trance | ナノ



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 何年前か、イギリスの大英博物館で開かれた展覧会のカタログ。分厚い。沢山の作品が出品されたらしい、100年前では考えられなかった美しさのカラーの写真が沢山載っていて、かなりの厚さ大きさになっている。天使、イエス、羊、地上に暮らす民、白い鳩、聖母、裏切り者、宗教画を集めた写真集は、本物そのものでなくてもその神聖さが伝わってくる。
 ベッドに横になり、カタログを眺めるディオ。彼の横には丸まって眠るセオがいた。

 ジョースター達がカイロに入ってから、ディオの生活のリズムは崩れつつあった。決して奴らへの恐怖ではない。起きていても寝ていても、近くに感じるジョースターの血が、ディオの内部、心に振動を与えるために、眠りにつけず目が冴えてしまうのだ。そんな彼に付き合って生活のリズムを崩しているセオは、気づけばいつの間にか眠っている。今も美しい絵画に癒されてしまったらしい。 ヴァントーズが働いていた場所で作成された本だったので始めは興味を持って読んでいたのだが。


 かつかつ、と、ドアをノックする音。
 ディオは本から顔を上げる。セオは起きない。

「お休み中失礼いたします。ご存知だとおもいますが・・・10分ほど前、ジョースターたちがこの館へ侵入いたしました。」

 廊下にいるのはヴァニラだった。
 ディオが先ほどから館の中にジョースターの血を感じていた、それは間違いなく疑うことなくジョセフ・ジョースターとその孫のものだった。他にも邪魔な者がいるようだが、ディオにとってはそちらは取るに足らない。彼は未だ丸まっているセオにシーツをかぶせた。カイロはイギリスに比べて暖かい気候だとはいえども、石造りの館内は冷える。




 セオにとっての青春、それは幸福な日々だった。優しく誠実な父親、多くの友人がいたこと。特にそばにはいつもジョナサンとディオが居たこと。大学に進んで研究をする許可を得られ、歴史学に身を投じて没頭できたこと。大学は女性とくらべると男性の方が圧倒的に多いにしても、幼少の頃からの親友とその後出来た友人と離れずに同じ大学に通えたこともセオにとっては最高の幸せのひとつだった。
 ジョナサンとは分野がやや似ていたが、3人は別々の学科に進んだ。それでも交流は途切れなかった。いっとき仲の悪かったジョナサンとディオもいつしか切っても切れない友情で結ばれ、それはラグビーで特に顕著に見られた。セオの目には時々、形容詞難い空気が2人の間に流れているように見えていたが、あの日以来いざこざはなかった。
 全ては順調に進み、彼女らを大人にさせてくれるはずであった。しかし思い出しても苦しくなるようなあの晩の出来事、忘れようとも忘れられない。今となってはその元凶であるディオはセオの最愛の者となったわけだが、当時のセオにとっては悪夢でしかない存在にも見えた。そんな2人が結ばれたのだから運命もよくわからない。


 セオは今でも夢にみる、それも頻繁に。
 青々とした草の広がる原っぱに、今よりも視線の低い自分が立っている夢だ。そよそよと風が吹いていて、雲はゆっくりと流れている。道の向こうからは親友が走ってきて、さあ図書館に行こうと誘ってくれるのだ。その隣には時々、鋭い目つきをした気の強い友人もいる。2人、時々3人は、あそこへ行こうと言って歩き出すくせに、延々と何かを話しながら、街や草原や立派な屋敷の中を歩き回るのだ。何を話しているのか、声は聞こえないためにわからないが、3人は楽しく笑っている。まるてこの世に不幸はひとつもないと言うように。
 セオは夢を見ながら思う。自分はこの親友に、本当に恋心のひとつも抱いていなかったのかと。何度考えてもそれは考えられなく、友情の一言で済むのだが。もしもこれが男女間に生まれる愛情だったならば、今は彼の敵であるもう1人の友人と一緒にいる自分はとても滑稽だ。そんな人間になりたくないから愛情を否定している、なんていうことは決してないのだが。


 今もセオは夢に見ている。
 ジョースター邸のバルコンには、お呼ばれしたセオとヴァントーズ。そして館の主であるジョージ、その息子のジョナサンとディオ。5人は穏やかに会話をしながら美味しい紅茶を飲んでいる。一番口を開いているのはジョナサンだ、何か、学校での出来事を話しているのだろう。テストの結果が良かったのか、体育で活躍できたのか、嬉しそうに身振り手振りを大きくして父親に話している。隣ではディオが口角を少しだけあげたいびつな笑みを浮かべ、ジョージは嬉しそうに微笑んでいる。セオとヴァントーズもジョナサンの話に興味深く耳を傾けていた。
 現実に何度もあったような光景だ。セオがヴァントーズと共にジョースター邸を訪れると必ず、こんな風に茶会を開いていた。
 セオはこの時代に帰りたいと、ジョナサンやヴァントーズがいて、一番幸せに思えたこの時代に巻き戻って欲しいと思っているのだろうか。だから愛する人を差し置いてこんな風景が夢に浮かぶのだろうか。

 は、と、セオは目を覚ました。夢で見た風景はまぶたの裏にしっかり残っている。目を開けるとそこは暗い寝室。天蓋から垂れるカーテンと冷たい石の壁が目に入った。がっかりしているわけではないが、妙に落ち着いた気分だ。

「起きたか?」

 愛しい人の声。ディオがベッドに腰掛けている。彼の姿を捉えて、セオはふんわりと幸福感が帰ってくる気分になった。

「・・・おはよう。」
「まだ起きるのには早い時間帯だが起きてくれるか?」
「うん、起きる・・・どうしたの?」
「ジョセフたちが館に入ったのだ。」
「・・・あ。」

 す、と、胸の充足感が消え去る。ジョセフが到着した、ということは。ついに始まるのだ、避けられないことだがその日が来ないで欲しいと願った運命の時だ。
 セオは上体を起こし、シャツやスカートのしわを伸ばした。

「塔の上に行ってくれ。日が落ちたら暖炉の中から外に出るんだ、中に梯子がついている。掃除はしていないが今は気にしている余裕はない。」
「ついに来たの。」
「ああ。」

 ディオはそっとセオを抱きしめる。行ってきますのハグだ、まるで新婚夫婦のような。セオは彼を惜しんで離れたくなかったが、ディオはそうしてくれない。
 ぐらぐらと壁が揺れる。パラパラと天井から砂が落ちてくる。激しい戦闘が繰り広げられているようだ。テレンスやヴァニラはどうしているのだろうか、あと、あの吸血鬼も。

「塔の上、外に出たらどうすればいい?」
「ジョセフの最期は見たくなかろう、夜が開けるまで、危険でないのならばそこにいてくれ。一晩で終わらせる。そうしたらまたこの部屋で。」
「この部屋で。」
「館内は戦闘で荒れるだろう、安全な場所は一つもなくなるかもしれん。」

 塔の上の部屋、ディオの棺桶が置いてある場所だ。窓は全て閉ざされて、高い位置にあるにしては埃っぽく湿った場所。確かにあそこには暖炉があった。
 セオには、自分が非力な女である自覚が十分にある、とっさに暴力的になりはしても、戦闘の経験はない。だからディオについて行ったところで役に立つはずはなく。むしろ足を引っ張るのなんて目に見えてわかる。だが一応訊いておきたいことがあった、こんなこと口にするのは憚られるのだが、自分の幸せにも関わってくることだ。

「ところでだけれど、わたしがジョセフさんにとどめを刺すのは無し?」
「・・・急に何だ。」
「もしもチャンスがあったら、さ。」
「奴はこのディオが殺す。もちろん孫の承太郎もだ。」
「あ、お孫さんもいるのね、ジョウタロウ。」
「他のやつならいくらでもいいが、ジョセフと承太郎はおれが殺る。」

 ぎらりと輝く赤い瞳は本気だった。まるで返り血を浴びたような、しかし鮮やかさの消えない赤い色。見つめて離せなくなるようなディオの瞳を、セオは一晩会えない寂しさを埋めるように目に焼き付けようとした。

「わかった、じゃあ、行くね。」

 不自然に丸い穴の空いた扉を開き、ディオの方を一度振り返って、そして静かに扉を閉めた。下の階から激しい戦闘の音がする。誰と誰が争っているのだろうか。ディオがここにいるということは、ヴァニラかテレンスという選択肢に自然となるのだが。
 しかしセオには気にしている時間などない、塔に向かおう。螺旋階段をくるくると駆け上がり、到着したのはあまり入ることのない一つの空間。
 中心、台座のように設えられたスペースの上にはディオの棺桶。セオはまっすぐ暖炉に向かった。マントルピースにはしっかり埃が溜まっていて、テレンスすら入れないこの部屋がどれほど大切な空間なのかを表していた。暖炉自体は使われていないらしく、煤の黒っぽさは見られない。中を覗き込むと、ディオの言ったとおり梯子がついていた。幸いに蜘蛛の巣などはない、するすると上がっていけた。
 さて、日没まであとどれくらいだろうか。煙突のてっぺんに、斜めになった太陽からの光が少し入り込んでいる。あまり上に行き過ぎると消滅してしまう。もういいかと思って頭を出してしまって間違って頭部が消えましたともなりたくない。完全に日が落ちて星が見えるのを待とう。セオは煙突の半ばほどで脚を梯子に引っ掛けて一旦止まった。





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