「とーまぁ、私、もうすぐ死ぬね」
居酒屋で酒を飲んだ優がへらりと笑った直後に、グラスを割ったのは仕方ないはず。
時間がループする歪んだ世界が終わりを告げたのち、私、風来灯真や目の前で酒を飲む女、日渡優の環境は激変した。
俺は、最愛だった思い人を失い、優も優で気になっていた人から、避けられ始めたらしい。そして、優の勧めで書いた話を勝手に賞におくり、もったいない評価を頂いて小説家に転職せざるを得なくなっていた。優は相変わらず神社に勤めていたが、相変わらず恋人なし。
ただ、最近やっと優を紹介してくれと頼む男があらわれ、春でも訪れたかと思ったのに自殺発言。
グラスが割れたせいで店内が静かになるものの、優は私の手をとり、心配そうに怪我がないかみている。
「大丈夫? グラス、刺さってない?」
「……いや、その前に、死ぬってなんですか?」
「刺さってないな。うんうん」
「おい」
「歩実さんがガチの神様になる修行に私も同行することになってねぇ。おっちゃーん! おしぼりとかホウキとかチリトリちょーだい! あとジントニック一つ!」
酔ってるのか酔ってないかわからない素振りでてきぱきとグラスの後処理をする優。
歩実という妖怪は私も知っている。人知を超えた能力を持つ化物だった。その下で優が働いていたのも知っている。
「……それで、なんでわざわざ貴女が死ななきゃならないんですか? まだ、三十路でしょう」
「いやいや、三十路だからだよ。女の賞味期限は切れた。身内は全滅、あと職がなくなりゃ私はおしまい。再就職も難しいだろうね。女にゃ生きずらい世の中だしねぇー…」
グラスを処理しおわった優が店員にホウキやチリトリをかえし、再び飲み始める。何時もより早いスペースで飲んでるのは、酔いたいからなのか。酔いにくい体質のくせに。
「諦めるなんて、馬鹿なことしないで下さい」
「別に諦めてなんかないって。案外、あの世ではモテモテかもよ?」
「……家政婦として雇います」
「ははは。それってただのお嫁さんじゃん。ダメダメ。とーまのヒモになるくらいならのたれ死ぬわ」
「っ、ならいっそ、嫁になればいい。だか」
口に押し付けられた酒のグラス。透明な液体の先で、優が苦笑していた。
「それは、夜美ちゃんのためにとってるんでしょ? 決めたことをやぶらなーい」
物心ついた頃には、優が近くにいた。血は繋がらないが、家族だと今でも思っている。
年上ぶるのは、私の父に私や伊織の面倒を頼まれたから。それを律儀にも今の今まで続けてきた。姉としていろいろ我慢してきたのも知っている。父としては何気ない発言でも、優の足枷にしかなってない。
いまだって、やはり頼ろうとしない。家族当然の私にさえ。
「……まぁ、ぶっちゃけ未練も心残りもないのよね。史織ちゃんも大きくなったっしょ? 凄いいい女になったよねー。手も一切かからないし……伊織には史織ちゃんいるし、アンタだってやってける。……実くんもアイドルだけじゃなくて俳優業も順調だし、……リベンくんや飛鳥ちゃんも、上手くいってるみたいだし」
はっ、と笑いながらジントニックをイッキ飲みした優。店員に今度はギムレットを頼んだ。
「最後の酒に付き合ってよ、とーま」
酒のせいか、涙目になった優。お願いらしいことを一切しない彼女の要求に仕方なく頷いた。
「……カルーアミルクで」
「カルーアきつめのミルクちょーだい、店員さぁん」「すみません。ミルク多めでカルーアうすくしてください」
「あははは! とーま相変わらず酒嫌いなのねぇ! 生いっちゃう?」
「……酒に呑まれたくないので」
「そりゃそうだ」
「あと、さっきの話ですが」
「まぁまぁ、飲みなさんなって!」
無理矢理、優が頼んでいたビールと私が頼んでいたジンジャーエールをあきのグラスに混ぜ、口に突っ込んできた。熱がかけあがり、その後のことは覚えてない。
優のことを知っていたから、この結末は予想できた。頑固な彼女のことだから、私が何を言おうが、消えてしまうことくらい。
目覚めた時には私は自宅のベッドで眠っていて、優と連絡が一切とれなくなっていた。
残っていたのは、ビールとジンジャーエールの後味の悪さだけ。
ジントニック いつも希望を捨てないあなたへ
ギムレット 長い別れ
カルーアミルク 臆病
ビールとジンジャーエールが混ざった酒、シャンディガフ 無駄なこと
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