コイってなぁに?
ジューンブライドというものがあるらしい。日本語で六月の花嫁。六月に結婚すると、女は幸せになれると飛鳥ちゃんが本を持って教えてくれた。
だけど、外は強いシャワーを地面に叩きつけているように雨が降っている。そろそろ台風も近付いてきているようだ。こんな不定期な上に雨ばかりの季節に結婚をしたいなんて、不思議だなぁ。
「夜美ちゃんは、だれかすきな人いるの?」
小学六年生になったばかりの彼女が、満面の笑みを浮かべて私に訊ねる。
好きな人と言われたら、風来さんと応える。だけど、何かが違う。飛鳥ちゃんが言っているのはきっと、男性として好きかどうかなんだろう。
私には分からない。
風来さんのことは大好きだ。世界の人間の命よりも、風来さんが大切だ。だけど、これは恋なのか? 多分風来さんでも答えられないだろう。風来さん、そういった話は苦手だから。
「ちょっと、わからないかな」
恋というものは、複雑怪奇だ。
▽△
飛鳥ちゃん自身も、多分まだ分かっていないんだろう。でも、ゆっくり見つければいいんだよと慰めてくれた。ホントにいい子だ。
フラフラと道を歩きながら、恋とやらを考えてみるも、答えが見つからない。そもそも、どこから好きになるんだろうか? 二十歳を超えて情けない疑問だ。それでも、考える。
私にとって、風来さんとはなんだろうかと。
「フフッ……フフフ……」
何か、気持ち悪い堪えた笑い声が耳に入った。振り向いたら、百メートル前方にめちゃくちゃ笑顔を浮かべてる我が弟、真也の姿。正直不気味なくらいにやけてる。一体何があったんだろうか。
地面を思いっきり蹴りあげて、真也の目の前に移動した。真也は一瞬目をまん丸に丸めたかと思うと、凄く嫌な顔をした。なんだこのギャップ!
「姉ちゃん……何か用?」
「お姉ちゃんに冷たいな……」
「(いい気分の時に出てくるからでしょ……)」
真也の考えてることは手にとるように分かる。心底嫌われてることは承知してるけど、真也は私の大切な弟だし、なにより私は嫌われても仕方ないことばかりしている。
これは、必然的な態度なんだ。
「……ねぇ、真也。恋ってナニ?」
「…………え゛? 姉ちゃんが? 恋?」
「かっさばくぞ」
「いや! 何もない! め、珍しいね……姉ちゃんがそんな話するなんて」
おずおずと、私の顔の前に手をヒラヒラとさせる真也。噛んでやろうかと思ったが、今は“恋”について聞かなきゃならない。
真也は若干頬を紅く染めて、咳払いをした。
「恋ってのはね、その人のことで胸がいっぱいになることだよ」
「(風来さんのことでいっぱいだわ……)」
「今、何してるのかなとか、もっと話したいなとか考えちゃったりして……」
「(今、誰に絡まれてるとか考えるし、風来さんのお言葉聞きたくなるわ……!)」
「ず、ずっと一緒にいたいって思うことは……もう恋じゃないかな……?」
「(二十四時間体制でお守りしたいわ!!)」
なるほど、私は風来さんに“コイ”しているのか!!
真也の恋を聞いて、ガッツポーズをした私。よくわからないけど、私も“コイ”とやらをしてるから大人になったんだろう。
「じゃあ真也。コイをすればどうしたらいいのかな?」
「やっぱりアプローチじゃないかな……」
「接近? 近付けばいいの?」
「あ、いや。具体的には告白とか、プレゼントとか……好意を伝えることだと」
「分かった!!」
「ちょ、姉ちゃん!?」
ならば善は急げ。
真也が何か言っていた気がするけど、気にしない。
風来さんがいるだろう場所まで、全力で走っていたら、あの後ろ姿が一キロ先で見えた。
ラストスパートとばかりに、思いっきり踏み込む。肩を震わせたあの人が振り返ってこちらを見た時、少し悲鳴みたいな息をのむ音が鼓膜を震わせた。
風来さんの真横に、ブレーキをかけたら、黒い跡ができた。また靴底が減ったな。
まぁ、今はいいや。
「風来さん!」
「夜美……走る速度は時速三十キロ程度だと何度言えば」
「大好きです!!」
よく分からないが、とりあえずコイの後のコクハクをした。何が変わるか分からない。だけど、私もコイを体験してみたかったんだ。
風来さんは顔が真っ赤になったかと思うと、凄く大きなため息をついて私の頭を撫でてくれた。
「ありがとうございます」
なんか、凄く嬉しい。
コイは嬉しいね。
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