1
*開講、うらちゃん塾
--------------------------------------------------------------------------------
その日、いつでも賑やかな櫂木荘に、聞きなれない人物の怒号が飛び交っていた。
「だから!!何度同じことを教えれば気が済むと言うんですか!!」
「えー?聞いてないよぉ」
「言いました!ここにはこの公式を当てはめると───」
「この公式って何?初めて見たよぉ」
「どうやったら3分前に教えたものを忘れられるんですか!?」
その人物───鬼村碧(通称うらちゃん)は頭を抱えて項垂れた。
共同スペースである一階の机で、教科書とノートを広げながら、天敵の一人である川崎桃と向き合う羽目になっている。
「それを桃が覚えられるように教えるのがうらちゃんの役目でしょ?頑張りなよ」
テレビの前でスナック菓子を食べながら、鬼村の最大の天敵、戌井一真はにっこりと笑う。
とある一件でこんなやつらに弱みを握られていなかったら、家庭教師なんてする羽目にもならなかったのに……と思った。まさに反実仮想───って、いかん、今は数学の時間だ。
「……わかりました。じゃあもう一度この公式を一から丁寧に教えましょう。まずは───」
「なんだか騒がしいな」
「あ、小虎くん」
山月小虎がひょこりと顔を出す。何やら物珍しそうに鬼村を眺めているので、食べていたスナック菓子の袋を差し出しながら説明する。
「あ、あれ、うちの学校の生徒会長。毎週土日どちらか一日、家庭教師をしてもらうことなったんだ」
「なるほどな。でも、家庭教師役なら猿山でいいんじゃ?頭いいんだろ?」
一真の隣で足を組みながらテレビを見ていた祐樹を指差しながら、小虎は尋ねる。
祐樹はバツが悪そうな顔で目をそらした。
「祐樹はね、教えるの得意じゃないんだよ。なんていうか、元からの天才脳だからか、自分の頭の中で完結しちゃってるというか、自分が理解できてるからいい、みたいな教え方しか出来なくて。凡人には理解できないんだ」
「うるせー」
ふん、と鼻を鳴らしてテレビに向き直った。
確かに天才ってそういうところあるかもな、ともう一度鬼村に視線を戻す。
「……あ!この公式ってこういうことなの?」
「そうです!だからその公式を頭に叩き込んでください。何回でも書いてください。もうあなたは体で覚えるしかないので」
「えー、めんどくさい」
「……っ。わかりました。じゃあこの公式見ながらでいいので、さっきの問題をといてみてください」
頬の筋肉をピクピクとさせながら、教科書を指差す鬼村。なんというか、見るからにストレスがすごそうなんだけど……と苦笑いを浮かべる。
そしてなんとなく、ひょこりと鬼村側からノートと教科書を覗き込む。
自分も頭はいい方ではない。こういう人間はどんな風にノートをとっているのか少し気になった。
「……え、すっげぇ見やすい」
重要なポイントもよくわかる。まるで参考書のようだ、と思った。
「え?あ、まぁ……ありがとうございます」
「俺もここらへんちんぷんかんぷんだったんだよな。この公式わけわかんなくて」
「公式が覚えられないということですか?なら、こういう覚え方があります」
サラサラ、と綺麗な字でノートの端に書き込む。なるほど、と思わず声を漏らした。
「この辺の範囲は公式さえ覚えればとけますから」
「あんた教えるの上手いな」
小虎がそう言うと、鬼村は少し照れたように顔をそらした。
それとほぼ同時に、二階からドタドタと階段を降りてくる音が響いてきた。
prev / next