンの父親なので分かるが、二世と言われると分からない。リサリサという名前は聞いたこともない。

「うーん……ジョージというのはジョナサンのお父様の名前ですけど、二世は聞いたことがないです。」
「わしの両親の名前なんじゃ。ジョージ二世はジョナサンとエリナおばあちゃんの子どもでな。」

 なるほどだから二世なのかとセオは納得した。

「ジョナサンが死ぬ前にわたしはディオに殺されているから、その後のことは知らないんです。生まれ変わってからも教えてもらっていないし。」
「うん?セオはDIOに殺されたのか?」
「はい。ちょっとした手違いですけれど。スピードワゴンさんあたりが話していませんでした?」
「いいや、君のことはエリナおばあちゃんしか話さなかった。」
「知っていてくださる人もあまりいないでしょうしね。」

 そう口にすると寂しい気持ちもある。

「そうだ、今日はセオに見せたいものを持ってきたんだった。」

 そう言ってジョセフは手提げの中を覗き込んだ。取り出されたのは1枚の茶封筒。彼がその中から引き出したのは、2L版ほどの大きさの写真だった。

「そ、それ。」

 セオはその写真が何なのかすぐにわかった。その昔……セオにとっては数年前の感覚なのだが、ジョースター家が当時珍しかった写真機を使う機会に恵まれ、その時に撮った写真だ。撮ったのはジョナサンとディオが表面上は和解した後のことである。当時は単にディオもジョナサンに歩み寄ろうとしようと心を入れ替えたのだと思っていたが、今になっては、あの和解もディオの策略で、虎視眈々とジョナサンを陥れる機会を狙っていたのだと察することができる。 
 その写真にはあの屋敷で働く使用人や料理人、庭師の他にも主治医と、特別親交の深かったセオとその父ヴァントーズも写っている。その写真は人数分撮ってあって、全て焼き切るまで半日ほど同じポーズで立っていたのを覚えている。セオの家にもあるはずなのだが、ヴァントーズのいない今、それがどこにあるかはわからない。セオという跡取りが消えた今、フロレアール家はもう途絶えているのだ。
 まさかその写真を今ここで見られるとは思わなかった。セオの目から涙が溢れる、彼女は無意識だった。

「……もう見られないと思ってた。」

 それは写真そのものではない、死んだ父親とジョナサン、そしてディオのことだった。肖像画も遺影もない彼らの顔をこうしてみることができるなんて。
 ジョセフはセオに写真を手渡し、椅子に腰掛けた。

「お父さんも、ジョナサンも、ディオも……。」

 遠い異国に埋葬されたであろう父親、死体の残っていないジョナサンもディオも、もう記憶を蘇らせるほかその姿を見ることはないと思っていた。

「これはエリナおばあちゃんが持っていた写真じゃ。多分、ジョナサンの私物だったのだろう。」
「そっか、懐かしいなぁ。」

 震える声も、止まらない涙も、セオは我慢することはなかった。

「その写真、セオにやろうと思って。」
「いいんですか?」
「ああ、わしの知らない人しか写っておらんし、DIOが写っているのは……なんというか……。」

 夢見が悪いと言うかなんと言うか。そう言ってジョセフは申し訳なさそうにそっぽを向いた。

「大切にします!」

 セオは写真を丁寧にテーブルの上に置き、彼女も椅子に座る。頬杖をついて写真を眺める彼女は、本当に幸せそうだった。

「……持ってきてよかったよ。君は本を読む以外やることがなくて、いつもふさぎ込んでいるようだとホリィが言っていたからのう。」
「あー……。」

 ふさぎ込んでいる、と言われればそうかもしれない。吸血鬼になった所為で外に出られないし、ラジオだとかテレビだとか現代のメディアにはまだ慣れていないから、本を読む以外にすることがないのだ。ホリィも事情は知っているとはいえ、はたから見れば引きこもりに見えなくもない。とはいえ、ジョセフと承太郎がエジプトから帰ってきたときに連れてきた、家族でもなんでもない小娘。「ひいおじいちゃんの友達じゃ」と紹介されたセオを見たホリィは、最初は驚いたものの、少々単純だが明朗で優しいその性格ゆえに、セオを娘のように迎えてくれた。しかしそんな『他人』について悩んでいてくれたのは素直に嬉しい。

「まぁ……だから、なんだ。確かに今のセオは居候かもしれんが、わしらの『身内』の1人になったこと、忘れないでくれよ。」
「身内……。」

 ジョセフはセオの後頭部を優しく撫でると、それじゃあ、とだけ言って台所を出て行った。一瞬ぽかんとしたセオは、ジョセフを見送るために慌てて立ち上がった。数ヶ月過ごして歩き慣れた廊下を、セオはばたばたと走った。





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