ホワイトクリーニング
『この薬を飲めば、貴女は人間になれます』
『うっそ!? 俺飲みたいんだけど!』
『ただし、条件があるのですよ。まず、尾びれを無理矢理人間の足にしているので拒絶反応が起こります。だから、地面を踏む度にナイフで刺されているような痛みがしますよ。そして、十分に舌も回せませんし、肺呼吸にも慣れていないでしょうから声がだせません。それでも、あの男を守る価値がありますか?』
価値がどうかではないんだ。
あの嵐の日に助けられたたった一つの命なんだから、私はその命を大切にしたいだけ。
そう伝えたら、歩実は観念してその薬を渡してくれた。だけど、私が洞窟から出ていく前に歩実は私に忠告する。
『海水には気を付けてください。水は大丈夫ですが、海水に浸かれば貴女は一時的に人魚に戻ります。皮膚が乾けば、また人間に戻りますがね』
その忠告は、帰ってこいと訴えているようだった。だけど、私はその言葉を振り切って、また地上へと向かっていく。
やれるだけ、やってやる。私がどうなろうと、しったことか。
地上の岩場に隠れて、私は砂浜で黒い液体の瓶を手にとった。これで、私の声はなくなる。緊張だってする。不安だって、恐怖だってある。
だけど、命に比べたら安いもののはずなんだ。
その瓶に口をあてて、私は黒い液体を一気に飲み干した。味は意外にもなく、呆然としていると下半身がバキバキと骨が折れている激痛が全身を駆けめぐった。
雷にうたれたような、体験したこともない痛みに悲鳴をあげるにも声が出なかった。
そして、激痛がおさまると同時に意識がとおさがっていく。
ふとあのニンゲンのようなアシが最後に目に映って意識を失った。
▽△
暖かい。
海の中とは違った暖かさだった。
思考が働きはじめて、重い瞼を開くと、白い天井が目に入った。上半身だけ起こすと、白いふわふわした布が周りに揺らいでいて、私はモコモコした布に包まれていた。
ここは、何処なのだろうか。
「ぁ……」
声が、でない。
ああ、そうか。ここは海ではないんだな。喉を擦りながら再度現状を確認して、その布をめくると、ニンゲンみたいな二本足が目にはいった。だけど、黒い斑点が幾つかあって、それは醜いのなんの。
ニンゲンになっても、私は醜いのか。
「目を冷ましましたか?」
揺らいでいた布に隙間ができて、黒髪のニンゲンが現れた。前のニンゲンが真っ黒なら、目の前のニンゲンは真っ白だった。
「貴女が浜辺で倒れていたので介抱させて頂きました。調子はどうですか」
私の隣に、丸い何かに座って話しかけてきたニンゲンに、私は答える術をしらない。
ニンゲンは少し首を傾げていたけれど、私が話せないことを理解したのかいろいろ訊ねてきた。
「なら、文字は書けますか?」
ニンゲンの言葉は歩実のおかげで理解しているつもりだ。
そのニンゲンが私に差し出した紙とたぶん、ペンらしきものをぐーで掴んで文字らしきものを書いた。
『こ こ は』
「……ああ。ここは、いわば病院みたいなところですよ」
『び よ い ん ?』
私の問いに目を丸めたニンゲンが、真剣な表情で顔を見つめてきた。何事かと目を見張ってしまう私にニンゲンは語った。
「貴女の声、私が取り戻します」
『……?』
「いろいろ、あったのでしょうね……それに関しては聞きません。それに通院すれば……貴女の家はあるのでしょうか?」
家らしいものはないと首を振ると、ニンゲンは少し悲しそうな顔をしてならばここに住めば良いと言い出した。
野宿する気満々だし、別にそこまでする必要なんてないはずだ。このニンゲンは何を考えているんだ。
だけど、ニンゲンは優しく微笑んできた。まるで私をなだめているように、ニッコリと笑みを浮かべている。
「私は、日本からやってきた風来灯真と申します。貴女の名前を聞いてもいいですか」
風来と名乗ったニンゲンに、私は動揺しつつも、拒絶することもできず、名前を名乗った。
『や み』
優しくされたことなんて、ほとんどない私に風来は理解できなかった。
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