カゲプロ | ナノ





湯気の立ったマグカップを片手にカノはふぅ、と息を吐いた。
マグカップの湯気がふらりと揺れるのが面白かったのか、カノは口元を弛めながらマグカップに口を付ける。

「夕飯の買い出しに行くんだって」
「そうッスか」

隣で求職の雑誌を読んでいたセトは曖昧に頷く。
視線は依然雑誌に向けられたままだがカノは特に気にした様子もない。尤も、常日頃雑誌に夢中で無視をしてしまうのはカノの方なのでカノには責めようという考えすらないのかもしれないが。

「この間キドの部屋に入ったらさ、机の上に日記が置いてあったんだよ。それで何書いてんのかなぁって覗いてみたらさ、何て書いてあったと思う?」
「最低ッスね、女の子の日記覗くとか」
「いや、そうだけど、そんなばっさり切らないでよ。ちゃんと続きがあるんだから」

前から思っていたがカノのキドに対する気安さを越えたある一種の弱みを握ってやろうとも取れる行為にげっそりとしながらセトは続きを促した。

「キドね、日記にその日一日何があったかって日誌みたいに事細かに書いてた」
「そりゃ、日記なんスから当たり前じゃないッスか。それともカノはキドにポエム綴った日記でも書けと?」
「それはそれで面白そうだけど、何かさっきから刺々しくない?」
「そんなことないッスよ」
「そう? まあそれで僕も申し訳ないと思いつつも日記を読んでいくうちにね、気付いたんだ」

申し訳なく思うなら止めればいいのに、なんて口には出さずにセトは雑誌を捲る。カノの話は基本カノ自身の暇潰しが主なので突っ込んだら負けで、この場合は話させるだけ話させ、カノが話に飽きるのを待つのが正解なのだ。
しかしセトはキドが日記を付けていたのは知っていたがまさか日々の出来事を細かく書いていたことまでは知らなかった。理由はカノと違い、人の日記を盗み見ないという正当な理由なことを強く主張したい。別にキドとの関係が浅いわけではない。ただ線引きを重んじているのだ。
メンバー、もとい問題児が増えたことにより責任感が芽生えたのかリーダーとして周囲を見渡す姿が様になってきていたキドが書き残した日記。カノの言い分を信じるなら彼女は彼女なりに記憶を残そうとしているのかもしれない。楽しかった過去を未来に伝えようという努力をカノが物見遊山しなければ、きっと素敵な思い出話として伝えられたことだろう。実に残念だ。カノはもっと自身の貪婪な好奇心を押さえつけることを覚えるべきだ。
なんて、さて、話を戻そうか。話題はカノが気づいたキドの日記のことだ。
セトはキドの日記について想像してみる。日記には誰か贔屓して書かれている人物がいるとか、好きな人の名前が書かれていたとか、きっとそんなことじゃないだろう。何かもっと重大なことに違いない。
メカクシ団の根元に関わっていないことを願いつつも、もし何を言われたとしても動じず今まで通りに接してあげようとセトは密かに決意を固める。
そしてカノがゆっくりと口を開いた。

「……キドさ、」

ごくり、とカノの気付かれないよう静かに喉を鳴らす。今が夏だったら、きっと良い感じに額から汗が流れて顎を伝わっていただろう。
カノは勿体振るように口の中で言葉を転がすと「し、」と唇を動かした。思わず雑誌を持っていた手に力が入る。
永遠のようにも感じられる時の流れの中、カノがふっと笑うのを感じた。

「シンタロー君の『郎』って漢字間違えてた」

一拍。

「はぁああああ!?」

え、なにそんな話だったの!?
凄い勢いで顔を上げ、掴みかからんとするセトをカノは「どうどう」と宥めながら心底可笑しそうに笑う。

「伸太郎の『郎』って字がさ、朗読の『朗』になってたんだよねぇ」

キドってうっかりさん、と語尾にハートが付きそうな口調にガックリと肩を落とした。何か一気に寿命が五十年くらい縮んだ気分だ。

「何と勘違いしたかは知らないけど、セトは何だか一人で楽しそうだね」

カノはマグカップに口を付けながら、やはり笑った。
余談だがマグカップにもう湯気は立っていなかった。



******



「またバイト増やすの?」
「いや、そろそろ契約期間が過ぎちゃうのあるんで新しいの見つけなきゃいけないんス」
「ふぅん」

カノが黙る。
セトはカノが静かになったのを気にし、横目でカノを見るがカノの視線は一切動かない。カノの視線は前方にあるテレビのリモコンに注がれていた。
セトは先程のやり取りに疲れを感じてはいたがカノを無視する理由にはならないだろうと雑誌を閉じた。表紙と裏表紙に少しだけシワが寄っていたりいなかったり。

「カノ?」
「キドに夕飯はシチューにしてっていうの忘れてた。今からでも間に合うかな」

カノの疑問は大体のパターンにおいて下らないものが多い。それはカノがあまり重い話題を振らないようにと心掛けてのことかもしれないが、セトとしてはもう少し自身を頼って欲しいと思っているし、またこうしてカノが悩んでいる姿を見せてくれるともしかしたらと思ってしまう。
もしかしたら、カノは自分に悩みを打ち明けてくれようとしているのか、と。尤も、それが叶えられたことはまだ一度もないわけだが。
寂しいような、しかし今は大きな悩みがないと思って喜んで良いのか、とりあえずがっかりしながらカノに答える。

「試しに電話してみたらいいんじゃないッスかね」
「それもそうだね」

頷くと、カノは空になったマグカップを片手に携帯を持って立ち上がるとそそくさと部屋から出ていってしまった。

セトはカノの足音が遠ざかるのを聞き、隣のいないソファーのカノのいた方に頭を乗せ、横になる。耳元が少し暖かい。先程までカノが座っていたのだから当たり前だ。
そこにカノの臀部が乗せられていたことを意識しながらセトはエア膝枕を試みる。我ながら何をやっているのだと問い質したいが仕方あるまい。まさかカノに膝枕をしてくれとは言えなかったチキンなのだ。
心なしか良い匂いがする、とソファーに顔を押し付けた時、

「あ、セト! ちょっと寝るなら部屋で寝てよ! 僕の座る場所ないじゃん!!」

カノが戻ってきた。
蛇足だが、ソファーなら目の前にもう一つあるのだがカノはそれを来客用と言っており普段は決して使わない。
カノが思ったよりずっと早くに帰ってきたのには驚いたが、幸いカノはセトが自分のいない間に寝てると捉え、しかも場所を取られたくらいにしか思っていないらしい。いや、エア膝枕をしていると思うわけがないのだが。

「ほら、退いてよ。上に登るよ?」
「えー面倒臭いッス」
「じゃ、遠慮なく」

本当に遠慮容赦を知らないようでカノは何の躊躇いもなくセトの足に腰をおろした。

「ちょっおもっ! ――って痛い痛い痛いッス!!」

乙女か、と言いたくなるような早さでカノはセトが重いと言い切らないうちにセトの脹ら脛に体重をかける。
軽いと言われるのも嫌だが、重いなどとは決して言われたくない面倒臭い性分なのだ。ちなみにカノの体重はかなり軽い。女の子であるキドと比べてみても身長を含め、カノは十分女としても罷り通りそうなくらいには。無論、その場合は少しばかり身体に丸みを帯びてもらわなければならないのだけど。

「カノー!」
「セトが面倒臭いからって言ったんじゃん」
「上に乗ることまで許可した覚えはないんスけど!!」
「えー? でも、セトってあれじゃん? 騎乗位好きそうじゃん?」
「これの何処に男が燃える騎乗位の要素があると!?」

萌える、というより燃えるらしいセトはあながち騎乗位が嫌いではないのだろう。
カノははぁ、と息を吐きながらセトから退いた。

「もう、嫌なら退いてよ」

心底面倒臭そうな声にセトが渋々上体を起こすとカノは先程までの定位置に携帯を片手に座り込む。

「キド、大丈夫だったんスか?」
「あーうん、ちょうどキサラギちゃんと合流して夕飯について話してたとこだったみたい」

隣を見るとカノの膝。それと臀部、先程まで自身が頭を乗せていたところだと思うと男として燃えないものがないわけではない。
セトはある決心の元にゆっくりと身体を隣に傾けてみる。出来る限り、カノの膝に乗せるように、慎重に。秒速がミリ単位だろうという速さでカノの胸の前を過ぎようかという時、

「あ、ちょっと邪魔」

なんてカノがセトの頭を下へと半強制的に押しやった。
ぽすん、という軽い音と共にセトの頭部はカノの膝の上に乗せられる。カノは全く興味ないと言いたげな顔で携帯を弄っているので、これはきっと数分前までのやり取りの延長くらいにしか捉えてないのだろう。
あまり意識されていないというか、何か悲しいものがあるがセトはどんな形であれカノの膝枕が堪能できているという結果だけを見て満足気に瞳を閉じる。

「カノ、」
「なぁに?」
「膝枕ッスね」

一種の軽い意趣返しのつもりでセトは言った。これでカノも意識してくれればいいのに、と思いながら。
カノは一拍置いてから「……あぁ、うん、そうかもね」と気のない返事をした。セトが視線を上げ、カノの顔を見ようとするとカノはすかさず手でセトの顔を自身から逸らさせ、膝に強く押し当てる。
カノの変に力んだ手に頭を押さえつけられながらセトは笑う。きっと見えないカノの姿は耳まで真っ赤に染まっているだろうことを想像しながらセトはカノの手に手を重ねた。
カノは小さく「ばっかじゃないの」と呟いた。


きっと、見えない程度の愛情で十分



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リクエスト、セトカノでラブラブとのことだったのですが、これは果たしてラブラブしていたのかと疑問ですね(笑)

大分お待たせしてしまいましたが、リクエストありがとうございました!





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