trance | ナノ



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 イギリスのとある街、である。満月が終わって段々かけていくその途中の月が空の天辺に登った頃、一人の男が街外れの墓地にやってきていた。周りにその姿を見せないようにと全身を麻布のマントで覆ったその男は、何十年も前に作られ今ではすっかり薄汚れてしまった墓の前に立ち、ゆっくりと片膝を芝の上に下ろす。


FAITHFUL MEMORY
DIED 1st DECEMBER 1888
AGED 20
セオ・フロレアール


 愛しい女性は自分の失態によって死んでしまった。男は墓標を優しくなで、その前に眠っているであろう棺の主を思い、地面を見つめた。目覚めを待たずに自分と同じ存在にしてしまえばよかった、なんて、今さら遅いことを後悔する。
 大きめのスコップを勢いよく地面に突き刺し、ざっくざっくと土を掘り起こす。男はただひたすらに土を持ち上げてはよそへ捨てた。50cmほど掘り進めたところで、カツンと今までの土とは違う感触がスコップに当たった。ついに目的の棺にたどり着いたようだ。木製の棺はすっかり朽ちていて、蝶番の部分は引っ張れば直ぐに外れそうだ。男は、ばきん、と、無理やり鍵を外す。少しだけ開けると、腐臭はしないが、古臭い空気の匂いが漂った。男は中を見ることをためらわず、一気に蓋を外す。
 中には女性の、元女性の姿。白骨化はしておらず、不思議なことにミイラのように、乾燥した肉がうっすらと骨にくっついて残っている。頭髪は抜け落ちていてほとんどない。埋められた時に着ていた黒いドレスはボロボロで、下手に触ったら直ぐに敗れてしまいそうだ。
 待ちに待ったこの時。直ぐにでも墓を見つけてまたその身体を抱きしめてやりたかったが、子孫が一人も残っておらず、知っている人も自分とは敵対する位置にあるため、長い間捜索に費やしてしまった。それが今、自分の手によって、再びこの世に、生まれ変わる。男は自分の高揚する気持ちを抑えながら、棺に横たわる女性の首元に爪を差し込んだ。ズブ、と、指先が第一関節まで突き刺さる。そこからどくどくと体液を送ってやると、直ぐに女性のミイラには変化が起きた。もやもやと蒸気が浮かび上がる。白い煙で棺が満たされ、身体全体が見えなくなってしまった。じゅくじゅくと肉のうごめく音がして、それは1分ほど続く。音が消えて蒸気が薄くなった時、棺の中で何かが動いた。
 ゆっくりと起き上がる女性。髪は艶やかで、肌の色もすこぶるいい。眠そうに半開きにされた目は焦点が定まっていない。まるで昼寝から覚めたように女性は目をこすり、あれ、と、周りを見た。

「・・・ディオくん?」

 傍に立つ男と女性の目が合う。100年ぶりに聴いた彼女の声は、昔となにも変わっていない。鼓膜を心地よく震わす。

「セオ、久しぶりだな、ずっと会いたかった。」

 ディオと呼ばれた男は目の前の女性――セオの手を取り、ぎゅうと握りしめた。暖かい手の感触が嬉しくてたまらない。ずっと願ってきた彼女の温もりが、ここにまた復活した。自分を見つめるセオの瞳は赤い。それはつまり、彼女がこの自分と同じ存在になってこの世に舞い戻ったということを端的に示していた。

「この時を、ずっと、おれは、待っていた。君を助けると言ったあの夜、おれは結局なにもできずに終わってしまった。君が死んだまま発見されて手厚く埋葬されたと聞いた時は気が狂ってしまいそうだった・・・しかし今こうしておれの前に存在していることを、おれは心から嬉しく思うぞ・・・。」
「ディオくん・・・どうしたの?わたし、あれ、どうして・・・?」

 目の前で項垂れるディオを前に、セオは改めて自分の姿を見る。血の通った手のひら、ボロボロになった服、触るとつやつやと健康的な頬。セオは寝起きの頭を一生懸命に動かした。これは、もしかして。






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