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「何やら騒がしいですね……あれは、鷹野唯ですか」
歩実が犬耳をピクピクさせながら呟いた。この騒ぎが起きる前に206号室に来ていたために巻き込まれずにはすんだが、騒ぎはまだまだ続きそうだ。
「人間というのは不思議ですね。チョコの一つや二つであんなに大騒ぎ出来るとは」
「本当にねぇ」
そう言ってお茶を啜ったのはこの部屋の住人である玖鈴である。チョコをもらえるとかもらえないとかで騒ぐ連中を見ていると、なんだか不思議だ。
「まぁ、あたしらには関係ないし、ゆっくりしていってくださいよ」
「そうします」
そう言って、歩実も差し出されたお茶をそっと啜った。
───ガチャッ。
不意に扉が開かれ、二人は目を丸くしてその先を見つめた。その先には、ぼんやりとこちらを見つめ返す湊の姿があった。その手には、大量の───みたらし団子?
「……あ、部屋……間違えた……」
「どうやったら二つ先の部屋と間違えるのか教えてもらいたいですね」
「まぁまぁ。いいじゃん、間違いは誰にだってある」
湊はぼんやりとした表情のまま、こちらを見ている。そういえば、この住人を見るのは初めてかもしれない。
「あんた……男?だよな?よく唯に見つからなかったな。今下から来たろ?チョコねだられなかったか?」
「チョコ……?」
何の話?と言いたげな目で見つめられ、何も聞いていなかったのか、と苦笑した。
「何か今年は逆バレンタインらしいぞ。男が女にチョコを渡す」
「チョコ……」
「渡さなかったらペナルティらしいし」
「ペナルティ……」
無表情ではあるが、少しだけ困ったような声音で玖鈴の言葉を繰り返した。どうするつもりなのかと観察をしていると、持っていたみたらし団子にそっと目をやる。
「チョコよりみたらしがいい……」
危機感を感じてるのかいないのか、さっぱりわからない。玖鈴はこの少年が、少しだけ面白いと思った。
「……お茶でもどう?」
「……え……?」
「そのみたらしを少し分けてくれたら、唯にもあんたからチョコをもらったことにして話してあげよう」
にこり、と微笑みかけた。無表情だった少年の顔が、ほんの少しだけ、嬉しそうに見えた。
「……いい、けど。一本だけね」
ちゃっかりしてんな、と、玖鈴は思わず急須を持つ手を滑らせるところだった。
やれやれ、と言った風にお茶を啜った歩実は、やっぱりこう呟いたのだった。
「やっぱり人間は、よくわかりません」
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