狭間の不思議
人間は嫌いだ。理解ができませんからね。
しかし、最近マンションに住むことになった、ある男が理解できなくて仕方ないです。つまり、嫌いなのでしょうか。
否、嫌いなんて言葉もないし、理解できないものでしょう。
何時間、何日、何ヶ月、何年たっても。きっと。
「こら。ここで寝るんじゃないです」
「……うるさい」
「うるさいとはなんですか。共同スペースだからといって、テレビの前のソファーで寝ないでください」
「ちっ……」
表情が一ミリも変わらないあどけない少年は舌打ちをしたのち、のそのそと起き上がってソファーに腰掛ける。まだ、うとうととしている。
色素が薄い後頭部の髪を見つめ、私はため息を漏らしてしまった。
本当に、意味がわからない。
この男は、たしか篠原湊(しのはらそう)と言ったか。昔、うざい女がいてその女に仕えていた式神が現代、大層心配そうにしていた人間だった。
人間の考えていることがわからない私にとってみれば、この表情すら変わらない人間は全く別の存在のように思える。いや、ほかの生物も同じなのでしょうが。
しかしだ、私は何時だって観察をし続ける。
「篠原湊でしたか。そんなところで寝るなら部屋に戻ったらどうです? ベットくらい用意しているでしょう」
「……」
「……そうですか。なら、風呂にはいったらどうですか。目がさえますが?」
「…………」
「……あのですね」
「うるさい」
こちらを、表情も変えずに顔を向ける篠原湊。しかし、彼の瞳の奥底は怒りに満ちたものだった。というのは、気のせいかもしれませんね。あれです。場面的にそうではないかなーという予想です。
そんなテンプレートでスタンダードな展開で予想するなんて、らしくない。またため息をつきたくなったが、ふとあることを思い出した。
「みたらし……」
「……!」
篠原湊は、さきほどとは打って変わり、些細な変化でしたが、目と瞳孔を開かせている。軽い興奮状態ですね。どうやら、みたらしだんごというものが好きらしいです。くだらないと聞いていた知り合いの話も、たまには役にたつものかと感心した。
ならばと、彼に背を向け台所へと向かった。篠原湊はみたらしと聞いてこちらに興味を示したのか、ゆっくりとこちらに近づいている。身長が私より小さいからか、雛が親鳥についていくように見えたかもしれない。
「……作ってくれるの?」
団子粉などを台所の棚から出した私に、篠原湊はすこし首をかしげて訊ねた。
見てわからないのかと言いたくもなったが、通常ならこの言葉は悪印象になりかねない。最も、篠原湊の反応は例外のケースかもしれないが、とりあえず一般の相手を不快にさせない言葉を使わないように気をつけた。
「はい」
だが、そんな言葉はほぼしらない。
じっと手元を見つめられて、どうも変な気分になる。それに、会話が途切れるのはい心地が良いものではなかった。
こんな姿、もしも知り合いにみられたら「お前なら、料理しなくても実物をすぐ作れるじゃないか」と目を丸められるでしょう。
そうです。私は妖力で、作りたいものを大量生産することも可能です。
しかし、一般のケースから試さないといけないでしょう。
バレンタインという行事では、買ったものより、手作りの方が気持ちがこもっているとか。私には、どっちも同じチョコレートにしか見えない。
しかし、手作りには何かがあるのだろう。
だから、最初だけだから、私は台所に立ち、篠原湊という理解できない人間を考察するためにみたらしを作っている。
湯で、冷やし、そして焼いた団子に醤油やみりん、片栗粉や砂糖に水を煮た餡に団子をつけて、余計な餡をよりのぞき、出来たてのみたらしを篠原湊に差し出した。
「ほら、食べなさい」
「……いいの?」
「はぁ? 貴方のためにわざわざこの私がつくったんです。さっさと食べなさい」
篠原湊は表情を変えることなく、それを受け取って団子を口に含んだ。
もぐもぐと団子に視線を移しながら食べている間も、だれもいない共同スペース全体に響いているような錯覚に陥る。
そして、篠原湊の喉が鳴ったのち、彼はこちらに顔をむけた。
「おいしい。ありがとう」
おかしいことに、私の体がすこし軽くなった気分だ。これが、脱力というものか。呆気にとられるというか、呆れているというか、思わず苦笑を浮かべる私に、私の作った団子と餡の入った器を手にして篠原湊はその場を後にした。
「は? ちょ、え?」
わけがわからない行動に、まともな言葉が発せない私。篠原湊は一度こちらを振り向いて、また首をかしげる。
「くれたんでしょ?」
「そ、そうですが……」
「いただきます」
そして、篠原湊は二階へと向かった。
唖然とその場に佇む私は、声を振り絞る。
「訳がわかりません」
やっぱり、人間は理解できない。
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