マンション化計画 | ナノ


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いくら私が元運動部で走りには自信があったって、全速力で結構な距離を走り抜けば、そりゃあ当然息切れも起きる。
今ではもう見慣れた207号室に無事到着して、扉が閉まる音を聞いた瞬間、私はがっくりと膝から崩れ落ちた。

「また面倒事でも起こしてきたの?」

「……疲労困憊な同居人を見ての第一声がそれはどうかと思うぞ」

つーか“起こしてきた”って何だ、せめて"起きた"にしろよ。
言っておくけど、私が面倒事を起こしたことなんて…………そんなにはないはずだ、多分。

相変わらず容赦ない可愛い顔の同居人・早乙女の毒舌に溜め息を吐けば、どっと疲労が押し寄せる。
今まで必死だった分まで一気に実感したそれに、それ以上の反論をする気力も沸いてこない。

まあ無事に帰宅できたんだ、今はそれを素直に喜ぼう。
と、気分を切り替えようとする私に、そわそわと見守っていたもう一人の同居人、真也は案じるような目を向けてくる。

「大丈夫? 田村さん」

「……まあ何とか」

重い鞄を無造作に置き、ぐったりと床に寝転がる。もう無理だ、自立とかできない。する気力もない。

諦めたきり喋らなくなった私に、いつもの軽さがないと気付いたんだろう。
早乙女も手にした分厚い本から顔を上げて、私に疑うような目を向けた。

「ねえ、まさか本当に面倒事が起きてるんじゃないだろうね?」

「面倒事というか何というか……」

もう一度溜め息を吐きそうになるのを堪えながら、しばしの回想。
再び蘇ってきた情報のことを考えれば、自然と気分も沈んでいく。

「どうやら今日、鷹野さんのクラスで調理実習があったみたいで……」

「ああ……」

「うん、大体分かった、かな……はは……」

皆言わずとも二人に理解して貰えたのは、短くも長く感じるこのマンションでの経験からだろう。

鷹野さんは、料理が苦手だ。
そりゃあもう、鷹野さんのことを変態呼ばわりされる程に好きな市ノ瀬だって、絶対に口にしない程。
噂によれば暗黒物質化するか、下手すると爆発するらしい。
だから毎回、調理実習では調理担当を全力で周囲が阻止しにかかるし、作っても誰も食べてくれない、らしい。
全部鷹野さんの友人である翼に聞いた話だけど。

ただ、今回はどうやら友達に試食を拒否されただけじゃないみたいだ。
全員が鷹野さんの物体Xを避ける中、空気を読まない同じクラスのバカップルが、彼女の作った料理を食べるだの何だので甘い空気を出し始めた……とか何とか。
正しく、KYここに極まれり、だ。

それを教えてくれた翼の表情から察するに、鷹野さんの機嫌はいつになく最悪。
しかも仲の良い男女を見ればリア充とみなし、破滅させたくなるらしい。

つまり、この状況は。

「クリスマスの悪夢の再来だよ……!」

そう遠くない過去の出来事は、未だにはっきりと私の頭に刻まれてる。
……はずなのに、何故か一緒にいた真也は正反対に顔を輝かせていて。

「え、田村さん今日もバイトないの!?」

「そこじゃないから! 確かに今日もバイトないけど今そこ問題じゃないから!!」

「じゃあ今日デ−トできるよね……!? やった! デート!!」

「分かった! 分かったから今その単語を大声で言わないでくれ!! 魔王様がもう帰ってくるんだ! 耳に入ったら駆逐されかねない!!」

必死に注意はしてみるけど、既に私の声なんか聞こえちゃいない真也は、ああ、うん、だめだな、諦めよう……
デートだ! と喜びまくってる真也を止めることは私には無理だ。ついでに無視を決め込んでるらいし早乙女もあてにならない。
がっくりと項垂れながら、私は深々と溜め息を吐いた。

ちなみに翼はというと、今日は安全圏に逃亡するらしい。
くそ、私も今日はどっか安全な場所に行くべきだった……!
この二人がどうにも気になって実行できなかった自分のお節介さが恨めしいとこだ。
今更言っても仕方ないけど。

そんなわけで事情を説明し終えれば、案の定しかめっ面の早乙女が呆れたような顔で再び本に目を戻す。

「君達が勝手に駆逐される分には別に構わないけど、」

「いや良くないだろ!!」

「それよりも向かいの203号室に入った奴らにも、それを忠告してやった方が良いんじゃないの?」

「……203号室?」

何やら不吉な前置きをした早乙女の発した号室に、私は少しだけ身を起こした。

私の記憶が間違ってなければ、203号室は早乙女の言うようにこの部屋の向かいだ。
確か誰も入ってなかったはずだけど、と瞬きをしていれば、ようやく戻って来たらしい真也が私に向き直る。

「ああ、田村さんは知らないよね? さっき三人組が入って行ったんだ」

「高校生くらいの三人組だったね。パッと見は問題起こしそうにないし、変人でもなさそうだから特に気にしなかったけど」

少しアレな言い方ではあるけど、確かにそこは重要だ。
何せこのマンションの住人、一癖や二癖で終わるどころじゃない上に、頭のネジが吹っ飛んでる人も少なくない。
むしろ人じゃない存在だって存在してるみたいだし。

それからすると、普通っていうのはある意味貴重な存在だ。
見た目からして普通じゃない変人がどれ程いるのかって話だけど、その議論はまあ置いておくとして。

「確か女二人に男が一人だった気がするし、面倒事を避ける意味でも挨拶のときにでも注意してやった方が良いんじゃない?」

「あー……確かにそうだな」

「でも、挨拶来るかな……? 最近色々と物騒だし、しない人も多いって聞くけど」

「常識があれば来るんじゃないの? ここは共同スペースが多いんだから」

早乙女の言う通り、台所や風呂は共用だし、必ず通る一階のリビングを利用する人だって少なくない。
真也の言った可能性だってないわけじゃないけど、そういった点では普通のマンションとは違うし、来る可能性の方が高いんじゃないか。

なんてことを考えていれば、一度鳴らされる、インターホン。

「噂をすれば何とやら、か」

呟きながらも立ち上がって扉を開く。相手を確認する必要は皆無だ、危ない奴ならそもそもドアが吹っ飛んでる。
なんて私の予想通り、開いた先には、私とほとんど変わらない背丈の女の子が遠慮がちに立っていた。

ロングの黒髪、平均よりは若干高めの身長。
容姿も雰囲気もごくごく普通の女の子に見える彼女に、覚えはない。
真也達の話に出てた、引っ越して来たうちの一人だろう。

「は、初めまして……!」

その子は凄く緊張したような様子で、勢いをつけて一度ぺこりと頭を下げる。
そうして再び顔を上げると、きっと現時点での精一杯なんだろう笑顔を浮かべた。

「えと、この度203号室に引っ越して来ました、白井由季(しらいゆき)と申します! その……よろしくお願いします!」

これ、つまらないものですが、と常套句を口にしながら差し出された箱はきっとお菓子なんだとは思う。
いつもだったら好物の差し入れに、目を輝かせるところだったけど。
今現在私の視線は、それよりも若干上で固定したまま、完全に動かせなくなった。

包み紙へと控えめに書かれているのが私の大好きな高級お菓子メーカーの名前だとか、そんなことはもう問題じゃない。
穴を開ける勢いで一点を見つめ続ける私に、箱を差し出したままの白井さんは、僅かにその首を傾げた。

「……え、ええと、何か…………?」

困惑してるんだろうってこともしっかり伝わってきたけど、そんなことも今問題じゃない。

さっきは容姿を普通とか言ったけど、前言撤回、全くもって平凡じゃない。
特筆すべき重大ポイントが、彼女の見た目にはあった。

そう。


「…………巨乳」


「はい?」

ぼそりと呟いた声が届かなかったのか、彼女は不思議そうに首を傾げた。

……届かなかったんだよね? そうだよね? これ自覚してないとかいうことはないよね? だて私の手どころか大人の男の手で掴んでも明らかに余りそうっていうか一割で良いから私にそれをくれっていうか、

「何だよ、何だよこの圧倒的な格差というかむしろ神レベルで贔屓したみたいな区別の仕方は……! 何食べたら、いや、まずは生活習慣とかそういったものをぜひとも詳しく、」

「お、落ち着いて田村さん! 大丈夫だよ、田村さんにはすごく魅力がたくさんあるし、胸なんかなくたって、」

「喧しい!」

「あ、あの……?」

巨乳さん、じゃなかった、白井さんは困惑してるみたいだった。どうやら話が通じてないみたいだ。
けど私から率直に言う気にもなれない。出会った初日に胸をくれとか、何だそれ、我ながら悲し過ぎる……!

そんな中で、どう対処するべきかおろおろしている白井さんに差し出されたままのお菓子を、す、と受け取る手があった。

当然意味のないフォローをする真也でも未だに理由を求める私のものでもないそれの主は、今まで奥に座りっぱなしだった早乙女で。
さすがに放置されたままの白井さんが不憫だったんだろう。
……私のせいだってことはこの際スルーするとして、比較的普通の表情で早乙女は彼女の前に立つ。

「わざわざご丁寧な挨拶どうも。あとこいつらはこういう奴等だから全部丸ごと気にしないで、むしろ色々突っ込んでいくと更に悪化して面倒事になりかねないから基本は全て放っておいた方が君の為だと思うけど」

……もの凄い失礼なことを言われた気がするけど、これが早乙女の通常運転だ。気にしない方向でいこう。
ぽかんとしてる白井さんを気にすることなく、その毒舌っぷりを披露した早乙女は、視線は白井さんへと向けたまま、ついと顔を私達の方に向ける。

「僕は早乙女春樹、あっちのデカいのが平城真也、胸がないのが田村沙弥」

「お前らにだってないだろ!!」

「そっちは? あと二人いた気がしたけど」

「あ、はい。こちらも三人暮らしで……」


「由季、大丈夫か?」


私の叫びを綺麗にスルーした早乙女の質問の直後、聞こえてきたのは若いテノールなイケメンボイス。
それにつられて顔を上げれば……また訂正だ。イケメンはボイスだけじゃなかった。顔がめちゃくちゃ整った綺麗な人がそこにいた。

肩までの銀髪、長い睫、特徴的な赤い目に、長身。
……何だこれ、人間? このイケメンっぷりは人間なのか? 同じホモサピエンス? 嘘だろ?

既に人外説すら浮上させつつ、私はじっと彼を見上げた。
……くそう、白井さんといいこの人といい、何が私と違うんだ。あれか。

「……好きな食べ物は?」

「は?」

「いや、この場合は主食? むしろ食べ物で顔って変わるのか? 遺伝? つーかアレだ、その制服桐和大高校のだよね? 歳近いんだし、敬語抜きで良いよ。今後色々接することも多いだろうしさ」

それで打ち解けたら二人とも是非そうなった理由を教えてくれると有難い。今後の参考までに。特に白井さんの方を重点的に。あとお風呂一緒に入ったりして色々確認して………………話が逸れた。

どうやら話についてこれてない白井さんはおろおろと私とイケメンを見比べてるけど、対照的にイケメンは数度瞬きをした後、にこりと綺麗な笑顔を浮かべた。

「では、お言葉に甘えさせて頂こう」

大人びた雰囲気を纏いながら、イケメンは優雅に頭を下げる。

「挨拶が遅れて済まない。私は由季と同居する者の一人、赤城月(あかぎユエ)だ」

大人びた口調でそう言うと、赤城は一度私達の顔を見回した。
そうして、何故か一度早乙女の頭の上で視線を少し止めた後、何事もなかったかのように手前の私へと目を戻す。

……何か見えたのか?
と思って早乙女の頭の上を見ても、ゴミ一つ見当たらない。
…………謎だな。
追求を諦めた私は、再びイケメンに目を戻した。





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