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その時、由季はチョコを片手に困っていた。唯から逆バレンタインの通告を受ける前に、すでに用意してしまっていたのだ───月に渡す、バレンタインのチョコレートを。渡すな、とは言われてないが、渡したらなにかまずい気がする。だからと言って捨てるわけにもいかず、どうするべきかと思案していた。
「いっそ自分で食べて……ううん、せっかく月のために作ったんだし……。でっ、でも、今年は逆バレンタインで、私からは渡さない方がよくて……」
ブツブツと呟いてみるも、解決方法はまるで浮かばない。
「……いっそ、バレンタインなんて関係ないってことにして……駄目だ、思いっきりハッピーバレンタインって書いちゃったよ……!」
「由季?」
「わぁぁ!?」
後ろから不意に声をかけられ、動揺する。いつの間にか部屋に帰ってきていた月が、優しく由季に微笑みかけた。
「おっ、おかえり、月」
「由季におかえりと言われるのは心が安らぐな。共同生活も悪くない」
心底嬉しそうに呟いた月に、由季は何も言えなくなる。共同生活を始めてしばらく経つが、すごく恥ずかしい。
そこで、自分が手に持っているものの存在を思い出した。チョコ!どうしよう!
チラリと横目で月を見る。着ていたジャケットを脱いでいるところだった。
このまま、月にバレるのも時間の問題だろう。そして、唯にバレてしまうのも。そのうちふたつだったら、どちらの方がまだましか。そんなの考えるまでもない。
「ゆ、月!」
「ん?」
「これ……!食べて!」
月に渡したという事実は残ってしまうが、月ならきっとうまくやってくれる。というか、唯に見つかる前に胃の中に隠してしまえば、流石にわからないはず……!
月はしばらくそのチョコを見つめていたが、しばらくしてクスッと笑った。
「今年のバレンタインは、男が女にチョコを渡すんだろう?私は女になったつもりも、由季を男として見るつもりもないが」
「だ、だって、そう決まる前に、作っちゃったから……!捨てるのももったいないし、それで───」
言い訳でいっぱいいっぱいになる由季を愛しげに眺めた後、月は差し出されたチョコを受け取った。嬉しそうに目を細め、由季に触れる。
「じゃあ由季は、私からのチョコはいらないか?」
「……えっ?」
月は、隠し持っていたチョコをそっと由季の手に握らせた。由季はしばらくキョトンとした顔でそれを眺めていたが、やがてそれがチョコであることを理解した。
「一番愛する人間に、チョコを渡すんだろう?なら、渡す相手は一人しかいない」
「ゆ、月……っ」
「Je t'aime de mon coeur.由季」
「……っ!」
その瞬間、頬に触れるだけのキスをされる。一気に顔に熱が集まって、卒倒しそうになった。まさか、月がこんなイベントに参加するとは……自分にチョコを用意するとは。嬉しいが、やはり恥ずかしさの方が勝って、何も考えられない。言葉が出ない。
「ゆ、月……あの、」
「?」
「ありが───」
感謝の気持ちを伝えようとしたその瞬間だった。
部屋の扉が、蹴破られたのだ。
「「!?」」
「リア充はいねがー……リア充はいねがー……」
蹴破られて床に落ちた扉に足を乗せ、部屋を見渡しているのは───唯だった。
何やらぐったりしているメガネの少年を小脇に抱えている。
「あれぇ……?なんだかここら辺でリア充の気配がしたんだけど……?」
何か仮面を着けているわけではない。のにもかかわらず、その顔は何かに似ている。
「な、なまはげ……」
メガネの少年が力なく呟いた。そうだ、それ!……などと、考えている場合ではなく。
「……みぃつけた」
「ひっ!?」
悲鳴が漏れた。月は由季を庇うようにして抱きかかえ、「逃げるぞ」と言った。
「こら待てこのクソリア充がぁぁあ!!」
「ごっ、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい───!?」
由季に悪いことは一つもないのだが、謝らずにはいられない形相に、思わずそう叫んでいたのだった。
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