人にしてほしいことは自分がしましょう
彼女ーー夜美は、彼に対して最初から苦手に思っていなかった。声をかけられた一声までは、好意的にも感じていた。
ただ、彼の口から溢れた二言目から、その印象は急転下してしまう。
自分が死にたがりだった事実を知っていたこと。自分を殺すために、弟や敬愛する人を酷い目に合わせようとしたこと。
これは彼女にとって、越えてはならない禁忌みたいなものであった。
だから、彼女は彼ーーオズベルトを苦手に思っていた。
オズベルト自身は、きっと夜美を遊べる駒としか思っていないだろう。その事実も感覚ながらに理解できている彼女は、苛立ちを募らせた。
▽△
何時も通りに訪れた放課後。夜美は校舎裏の倉庫で最後の男の頭を回し蹴りで地面に沈めた。
この現場を先生にみられたら、怒られるとさっさとその場を後にした夜美。
彼女の頭には、先ほど自分を倉庫まで呼び出して、襲いかかった男たちをたぶらかしただろう主犯が思い浮かんでいた。
「今日こそぶっころしてやる……」
幼い顔つきで、瞼を一度閉じ、開いた瞬間に彼女の瞳は黄金のような色合いになった。その瞳を鋭く光らせ、鼻をすんすんとひくつかせる。
そして、空を仰いだ彼女は、少しだけ屈み、思いっきり地面を蹴り飛ばした。そのまま脚力に任せて宙に浮いた彼女は、重力に逆らう前に校舎の窓辺に足をひっかけ、さらに上へと上がっていく。
そして、屋上に着地し、顔をあげてニヤリと笑った。
彼女の視線の先には見慣れた忌々しい黒髪を三つ編みに結った男がフェンスの向こう側で腰かけていた。
そのまま背中を押してやろうと彼に歩み寄った夜美だが、振り向いた彼の顔を見て、ギョッと目を丸くさせた。
「な、なにアンタ。その顔」
「……なんだ。夜美か。相変わらず、化け物だね。男十人でも無傷なのはすごいよ」
「いや、そーじゃなくて……」
夜美が先ほどまで浮かべていた狂気的な笑みはどこにいったのか。狼狽える彼女の様子に、呆れたとばかりにため息を吐くオズベルト。
ただ、彼の黄緑の瞳は充血していて、少し腫れているようだった。
「……なんか、あったのか?」
「別に好奇心旺盛なのは悪いことじゃないよ?そうやって天才はその欲求を満たすために研究を重ねて、結果を得たんだから。だけど、余計な詮索は身を滅ぼすってわからない?わからないよねぇ。化け物が、人間に気を使えるわけがないよねぇ」
ぺらぺらと、どうやって溢れているかわからないほど言葉を捲し立てるオズベルト。何時もの夜美ならば、即キレて「うるさいとりあえず死んでくれ」と攻撃し始めるだろう。
しかし、珍しくも彼女は真顔で、彼との距離をさらに縮めていった。
「近寄らないでくれる?君となんかと一緒にいると、僕も化け物くさくなるでしょ」
「……おい、クロヤロー」
「言葉使いも相変わらずだよね。汚ならしいったらありゃしない。さっさと視界から消えっ……!」
フェンスを越えて、オズベルトの隣にきた夜美はそっと彼の頭に自分の手をのせた。
そして、ぎこちない様子で上下に擦っていく。
オズベルトは視線を下に向け、夜美に呟く。
「なに、しているのさ」
「……わかんない」
「は?慰めてるつもり?それとも同情してるの?僕がこんなんで、内心で嘲笑ってるとか?趣味悪いね」
「趣味悪いのはお前だろ」
夜美自身、眉をしかめてオズベルトの頭を撫で続けていた。そして、言葉を濁しながら答える。
「ただ、私があんたなら……こうして欲しいなっておもったから」
「…………」
いまだに撫で続ける夜美の胸に、顔を埋めたオズベルト。
「気持ち悪い」
「してほしいことは、しろって風来さん言ってたから」
「……忠犬」
「うん。あの人の為になるなら私はなんでもいい」
「こんな貧乳じゃ、男を満足させられないけどねー」
ピタリ、と彼女の手が止まった。胸の違和感に、おそるおそる視線を落とすと、ニヤニヤしながら夜美の胸をさわるオズベルトがいた。
「ぎゃああああ!!」
「おっと」
「え、」
オズベルトを殴ろうとした夜美だが、すぐさま後ずさり、避けたオズベルト。そして、その腕の遠心力で夜美は校舎の向こう側に体を傾ける。そして、重力に身を任せざるを得ない状況の彼女に、オズベルトは満面の笑みを浮かべて言った。
「ありがと。じゃあね。化け物」
「て、てんめぇええええええええええええええ!!」
そのまま地面に落下していく夜美を見送り、フェンスを股がって屋上に着地したオズベルトは、独白する。
「」
彼の本音は、誰にも気づかれないまま、溶けていった。
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