黒猫の思うこと
「さて、どうしたもんか」
思わず独り言を漏らして、あたしこと玖鈴はため息をついた。
一階へ下りながら思い出すのは、人間がクリスマスと呼ぶ日に起こったちょっとした一件──
『えー、と……? どういう状況だ、これ』
出掛けてた珠華を連れて戻った時のリビング、そこには何とも言い難い光景が広がっていた。
まず顔色の悪い沙弥が見えて、その隣を陣取る真也には普段は感じない違和感が少し。
やけに疲れた様子で座り込んでる山月さんに、表情らしい表情は無いが心配そうな高坂さんに。
市ノ瀬さんに至っては、なんで怪我してんだ。
それから、妙に黒い笑みを浮かべた。
『あー、鷹野さん?』
『あは……え? あぁ、帰ったんだ』
『まぁ。それより、なんかあったのか?』
そう聞いた瞬間の、刃物かなんかみてーにギラリと光ったあの目には正直ビビった。
なんつー目をすんだよこの娘は。
……しかし、な。
今あたしが頭を悩ませてんのは、その後のことだ。
『玖鈴、ねぇ』
ずっと大人しかった珠華が、急に袖口をクイッと掴んで。
『どした、うわッ!?』
『はやく帰るの』
振り向いた瞬間、目の前で一瞬橙色の狐火が燃え上がったと思ったら。
『こら待て珠華! っと、悪い。邪魔したな』
茶色のニットワンピースを残して逃げる、銀色の狐の姿があった。
「──あの、入らないのか?」
「へ? あれっ?」
後ろからかけられた声にハッと顔を上げれば、いつの間にかとっくに玄関前に着いていた。
振り返れば、そこにいたのは怪訝そうに眉を寄せた山月さん。
「悪い、考え事しててな」
とりあえず戸を開けて、先に相手を通す。
その右手にあるエプロンに気が付いて、そういやもう夕方かと思い至った。
「なぁ。朝晩のメシって、他の部屋の奴らはみんな揃って食ってるのか?」
「いや、そうこまめに集まるわけじゃねぇけど」
玄関からすぐのリビングに足を踏み入れながら軽く聞いてみると、多少ぎこちなくも案外まともに言葉が返ってくる。
そういや昨日珠華が狐に化けた時、普通に驚いてた奴とそれに対して“知らなかったのか”と意外そうにしてた奴とで半々だった気がするが、なるほどこいつは後者だったか。
「二人はいつも自分たちで用意してるんだよな?」
台所に立ち、聞き返してきたその顔には明らかに“料理とかできるのか?”っていう疑問が浮かんでたから、答えようと口を開きかけて。
そしたら。
「確か珠華さんが、料理得意なんだよね」
代わりに答えてくれた声があった。
「お、いたのか沙弥」
「ども」
手洗いから出てきたそいつの名は、沙弥。
そうなのか、とどこか感心したような声音になる山月さんに和食だけらしいけど、と付け足してから、おもむろにソファーに腰かける。
「玖鈴さん、珠華さんは?」
「お仕置き中」
「おし、」
お仕置き!?
ソファーの背もたれに頬杖をついた沙弥がズルッと滑るのを見て、ついくつくつと笑ってしまった。
変な誤解をさせる前に、訂正することにする。
「なんてな。こないだの態度について叱ったら拗ねたから、頭を冷やさせてるだけだ」
「あ、あぁ」
なんだそういうことか、ため息をついた沙弥に歩み寄る。
ソファーに触れる位置まできて、チラリと台所に視線をやれば、山月さんは既に自分の仕事を始めていた。
働きモンだなー。
「でも、いいの? 今一人にしたら、むしろ悪化するんじゃ」
見上げてくる沙弥に視線を戻すと、ばっちりと目と目が合った。
心配、してくれてんのか?
考えてみりゃ不思議だよな。
あたしも珠華も人間じゃねーのに、ここの住人はわりと動じてないのが多いと思う。
この娘みてーに、気にかけてくれる奴までいる。
管理人がそもそも謎だって言われりゃそれまでだが、慣れってすげーなって思うわけで。
「ここであたしが甘やかしちゃいけねーんだよ。珠華には、友達を増やしてほしいからな」
色々と思うことはあるが、それらは一旦全部飲み込む。
納得したのかしてねーのか、沙弥は小さく「そっか」と返した。
あたしはわりと、ここを気に入ってる。
できれば珠華にも気に入ってほしい。
そんでいつか、みんな揃って賑やかに食卓を囲めたらと思った。
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