カゲプロ | ナノ




※意味もなく明るくもない短編集です。短編っていうほど一本一本長くないです。



『相合い瘡』

 その日、俺達の街を襲ったのは激しい雷雨だった。
 コンビニで傘を買って帰路につく。急な雨で雷で、俺は急いで走る。そんな中、俺は見知った顔を見つける。カノだ。カノは激しく鳴り響く雷雨に身を打たれながら、それでも庇おうとはせずに濡れていた。
「なにしてんだよ」
 尋ねる。カノはなにも言わない。濡れた肩が小刻みに震えていた。
「風邪、引くぞ」
 俺は傘を持ち直し、カノの手を引いた。カノの方に傘を傾けると肩が濡れていくのを感じる。触れたカノの手は冷たい。
 ざあざあと音を上げる雨露が跳ね、靴を濡らす。
 並んだカノに体温を奪われそうな気がして、だけど放っておくわけにもいかず。弱々しいカノの姿が小さく心を揺さぶられる。庇護欲か、それ以上の。
 けれども、この感情を理解してはいけない。誤魔化すように靴の底を鳴らした。
「帰ろうぜ」
 カノは静かに頷いた。
 カノの手は怖いくらいに冷たい。


『内側の微睡み』

 俺の手が掴めるもの、俺の手で触れられるもの。
 カウチで横になる恋人の手を握り、頭を撫でた。雑誌を重ねただけの枕に頭をのせ、目を瞑るカノに俺は膝を貸そうかと提言した。
 いらない、とカノは枕に顔を埋めた。固い枕のページが撓む。顔をあげたら、頬が赤く色づいているだろうことを思い、俺はもう一度カノの頭を撫でる。
 そうだ。カノが眠りについたら枕の下にタオルでも一枚引いてやろう。
 カノの髪を指に通すと鬱陶しそうな手がやってきて、俺は手を重ねた。


『愚人流知的回路と対策』

 空が晴れたら布団を干そう。
 部屋の空気を入れ換えて、本棚の本を全て出してしまうのも悪くない。がらんどうになった本棚をゆっくりと検分しながら埋めていくのだ。カノが日頃何を読んで何を思っているのか。俺は本に触れながら瞑想に耽る。
 そうして日が沈みかける頃に布団を取り込んで、太陽の香りの染み込んだそれに鼻を埋める。カノがいつも寝ている布団の匂いを嗅ぎながら俺の匂いで満たしてしまおう。
 夜、カノが一人でも寂しくないように、俺だけを思うように、そうしたら、
「きもちわるい」
「早く晴れるといいな」
「晴れたら本棚を燃やして布団を買い替えることにするよ」


『夏の熱帯夜』

 夜、外に出てみると分厚い雲が月を覆っていた。空は真っ暗なはずなのに、月の周辺だけ薄らぼんやりとしている。
「夜なのに寒くないって不思議だと思わない?」
 いつものパーカーを脱ぎ捨て、半袖姿のカノがベランダの手摺に背を預けながら言う。涼しげな麻が温い夜風に揺れる。
「今夜は寝苦しい夜になりそうだ」
 カノの肩に薄手のカーディガンを被せながら呟く。カノは酷く困ったような顔でカーディガンの裾を握ると曖昧な表情で笑った。
「そうだね」


『木直 牛勿』

 不安の種を蒔いてみようと思う。
 水を毎日毎日やって、太陽だって浴びせてあげる。肥料はちょっと高いけど、良い土を用意してあげる。朝は話しかけてあげるし、夜は可愛がる。そうして肥え太った不安が実を結んだら摘み取って、また蒔いてあげる。
 なんて思ってたんだけど、不安は上手く芽を出さなかった。
 そのことをセトに話すとセトはお腹を抱えながら笑った。
「カノは幸福者ッスね」


『道化シンドローム』

 息をするなと言われた。
 別にいいよ、構わないさ。僕は笑って首を縦に振る。
 シンタローくんの顔がくしゃりと歪んだ。それからまた怒鳴る。いいよ、と言った端から息をされたのに憤りを感じたらしい。
「僕は死ねばいいのかな」
「違う、そういうことを言ってるんじゃない」
「でも君の言ってることはそういうことだ」
 シンタローくんの手が僕の喉を掴む。声帯をぐっと押し潰され、僕は呻いた。
 喉を塞いで息をさせないつもりらしい。ふっと笑みが溢れる。シンタローくんの手に手を重ね、僕はシンタローくんの手を引き寄せた。より強く喉を潰してしまうように。
 シンタローくんの顔には苦悶。辛いのか、手を離そうと肘を引く。僕はシンタローくんとの距離を詰めた。喉に手を当てたまま。
 にっこりと笑ってやるとシンタローくんの肩が跳ねるのが見えた。手に力を込め、喉に引き寄せる。
 唾液が口の中に溜まって喉がぐるりと鳴る。シンタローくんの手の感覚が立体的に伝わるようで僕の喉はまた震える。
「――ッ、止めろっ!」
 瞬間、ばっと手が振り払われた。
「いい加減にしろ!! いつまで――、」
 途切れる。シンタローくんの目は驚愕に見開かれていた。僕は笑う。特に意味なんてなかったけど、笑う外なかった。
 僕の喉はきゅっと絞まって、視界がぼやけた。
「君になら殺されても良かったのに」


『箱の中のユートピア』

 関係を持った日にちを覚えているほど乙女になったつもりはない。
 カレンダーには次の予定しか書き込まない。祝日や休日が赤く塗り潰されたカレンダーに小さく走り書きされたデートの日のどれが記念日かなんて分からない。
「今日はケーキを買ってきた」
 シンタローくんが言う。
「珍しいね」
「まあな。今日は天気が良いんだ」
 シンタローくんはケーキの箱を床に置き、折り畳みのテーブルを広げる。ぱきんぱきんとテーブルの金具を嵌めていく音が好きだ。
 変な誤解を生みたくはないので黙っておこう。布巾を水で濡らした。
「天気が良いとケーキが食べられるって覚えておこう」
「言い方が悪かった。天気は関係ない。気分だ」
「別に僕は連日晴れでも構わないけどなぁ」
「俺が嫌なの。お前と違って甘党にはなれそうにない」
 ショーケースを見ていただけで胸焼けしそうになったんだ。と、げっそりとした顔で言う。
 布巾を手渡し、食器棚から小皿を一枚とフォークを二本。一回うるかして水を切る。わざわざ皿を拭くなんて面倒なことはしない。
「なぁ、今日が何の日か知ってるか」
 シンタローくんがケーキを取り出しながら尋ねる。ケーキの箱からは可愛らしいショートケーキとチョコレートケーキが出てきた。僕は遠慮なくチョコレートケーキを手にとって皿に乗せる。
 箱とショートケーキにフォークを添えてシンタローへ。シンタローくんは苦笑いで受け取った。
「今日は自宅デートの日だね。カレンダーに書いてある」


『スカートの足』

 綺麗でしょ。
 脹ら脛を晒す、青いスカートをひらりと揺らす。華奢なヒールを履いたスリムな足はスカートを見せびらかすように踊る。
 くるり、くるり、と楽しそう。回るたびに見える白い足。手を引いてやると嬉しそうに跳ねた。
「女の子だったら、良かったなぁ」
 腰に手を回して引き寄せる。
「これ以上嫉妬したら可笑しくなりそうだからいいよ」


『世界の満たし方』

 美味しい水の作り方。
 蛇口から水道水を出して終わり。
 君の好きな僕の作り方。
「僕のアキレス腱を切って終わり。そうしたら、僕は君だけのものになる」
 蛇口を捻りながら言う。コップは水で満たされていたけど、逆さまにしてやり直す。
「手順を踏めば出来ないでもない。出来なくないのならやればいい。成功の可能性がほんの僅かでもあるならやるべきだ」
 流しの下には包丁が入っている。研ぎ澄まされた綺麗な刃物。
「右と左、好きな方からいいよ」


『心臓の入った嚢』

 昼に寝て、夜に眠る。贅沢な暮らし。
 ベッドに身体を預け、シーツを蹴る。波線を帯びて広がる。それが愉快で足を尾ひれのように泳がせる。
 すると隣で寝ていた男が気だるげに顔を上げた。
「寝れないだろ」
 構わず、足を引くとシンタローくんの身体が覆い被さる。足を押さえるように関節を絡ませられる。
「重いよ」
 ばたばたと手足を振る。シンタローくんの手が頭を撫でる。
「お前が何処かに泳いで逃げないように、だ。我慢しろ」
 まるで聞き分けのない子供に言うような口調。
 身体を捩り、シンタローくんの胸に顔を埋める。息を吸って吐いて、僕は抵抗を止めた。すぐにシンタローくんの寝息が聞こえてくる。
 呼吸音が心地良いなんて知らなかったなぁ。
「別に……僕は、君から離れるつもりなんてないのにねぇ」


「おやすみ、シンタローくん」






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