見せない本音
ある夕暮れ時、オズベルトは誘拐された。
オズベルトは間借りにも男性であり、多少は喧嘩慣れもしているが、如何せん。相手が多すぎた。
それでも余裕を見せ、ヘラヘラと笑っている彼の後頭部には大きなたんこぶが出来ている。どちらかといえばクセっ毛で視覚で判断は出来ないが、触れば直ぐにわかる程ではある。
そんな彼は腕と足を縄で拘束されて薄暗い倉庫に放り投げられた。
自分みたいな人間を誰が助けに来るのだろうかと自嘲した笑いを浮かべるオズベルトに、何者かが話しかけてきた。
「貴方も、捕まったんですか」
暗闇で相手を認識出来ない上に声も男か女か分からないような声質だった。
ギシギシと縄が擦れる音がしと、コツンと自分の足に何かがあたる感触がする。
「へぇ。君も捕まったんだ」
「まぁ……何時もなら逃げ切れるんすけど……相手が多すぎました。なんか裏の組織絡んでますね」
「アハハ。裏のねぇ……慣れてるの?」
「…………」
その何かがぶつかった部位で足からたどっていき、手にぶつかった所で止まった。
オズベルトの手に水気の帯びた熱い息がかかる。そして、唾液がはじき、ギリギリと縄が悲鳴をあげ始めた。
「ちょっと、気持ち悪いんだけど。君そーゆー趣味なの?」
「手の縄自由になったら、足はなんとかなるでしょ。あと私は女です」
「女? へぇ。ここまで暗くなかったら、襲っても良かったのに」
「…………」
急に黙り込んだ相手にオズベルトはつまらなそうにため息をついた。
未だにオズベルトの腕の縄を歯で千切ろうと奮闘する女は、ふと彼に訊ねる。
「彼女、居ますよね」
「え? 何で知ってるの? 女の匂いがした?」
「いや、ここに捕まった理由を考えたら……」
「理由?」
「夜美さんでしょ」
ピクリと、オズベルトの体がその名前に反応した。
彼女が原因となれば、確かにこの仕打ちを受けた理由に納得できる。
「……羨ましいですよ」
先ほどから、女は変なことばかりしていた。
自分が助かるか分からないのに、誰かも分からない縄をほどこうとしている。自分の女を知っていながら、羨ましいという。
あの女は、誰からも嫌われているのに。
「……恋人かぁ」
「あ、そっち?」
「まぁ……私は、なんつーか……人を愛しちゃダメだから」
「へー。なんか中二くさいね」
「中二なら、どれだけよかったか……私も……出来れば、愛したいですね。思いに答えたい」
懺悔するように、女は口にした。オズベルトはたいして興味もなく、暗闇を睨んでいると、手が自由になったことに気づく。そしてそのまま足の縄をほどく次いでに、女の戯言に付き合っていた。
「何で、愛さないんすか。貴方なら、出来るでしょ」
「愛してるよ」
「なら浮気なんて止めることですね」
「……君には関係ないでしょ」
「関係ないね。だけど、夜美さんが関係するなら黙ってられない」
急に、キツイ口調になった。
女は必死に、はって自分に訴えているみたいだ。
お前は後悔するなと、教えるみたいに。
「夜美さんは、誰からも愛されたことがない。でも、愛に飢えてる」
「それでいて、どうしようもなく自分に自信がない。だから、アンタが浮気をしようが他の女口説こうが黙るしかない。アンタの迷惑になるのが、捨てられるのが怖いんだよ」
「あの人が誰よりも純粋で、脆いのはアンタが一番知ってるんだろ? なら、支えてやってよ」
「夜美さんは、笑顔が似合ういい女なんだ」
綺麗事なのに、女は必死だった。夜美を本気で幸せにして欲しいとオズベルトに訴える。
オズベルトとて、それくらいは分かっていた。
しかし、自分も愛されたことなんてない。愛し方も、分からない。自分には、歪んだ方法しかないと理解していた。
「別に、一人でやれっていう訳じゃないッスよ。夜美さんも居るじゃないですか」
女は、理想論を語る。
自分がしたくても、相手を傷つけてしまう結果しか見えない理想論を。
「やり方が分からなかったら、夜美さんに聞けばいい。歪んでいたら、ほんの少しだけ素直になればいい。ほんの少しを重ねていけば、それは本物になるはずです」
「……君は、」
「何を無駄口叩いてやがる!!」
闇の中から、野太い男の声が、鼓膜を突き破りそうになる。誘拐犯なのだろう。足音が響く中、女はゴクリと息を飲んだ。瞬間、空気を切る音がして男の悲鳴が聞こえる。
「このアマが!!」
「あ゛っ!」
「ねぇ、何、してるの?」
まるで、道を訊ねているかのような口調だった。しかし、その声を発した男の胸にただ一つ、存在するのは怒り。
「俺の女に触るなよ」
けたたましい破壊音に、オズベルトは目を丸くさせた。呆然としたオズベルトの目には、見えるはずもない金色の光が映った気もする。
「し、真也……」
「……よ、よかったぁ……他には怪我したとこ、なさそう……あ! へ、へんなことされてない?」
「あ、ああ……」
「良かった。本当に良かった……!!」
男には、女が見えているのだろうか。本当に安堵して、彼女を抱き締めていた。
そして、その音に駆けつけたもう一つの足音に、真也と呼ばれた男は睨み付ける。
「姉ちゃん」
「し、真也」
「……田村さんまで、何巻き込んでるの?」
「ご、ごめん……わ、私……」
「田村さんを何かあったら、俺……姉ちゃんを絶対に許さない」
「しっ」
男の冷たい一言を吐き捨てたのち、田村と呼ばれた女をつれて立ち去っていった。
そして、残されたオズベルトに、夜美は近寄っている。
見えなくても分かるほど、彼女は泣いていた。
「ごめん……おず……本当に、ごめん……!!」
オズベルトは考える。あれは確か、夜美の弟だったのではないかと。
その弟にさえ嫌われて、たった一人ぼっちの化物は目の前で泣いている。
このままでは、彼女が消えてしまうのではないかと予想されてオズベルトは彼女を抱きしめた。
「おっ」
「は、」
「……?」
「……僕から離れたりしたら、ただじゃすまさないよ?」
君は玩具なんだから、とまた言葉を仮面で隠してしまう。
本当は、ずっと側に居て欲しい。
自分だけを見て欲しい。
だけど、そんなこと今更言えるわけがない。
この闇の様に自分を隠していく。
だけど、ほんの少しは素直になろうと思う。
オズベルトは泣いている彼女をなだめるように、縛るように抱きしめた。
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