trance | ナノ



 1890年9月24日。明日は北米大陸横断レース『SBR』当日である。セオはニューヨークからの長い旅を終え、レースのスタート地点であるサンディエゴビーチにやってきた。
 晴天、このまま海に飛び込んでも構わないような気分。レースのゴール地点であるニューヨークからの旅には疲れたが、それも吹っ飛ぶような爽快さだ。会場付近には沢山の人が集まっている。選手たちの中にはテントを張って明日を迎える者もいるようだ。

「ラーム。」

 セオは自分の相棒を呼んだ。ラームはサラブレット種で青鹿毛色のオス、太陽の光を反射した黒色の毛並みが美しい。ラームはヘブライ語で雷を意味している、彼に出会った時に丁度読んでいた本に出てきた単語だったのでこれを名付けた。
 井戸水をバケツにすくってラームの目の前に差し出す。息遣いが水分不足の時のそれになっていた、日の照っているビーチは慣れない場所だ、彼の体調は普段以上に気を使わなければいけない。

「君、ちょっとそこ良いかい。」
「・・・あ、失礼しました。」

 井戸の前で水を飲ませるのはよくなかった、後ろにいた人の水汲みの邪魔になってしまった。ラームの手綱を引きながら、バケツを井戸から離して場所を空ける。視界の端に金色が見えた。自分に声をかけたのはどんな人だろう、そう思って目線をあげて――

 知らない人だったはずだ。生まれて20年、一度も出会ったことのない人。その顔も、姿も、声も、なにも知らない人、だった。それなのにセオはこの人物を知っている。さらさらの金髪に、人を射ぬく鋭い視線。すらっとした背筋、筋肉のついた凛々しい姿。

「ディオ?」

 その人の名を、セオは呼ぶ。

「いかにもオレはDioだ、が、」

 井戸からこちらに向き直した男と視線がまじりあう。男の目ははっと開き、セオの姿を上から下までさっと見た。がたん、と、音を立てて、男が持っていたバケツが落ちる。彼はよろよろとセオに歩み寄り、彼女の両手を掴んだ。

「セオ、君なのか?」

 知らない人だったはずだ。生まれて20年、一度も出会ったことのない人。その人は間違うことなく、セオの名を呼んだ。知らないはず、なのに懐かしい声、唇がはっきりと動き、彼女を呼んだ。

「ずっと探していたよ。」
「おれも、・・・おれも探していた。」

 セオは彼をずっと探していた。セオは彼・・・ディオ・ブランドーの手を握り返し、その胸にそっとすり寄った。暖かい、すこし早まった胸の鼓動が伝わってくる。お互いに生まれ変わって全く違う人になってしまったが、それでも分かる、魂が記憶している、彼は間違いない、セオがずっと探していたディオ・ブランドーで間違いない。彼の顔を見上げる、昔の面影の残る瞳が自分だけを見ていた。

「セオ・フロレアールです、はじめまして。」
「ディオ・ブランドーだ。」

 遠い昔、2人が初めて出会った時の挨拶。それをもう一度ここに交わす。セオは笑って、濡れたまつ毛をディオの胸に押しつけた。






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