飛鳥と一緒になった後、飛鳥をつれて日本をたち、イタリアへ向かうことになった。だから、日本にいる奴等にケリをつけようと挨拶に回った。花鳥組、田村沙弥に夜美の弟である平城真也。日本で知り合った奴等に声をかけた。寂しそうにする奴がいれば、結婚を祝福する奴もいる。ただ一人、陸だけが俺の諦めた後悔をつついた。
『神社の姉貴は、大丈夫なのか? ……っす』
多分、大丈夫だろうと返した。以前に、神社でアイツと男が楽しげに話しているのを見かけたことがある。如月を諦めて、前に進んでくれた。その幸せを日陰に住む俺がわざわざ阻む必要なんてない。だから、兄貴が大切にしたかった飛鳥を支えることに専念できたんだ。
所謂、失恋話。叶えられる筈もない、馬鹿みたいな初恋だった。
初恋の相手とはいえ、日本では一番仲良くしていた奴だった。挨拶しないのも不自然だと、アイツが勤めていた神社へと足を運んだ。
アイツ、なんて言うかな。きっと、結婚を祝福してくれるだろう。笑ってくれるかな。アイツは、幸せになれてるだろうか。ずっと、無理してたもんなぁ。
寂しさと抑えつけた恋慕がチラホラと沸き上がる。……飛鳥に悪いことしてんな。考えないようにしよう。
それに、ここに来るのは最後なんだ。アイツと会うのも、これで最後。
気分を切り替えて、神社の階段を登りきると、そこには巫女服を着た女が境内を掃除していた。その女は、前なら優のはずだった。とはいえ、もうここには十年くらい立ち寄ってない。また、巫女でも雇ったか……?
ふわふわの茶髪に、何処か見たことがある幼いたれ目の女に近付けば、女は笑顔を浮かべる。
「どうかされましたか?」
「……日渡優の知り合いなんだが」
「……えっ」
「今日は、休みか? それとも、止めたのか……いや、寿退社ってやつか? 教会、じゃねーわ、神社にそういうのあるかわかんねーんだけどよ」
「…………」
女は、気まずそうに視線を泳がせる。どこか嫌な予感がして、問いだそうと手を伸ばす。
「優なら、世を捨てましたが?」
後ろから、男の声が耳に入った。その男は、優を支えるだろうと思われた風来灯真で、風来は茶髪の女に何かを差し出しにここへ来たらしい。
「……世、捨て? なんだ、それは」
「彼女の母親は、八年前に亡くなりましてね。この世の柵や心残りが一切なくなったそうです。なので、死にました」
ズクリと心臓が震えた気がした。痛みが頭までかけ登り、殴りつけた感覚がする。冷水をぶっかけられ、悪寒に体を震わせた。
「……お、お前、お前……! 優のっ! 優の、恋人かなんかだろ。な、何してんだよ!? 何、平然としやがるんだ!!」
衝動のままに風来に掴みかかろうとすれば、その手を風来に捕まれてしまった。無表情を浮かべていた風来は、にっこりと笑みを浮かべる。
「貴方に関係ないでしょう?」
「なっ……んなわけないだろ!」
「十数年、いや……四捨五入すれば二十年もここには足を運ばなかったくせに」
「それは、俺が優の側にいちゃアイツの幸せを邪魔することになるから……」
「だから、関係を断っているんですよね?」
冷たく言い放つ風来の言葉が胸に突き刺さる。
優の母親が死んだ? アイツの親は母親しかいなかったはず。だって、離婚したって。
え、コイツは優の旦那か何かじゃねーのか? 優は、恋人とかそういうの居なかったのか? じゃあ、友達は? 柵や心残りがないって、どういうことだ。
「……私と優は、ただの腐れ縁です。それ以上でもそれ以下でもない」
「……でも」
「何故、彼女に執着するのですか? たしか、飛鳥さんと祝儀をあげたと伺ったのですが」
はて、とわざとらしく首を傾げた風来。
約二十年たっても、俺はあの出来事を忘れられない。昨日まで愛しくて欲しくてたまらなかった女が、原型も止めない程に肉塊になったあの日のことを。時間がループする歪んだ空間で無惨に死んだ彼女を目の前で救えなかったあの後悔を忘れられる筈がなかった。
守りたかっただけなんだ。何処でもいいから、笑っていて欲しかっただけなんだ。
なのに、何でまたお前は、居なくなる。
「……優は、幸せだったのか?」
「質問に質問を重ねますか。……まぁ、いいです。粗方理解できますからね」
「頼む……教えてくれ……幸せ、だったのか……? アイツは、笑っていたのか……?」
「笑っては、いましたよ?」
は、と強調した風来の言葉で、嫌に理解した。
やっぱり、お前はずっと無理してるよな。嫌なもんから目を背けて、頑張っていいものを見ようとする。
この世に、優がとどまりたいと思う程の人も、逝かせないようにする人もいないまま、お前は生きていたのか。
気がつけば、頬に涙が伝っていた。茶髪の女が心配そうに俺や風来に視線を移す。風来は冷めた視線で見下し、ため息をついた。
「飛鳥さんのため、心を揺るがせないためにここに訪れなかったんですよね。その判断は賢明です。しかし、最後の最後に訪れたのが悪かった。知らない方が幸せなこともあるというのに」
場に崩れ、地べたに尻餅をついた俺は、前までいた優を思い出していた。なのに、顔がでてこないんだ。大好きだった声すら思い出せない。俺にかけてくれた言葉も、断片的にしか思い出せなかった。ただ、鮮明に思い出せるのはアイツの肉塊。
なんだか分からないあの好きだった温もりは、もうこの世にないのか。俺の中にでさえ、ほとんど残ってないというのに。ただ、欲しくて堪らなかったソレが、本当に手の届かないはるか遠くへと旅立ったみたいで、胸が痛かった。
一番守りたかった笑顔を、俺は……二度も守れなかった。
「……っう」
「決めたことは守りなさい、リベン。このまま、何も知らなかったことにして飛鳥さんを支えなさい。これ以上後悔しないで下さい。優のことは、もう手遅れです。どうにも、ならないんですよ……」
好きだった。守りたかった。大切にしたかった。どこかで笑っていたらよかったんだ。如月に利用されず、苦しい裏社会を生きようとせず、ただ幸せだろう優がこの世にいると噛み締めたかっただけ。
どこかで、なんて甘えた願いだったのかもしれない。それなりの幸せをつかめると思った俺の過信だった。
俺が、アイツを、支えてやれていたなら。
だけど、遅いんだ。
それに、俺には守らなきゃならないもんもある。
アイツへの思いを、切り捨てなきゃならない。
だけど、もし、来世っつーもんがあるならさ、今度こそ……俺がアイツを幸せにしたい。
叶うなら、笑ったお前をもう一度みたい。
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