彼女には、自覚が無さ過ぎる。
最低限の家具と、壁ぎっしりに並べられた本棚には隙間なんてないそんな一室。客人なんてくることがないから、家具も、彼女が好きなホットミルクをいれるマグカップもひとつしかなかった。この際、今彼女が使っているものを彼女専用にして、新しいものを買おう。あのマグカップを使おうという根性がない。
小さなテーブルの前にちょこんと正座している小さな同級生。背丈は小さく、座っているとさらに小さな生き物に見える。頬は雪のように白く、なだらかだ。漆黒の髪と対比してよくはえる。呆然と、彼女を眺めていると、視線に気がついたのかパッチリとした黒い瞳を、こちらに向けてきた。
ただ、こちらを見てきただけなのに、誘われているように見えるのは己の邪心のせいなのだろう。
「……夜美。何かありましたか?」
「……また、真也に怒られちゃいまして……」
ほんの少しだけ、困ったように、悲しそうに笑みを浮かべる彼女は痛々しい。
そう、何時だって彼女は壊れそうなのだ。なのに、戦う彼女に敵うものなんて、誰もいないだろう。私だって、彼女と面として戦って勝てる自信もないし、勝ちたいとも思わない。
完全無欠に見えた少女の、不完全な姿はどこか私を惹き寄せてしまう。-―つまり、私は夜美のことが好きなのだろう。
「……どうして怒られたか、わかりますか?」
「真也を、助けようとしたつもりだったんですけど、なんというか……もう俺には関わらないで! って、言われて。また、私は、間違ったことをしちゃったのかなって。ただ、大切だから、守りたいって思っただけだったんだけど……また、だめ、で」
どんどんと小さくなっていく語尾に、俯く彼女。ここで、抱きしめてしまったら、自制がきかなくなってしまうのではないか。だけど、彼女を支えたい気持ちは出会った時から、変わらず、むしろ日に強くなっているほどだった。
彼女の隣に腰を下ろして、そっと、背中を撫でる。これなら、大丈夫なはず。
「……私は、夜美が一生懸命なこと知っています。何時か、真也くんも気づいてくれますよ。そのためにも、もっと真也くんが悲しくならない方法を一緒に考えましょう」
「……はい」
夜美は、素直な子だ。私の話を嫌な顔なんてせず、真摯に受け取る。そんな健気な姿も、俺は好きだった。
この、好きって気持ちを表にだしてしまったら、どうなってしまうのだろうか。
自分の美学が傷つく? 夜美に嫌われてしまう? 夜美の弱さに、一緒になって堕ちていく?
いろいろな心配、不安、そして躊躇いがあって俺は夜美に手をだすことが出来なかった。だしてしまえば、もう止まれないのではないかという不安も、あったんだ。
「……大丈夫です! 貴女なら、きっと」
「消えちゃいたい、です」
励まそうとした瞬間、夜美の口から漏れた弱音。俯いた彼女の顔から、地面へと雫が伝っていく。
それを目にした瞬間、理性が戻る頃には腕の中に夜美がすっぽりとうもっていた。胸の中から、俺の苗字を呼ぶ夜美のか弱い声が、何時も以上に鼓膜を震わせる。
触れることがなかった夜美の温もり、柔らかさ。そこまで気にすることもなかった夜美の香り。ここまで見た目は幼くても、今、腕の中にいるのは女であると強く、訴えられた気がした。
情けない。泣いて欲しくないから抱きしめたのだろう。しかし、今となっては小さな同窓生に欲情しかけている。本当は、抱きしめたかったのではないだろか。建前を作ってではないと、君に触れられない自分が情けない。こんなの、ただのエゴだ。
「ふ、ふうらいさっ」
「今だけ」
「えっ……?」
「今だけでいいです。だから、このまま……」
君は、君自身を慰めるために俺がこうしてると思っているんだろうか。
そうじゃない。本当は、今すぐにでも押し倒して、食べてしまいたいほどには君が好きなんだ。それだけ二人だけの空間というものは、男の本能をくすぐる。
落ち着いたら、警戒心を持つよう注意しないと。
抱きしめる手を強めるという、矛盾を行いながら、俺は今を堪能した。
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