捧げ物語 | ナノ


ホロ苦ポイズン


「おや? おやおや。そこにいるのはアルベルト・ヴェンチェンツォさんじゃないですか」


 カラカラと煽るように俺に声をかけてきたのは、白い綿みたいな髪を肩までのばして、大きめの黒い瞳をにやにやを細めた灰色のパーカー娘だった。でも、そいつは人間ではない。頭には人間ではありえないモノ――俺をこれでもかって程魅了してくる犬耳が生えた女だった。犬耳女の中原歩実はその視線に気がついたのか、慌てて耳に手を当てる。


「触らせませんよ。まぁ、貴方みたいな人間が触れていい領域ではないということですね」
「障害があれば、燃えるだろ?」
「待ちなさい。たかが狼の耳ですよ? そこまでして触りたいなら狼の群れの中に笑顔で紛れ込みなさい。きっとあなたの目つきの悪さから順応できると思います。まぁ、そこで狼の餌になっても私は知りませんがね」
「狼というか、お前のは犬だ。狼よりはと」
「いつ何時狼と犬は別れたのですか? 私の中では狼も犬も同じカテゴリにいてちがうカテゴリですがねぇ。あと、私を家庭犬扱いしないでください」
「……やっぱり面倒くせえな。でも少なくともお前の耳さえ触ればいいんだ。お前を家で飼っておくほどの精神力はない」
「私は貴方の家庭におさまる器ではないですからねえ。まぁその辺の犬公の耳でも触っててください。最も、私を楽しませてくれるなら耳なんてなんかい触らせてもいいですがね」


 にやにやと上目遣いで見てくる中原から、いい情報が入ってきた。
 たまにぴこぴこと揺れる犬耳は、かなり、触りたい。ふわふわ髪質と耳までふわふわしてそうで……。
 目の前の欲望に惑わされる。というか、触ることは前提だ。だけど、この女を楽しませる方法がなかなか思いつかない。


「お前は趣味とかあるのか?」
「人間を観察する、いや……高みの見物が好きですねぇ」


 こういう奴だったな。ケタケタと悪い笑みを浮かべる中原に思わずため息をつくと「見とれているんですか?」とか言いやがった。確かに耳には見とれてるが、お前本体はうざくて仕方がねぇ。


「そうじゃなくてだ。お前は何に喜んだりしているんだ?」
「だから、人間観さ」
「それ以外だ」
「……そうです、ねぇ……」


 顎に手をあて、考える素振りを見せる中原。俺はそれをタバコの代わりであるチュパチャップスを舐めながら答えがでるのを待っていた。
 口の中でコロコロと転がるバナナミルクの味は脳に染み渡るまで舌を喜ばせる。
 だが、その喜びが切れるくらい時間が過ぎていて、それでも中原は考え込んでいた。


「……まだなのか?」
「いやぁ。本を読むのも人間の生体を学ぶためですしねぇ。それ以外することはないです」


 人間をおちょくるために生まれてきたんじゃねーのかってくらいの発言だった。ドン引きする俺に、中原は悪びれることなく「人間のせいでこうなったのですから自業自得というものでしょう」と笑った。


「ああ、そうか。犬神って人間によって生み出されるんだっけか」
「……それをどこで?」
「俺だって、俺なりの情報網がある」
「それは素晴らしい! 人殺しの為に編み出された情報網で私を探しあてるとは、流石ですねぇアルベルトさん」


 人気がない道であってもその発言はアウトだろう。だが、この女がそう簡単に人間の前にあらわれるわけがない。俺は、面白いとかそんな理由だった気がする。そういう人間がどう反応するのか楽しむやつだ。
 だから、挑発されても買わない。裏の世界はそうしなきゃ生きていけない。
 だけど、人間だってそう簡単にはやられねぇぞ。


「そうだな。人間に生み出されて、こうも人間に振り回される生き方だとそーいう生き方になるよなぁ」


 その言葉に目を丸めた中原は、クツクツと笑みを浮かべる。
 忌々しげに、憎たらしげに、だけど愉快そうに中原は嘲笑った。
 自分自身にも、俺自身にも、自嘲気味に皮肉そうに笑っているようだった。


「ふふふ。窮鼠猫を噛むとはこんな気分ですかねぇ。人間に揺さぶられたのは……初めてかもしれません。いや、初めてすらないのかも……しかし、貴方は見ていて飽きませんよ。アルベルトさん」
「……お前の性格が悪いだけだろ」
「愚問ですねぇ! 愚問ではなく問いかけすら無意味だと思いますが。世の中に悪いもいいもないですよ、アルベルトさん。まぁでも、これからも貴方にはたくさん楽しませてもらえそうです。私の些細な褒美を与えましょう。一度だけ耳に触ってもいいですよ」
「!」


 どうぞと笑う女は悪魔のようで。その犬耳すら、触ったら面倒くさいことになりそうだった。
 だけど、契約とか勧められてないあたり、まだ譲歩したほうなんだろう。
 こんな女の数少ないおもちゃになるのは、ごめん葬る。
 だけど。


「俺も、ただでは弄ばれるつもりはねぇ」
「ふふふ。それがいいのですよ。化物に歯向かう人間……最期まで見届けてやりましょう」


 これから、この女がまとわりつくことを覚悟して、俺は魅惑の犬耳に触れた。



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