甘い嗜好概論
『お前、顔はいいよな』
『え……そうなの?』
『姉があんなのでなければ、まだモテたかもしれないのにな……』
「良かったじゃん。チョコたくさんだよ」
下駄箱に入ってる無名のチョコを食べるほど、俺に勇気はありません。
え、皆俺から遠ざかってるよね? (姉ちゃんが)怖いんだよね? 何でバレンタインはこう……何でこんなコソコソしてるの!? し、しかも田村さんに見られるなんて……。
下駄箱に入っていた幾つかのチョコを覗き込んで、田村さんはあっさりとそう呟いた。あああああ……これ脈無しですよねー…。
「……こ、これ義理……」
「バカ言え。ハート型だったり、手作りだったり……女のコの愛情たっぷりのチョコだよ。うん」
『シン、俺挫けそう』
『俺だって辛いんだよ。つか田村は誰かに渡すのかよ』
「あっ……!!」
そうだ。そんなことより田村さんだ。
あんまりバレンタインとか気にしてなかった。毎年俺にはあんまり関係ないなーとか思ってただけだった。毎年くれるけど、姉ちゃんが毒味して一回「青酸カリ入ってる」って言った瞬間、バレンタインが怖くなったんだ。
だけど、今年は田村さんが……好きな人が身近に居る。
ほ、欲しい……田村さんのチョコ……。
「茶藤ー、交換条件だ。バレンタイン限定チョコが欲しければホワイトデー限定チョコを寄越せ!」
「それは無理だがそれ寄越せ!」
「ホワイトデーでチョコ買うのはあんまり好かないんだよ! 世の中ギブアンドテイク!」
さ、茶藤に負けただと……!?
教室に入るなり、カバンから美味しそうなチョコを取り出して茶藤と喧嘩してる田村さん。俺は頭が痛くて痛くて、席について頭を抱えたら、早乙女がポンと肩に手を置いた。
「……大丈夫。田村は義理ですらないから」
「早乙女……! 罵って……俺、今の慰めの方が百倍辛い……!!」
花鳥さんや大梨さんが、なら私達の食べるよねと袋に入ってる割りにタプタプしてるチョコと、確実に岩石と化してるチョコを見て逃げ回っていた。
「…………田村さん」
義理でもいいから、最初にほしかったなぁ。
▽△
この日、茶藤が死にかけてたり、望月君が作ったお菓子がかなり美味しかったり(皆に配ってた)中原実が身体にチョコつけて食べてとか田村さんに迫ったので殴り飛ばしたりしてたら夕方になってた。
(好きな人から欲しいなんて、贅沢なのかなー…)
「田村、君バカなの? 僕の時間を割いてなんで生きてるの?」
「わ、悪いとは思ったけどさ! でも、あの……!! って生きてちゃダメなのかよ!」
何処からか、早乙女と田村さんの声が聞こえた。どうしても気になって、あまり無い罪悪感を完全に消し去って、早乙女達のいる教室に入らず、話を聞いていた。
「チョコの作り方を教えて、とか土下座して作ったくせに結局渡せなかった? よし、チョコと君を突き落とすから窓際に立て」
「い、嫌だよ! でもさ、たくさんチョコ貰ってて私なんか、私みたいな女らしくない、あの、ブスというか……」
「あー、あーあーあー! ウザイウザイウザイ。そーいうの僕大ッ嫌いだ。じゃあ最初から作るなよ。ねぇ、それすら分かんないの?」
流石に言い過ぎなんじゃないか。
早乙女の毒舌は理解してたけど、大好きな田村さんをそこまで罵倒されて俺も我慢出来ない。だけど、この会話が俺の身体を固めてしまう。だって、まるで……。
「バレンタインにあやかる位なら、告白くらいしろよ」
……好きな人が、居るみたいだ。
ズキリと胸が痛む。何かがつっかえて取れないみたいだ。辛いよ、苦しいよ。
田村さんに、好きな人が居たんだ。
(……俺、情けねぇ……。一人で、田村さんを考えるだけでぐちゃぐちゃになってる……)
田村さんは自分に自信ないみたいだけど、本当にいい優しい人なんだ。きっと、田村さんが作ったチョコを田村さんが好きな人に渡して、……付き合うの、かな。
(耐えられない……)
生きてる意味さえ分からなくなってきた。項垂れて、壁に持たれて座り込んだら、俺の大好きな声が聞こえる。
「嫌われたくないんだよ。
何時も、私なんかに関わってくれて、笑顔で、暖かくて……それを失いたくない」
(田村さんに、そんなに想われてるソイツが羨ましいよ)
「じゃあさ……義理って言って渡したら? もう君、面倒臭い」
「さんきゅ、早乙女。助かったよ」
「…………君って、本当にバカだよね」
ふと教室を出たとき、泣き虫と小さく俺を罵倒して早乙女は行ってしまった。やばい、泣いてたのか。目を擦って涙を拭いたときに、田村さんが教室から出て、目をまん丸にさせてた。
「何してんの!?」
「ち、ちょっと……疲れちゃって」
「何そのネ〇!? パトラッ〇ュは来ないからね!? そ、それより大丈夫?」
「ん……」
田村さんの手が俺のおでこに触れた。顔が熱かったから、田村さんの手が冷たくて心地よい。
やばい、頭……ボウッてしてきた。
「ひ、ひらじろ?」
「沙弥、ちゃん……」
いつの間にか、俺は沙弥ちゃんの手首を掴んで、抱き締めていた。ああもう離さない。離したら、沙弥ちゃん行っちゃう。こんなに可愛くて大好きな沙弥ちゃんが他の奴の女になってしまう。
トクトク、と沙弥ちゃんの心臓が早めに聞こえた。沙弥ちゃんからはあんまり呼吸が聞こえない。だけど、徐々に早くなっている心拍数に、妙な違和感を感じる。
「……沙弥ちゃん?」
「そんな、ことしないでよ」
「え……?」
……ああ、当たり前か。
好きなヤツ以外には、触れられたくないよね。
分かるよ、沙弥ちゃん。俺だって、沙弥ちゃん以外に触れられたくないし、沙弥ちゃんを触れさせたくもない。
……俺、死んじゃいそうだ。
「無駄に、期待する……!!」
「……き、たい? わっ!?」
胸に押し付けられた箱に、沙弥ちゃんは俺の腕を振り切って走って行ってしまった。
期待って何?
嫌われてないの?
嫌じゃないの?
いろいろな疑問が浮かぶなか、田村さんに押し付けられた箱をまじまじと見ると、チョコの匂いがした。
「え」
慌ててそれを開けてみたら、中には小さなトリュフが六つくらい並んでいる。店で売ってる高級品から百均のトリュフではないような、不恰好なトリュフ。
だけど、それが何千倍も嬉しかった。
「……田村さん。
俺も期待しちゃいそうだよ……」
箱に入ってたチョコを一つ掴んで、瞼を閉じて最後に見えた真っ赤な顔の田村さんを思い浮かべて、そのチョコを口に放り込んだ。
「……甘い」
期待値マックス!
明日とは言わず、今から君に会いに行こうかな。
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