カゲプロ | ナノ


メカクシ団として活動した二年間、それとメカクシ団が解散して十年、当時十八歳だった俺も無事に三十路を迎えていた。

つい最近、部屋を掃除している時に見つけた一昔前のタブレット型の端末をPCへと繋ぐ。画面には一気に数十というフォルダと、エネの残したメカクシ団での生活が綴られた日記が展開される。
右手に握られた旧式の丸い無線のマウスは、あのテロ事件があったデパートが解禁された日、エネにせがまれ遊園地に行く途中で購入したものだ。PCも一緒に購入したのだが、次世代機が出るのと同時にショートし、乗り換えた。
そんな思い出深い、もうかなり感度が悪くなってしまったマウスを使い、エネの日記を開いた。

今日は、少しだけエネとの話をしよう。




『……え、あ……』

何時ものようにモモの端末で会話に参加していたエネが唐突に言葉を止める。
不思議に思って視線を上げると、そこには最近やってきたコノハが立っていた。コノハは皆の注目が自分に集まっていることに首を傾げながら手に持っていた買い物袋をキドへと手渡す。

「あ、すまない」
「ううん、大丈夫」

無駄なことは一切話さず、コノハはヒビヤの姿を見つけると隣に寄り添う。ヒビヤは少しだけ迷惑そうな顔をしたが特に何も言わなかった。
エネは相変わらず何も話そうとはしなかったが、コノハをずっと辛そうな顔で見つめていた。
キドもモモも、何も話さない。エネとコノハが揃った時は皆どうしてか口を閉ざしてしまうのだ。
訳が分からない。それでも、口を閉ざしてしまう者の中にしっかり自分も含まれてしまっている。
俺は仕方なくモモの端末をテーブルから拾い上げるとそのまま「ちょっと散歩してくる」と言ってアジトを後にした。


『……ご主人様、』

暫くして、ようやくエネが口を開いた。申し訳なさそうに眉を下げながら顔色を窺うようにぼそぼそと話すエネに、あの夏のデパートに出る前を思い出し、エネには悪いが少しだけ肩の力が抜けた。いつの間にか、変に力んでしまっていたらしい。

「お前、コノハがいるとき、変だぞ」
『ご主人様は私とコノハが知り合いだって、知ってますよね?』
「あぁ、そういえばそうだったな」

最初に会った時、コノハと迷いもなく言ってみせたのは他でもないエネだった。

『コノハは、私がエネになる前に友人だった人のアバターで、私は……その、』
「…………」
『……もう、結構記憶が薄れてしまっているのですが、多分、その人のことが好きでした』

大好き、だった。噛み締めるようにエネは言った。
端末から見えるエネの姿は丁度光の関係で反射してよく見えなかったけど、赤くなっているだろうことだけは何となく察した。

『私、もう一度、その人と話したいと思ってるんだと思います。でも、どうしても名前が出てこなくて、躍起になって思い出そうとすればするほど記憶が薄れていく。私、今――』


自分の名前すら思い出せないんです。

消え入りそうな声で、悲痛にうちひしがれながらエネは言葉を紡ぐ。
それはまるで居なくなった赤いマフラーの子を代弁しているかの如く、絶望と混沌、足元すらも覆い隠してしまうような深い闇を抱えていた。止めろ、止めてくれ、口の中で何度も唱える。エネには聞こえていない。エネは続ける。

『こんなの、絶対に可笑しいですよね? なんで、どうして私は何も思い出せない? 私には確かに生身の身体があった、私の人生があった。勉強もゲームも、友情も努力も、退屈も挫折も高揚も共感も感動も後悔も怠惰に時を過ごした! 私はそこにいた! 私はっ……確かに恋をしたんだっ!』

あの暖かい手は幻なんかじゃない、気怠い朝の倦怠感すらも吹き飛ばしてしまうような衝撃は確かに私の心を抱き留めた。でも、それでも、私はそれを知らない……知らないのです。
毎朝、睡眠なんて関係のない体は形式だけの睡眠と起床を繰り返した。そして自問自答を繰り返す。私は何処で間違えたの? 何がいけなかったの? 私はただ、彼に愛されたかっただけだというのに。

何重にも連なる鉛のような一定の重さと鈍さを兼ね備える言葉が何度も何度も心に打撲を加える。いっそ、剣のように鋭く裂いてくれたらどんなに楽だろう。
俺は無言でエネの言葉を聞かない振りをした。聞きたくない、止めてくれ、これ以上壊さないでくれ。まるで幽霊に怯える子供のようにじっと身動ぎせずに耐え凌ぐ。
エネにかける言葉なんて、俺には分からなかった。こんなとき、キドならば黙って肩を貸すのだろうし、モモは優しく相談に乗る、セトは一所懸命に知恵を絞って解決策を模索してくれるし、きっとカノなんかは表面上の言葉を並べ立てエネの意識を逸らしてくれる。比べれば比べる程、俺はなんて無力なのだろう。

「…………俺には、お前のことなんか分からねぇよ」

ぼそりと呟く。いつものエネならば使えない人ですね、と一笑しているくらいの頼りなさだ。けれど、エネはふっと優しく微笑むと、

『貴方らしいですね』

と言った。それから、

『……ねぇ、ご主人様、私は、誰ですか?』

震えた声で呟かれた言葉が耳に痛くて、俺は「エネ、俺のPCを壊しやがった迷惑なコンピューターウイルスだ」と苦々しく返した。

本当はその時、もっと真面目に返してやるべきだった。彼奴みたいなことは絶対にごめんだと思っていたのにも関わらず、俺にはひねくれた回答しか出来なかった。
どんなに悔やんでも悔やみきれない。


エネが俺に弱味を見せたのは、こんな切羽詰まったようなことを言ってみせたのは後にも先にもこの一件きりだ。


エネと最後に話したのは何時だっただろう。
エネはもう、存在しない。

がらんどうになった端末に無駄に書き貯めた日記と写真を残して出ていってしまったのだ。
探そうとは思わなかった。けれど、心配しなかったわけでもない。
ただ、彼奴のことだから勝手に戻ってくるのだろうと、何となくそう思っていた。


『ねぇ、ご主人様、私は、誰ですか?』


お前は、誰なんだ? と、端末を指で弾いた。
多分、あの時、エネは泣いていた。不安を拭ってやれなかったのは紛れもない自分で、俺は何となくエネとの関係に気まずさを感じていた。

幸い、エネはあの一件から暫く表に出てこようとはしなかった。もともと気紛れな奴だったけど、お喋りが人一倍大好きです寂しがり屋で、泣かせてしまったことを悔やんだ。
謝りたい、直接が無理なら端末に向かって「ごめん」と一言言ってやればいい。それでも小さなプライドがどうしようもなく、それを邪魔した。

数日して、エネはひょっこりと出てきた。嬉しいような、肩透かしを喰らったような、だが俺は何処か許されたような気がしていた。
今思えば、エネはきっともうあの時には覚悟を決めていて、それを俺に気付いて欲しかったのだと思う。
ごめんな、鈍感な主人で。
今だから言えるけど、お前は俺の親友で悪友だった。少なくとも、俺はそう思ってたよ。お前と馬鹿やってやらかしてやらかされて、こんな日々が永遠に続けばいいと願わずにはいられなかった。
だから、お前がコノハと決別すると言い出した時、俺は下手に口を出して元に戻れなくなってしまうのを恐れてしまった。また失ってしまうのが恐かったんだ。

『私、やっぱり自分の名前、思い出せそうにありませんね。何処のフォルダを探したって見つからなかった』

その時、初めてエネが日記を書いていることを知った。おそらくエネは俺のPCの中身を俺よりも熟知していたから故意に隠していたのだと思う。

『でも、少しだけ思い出せました。どうして私が彼を好きになったのか、』

ご主人、一つお願いがあります。

やけにスッキリした顔で言うエネに俺はもう自分の中で整理し終え、これから蹴りを付けるのかと思った。実際、それは間違っていなかったけど、前提が大きく異なっていたことにこの時の俺はまだ気付いていない。
俺はこれが終われば、また何時も通りの日常に戻れるような気がしていたのだ。





――――――……


加筆修正致しました。

今更ですが、この作品は公式の速度に発狂した人が書いた捏造話です。
ちなみに『少しずつ間違えていったメカクシ団について語るシンタロー君の話』なので、基本的ハッピーエンドは存在しません。
けれど、これはバットエンドなのかと問われればそれはそれでまた違うのです。
一応、こんな風になってしまいました、という事後報告に近い感じです。





- ナノ -