笑ってほしい話。
※シンカノ前提、セト→カノ
過去捏造有
カノさんはいつも笑っている。
それは薄ら笑いだったり、含み笑いだったり、愛想笑いに大笑い。とにかく沢山の笑顔を浮かべてみせるけど、逆に俺は笑ってない顔なんて見たことがない、と思った。これじゃ、まるで道化師だ。
でも、そんな嘘臭い笑顔すら願ってしまう俺がいるわけで。
ただ、ただ、君が笑っていることだけを願った。
「紅茶と珈琲、どっちがいいですか?」
アジトのソファーに寝そべりながら今日発売の雑誌を嬉しそうに読んでいるカノさんに声をかける。
「珈琲、ミルク多めで」
返ってきた声はやはり何処か明るいもの。
自然、つられるように此方の気分も良くなるのだから可笑しな話だ。
「砂糖はどうします?」
「んー…いいや」
「分かりましたー」
ミルク多めで砂糖なし。随分、乳臭そうな珈琲になりそうだけどもカノさんは意外とそんな珈琲が好きだったりする。
「あ、シンタローくん」
唐突に顔を上げたカノさんに首を傾げると、カノさんは口角を吊り上げながら、
「笑ってみて」
と言った。俺は、
「どうしてですか?」
「シンタローくんはもっと笑った方がいいよ」
楽しいと、嬉しいと思えるなら、尚更笑った方がいい。
含みを持たせた言い方が気になったが、俺は誤魔化すように「そうですね」と愛想笑いを浮かべながら、台所へと向かった。
「カノが笑うようになったのは、つい最近のことなんスよ」
セトの言葉にシンタローは一瞬、この人は何を言ってるんだと正気を疑いかけた。
「ははっまぁ信じられないのも無理ないっス」
シンタローとしては表に出さないようにしていたつもりだったが、セトには通用しなかったらしい。
セトはそう思うのも仕方ないといった風に笑みを浮かべ、頭を掻きながら続ける。
「カノはいつも欺いてるスから。昔、色々あったんス」
笑う他ないのだと。昔を懐かしむようにいうセトを一瞥しながら、シンタローは思う。
そうだ、そうだった。皆、いつも笑っているから忘れてしまいがちだが、
「…孤児」
「…………」
呟いた一言にセトは何も言わなかった。
どうしてセトがカノのことをシンタローに伝えたのか、シンタローには到底分からないこと。セトの気持ちも、カノの気持ちも、シンタローには及びもつかないほど遠くにある。
「今のカノは昔みたいな義務感で笑ってるんじゃないんス」
「義務感?」
「可愛い子でないと、笑ってないと、また捨てられてしまう、愛してもらえない、そんな恐怖とカノは…、ずっと一緒に暮らしてきたッス…」
ぎりぃっ。そんな物音にシンタローはテーブルの下に視線を落とした。
そこには、固く握り締められたセトの拳。
それはまるで自分を責めているよう。
「俺には…俺達は、それを和らげてやることが出来なかった…っ、それが何よりも悔しかったッス」
否、セトは自分を責めていた。責め続けているのだ。
「そんなこと、」
ないです。続けようとしたシンタローの言葉を遮るようにセトは、がんっとテーブルを殴り付けた。
驚いて目を見開くシンタローをキッと睨みながら、セトは低く言葉を紡ぐ。
「あんたに何がわかるんスか?」
「それは…、」
俺には分からない。だって、俺はずっと幸せの下にいたから。親友が消えた後も自らの殻の中に閉じ籠り、のうのうと生きてきた。
言葉に詰まるシンタローにセトは口を歪めながら続ける。
「俺は、カノに救われたっ!助けてもらった!助けになりたいと思った!!でもっ…でも、カノが求めたのは俺じゃなかった!!!誰よりも何よりもずっとカノの傍にいて、助けになりたいと思ってた!!そんな俺じゃなくてっ!!どうして、何も見ようとはしなかったアンタが!カノに選ばれたアンタがっ!!俺は一番憎いっ!!」
塞き止められていたダムが壊れるように脆く、セトはずっと堪えていたものを吐き出すかのように叫んだ。
きぃんと耳が痛いと、シンタローは思った。
確かに報われるべきだったのは、セトだったのかもしれない。選ばれたのがセトだったのならば、きっと皆が幸せになれていたと思う。
でも、それじゃ駄目なんですよ、セトさん。
「…俺も、カノさんに救われました」
「そんなのっ!」
セトよりも小さなものかもしれない。及ばないかもしれない。
「カノさんの笑顔に救われました」
例え、それが偽物の笑顔だったとしても俺は嬉しかった。カノさんに笑っていてほしいと思った。
「憎まれたって構わない、俺はカノさんの気持ちなんて考えたこともなかったよ」
セトが願ったのはカノへの恩返しで、シンタローが願ったのはカノの笑顔。
差なんて、ほんの僅かだった。ないに等しかった。それでも、たった少しの差だったとしても、
「カノさんが選んでくれたように、俺も選んだんです」
真っ直ぐセトを見つめながらシンタローが言う。セトは笑みも怒りも消えた顔で暫く固まっていたが、
「……ふ、あはっ」
不意に笑い声を上げた。
「知ってるッス、最初から全部分かってたッスよ。どうして俺が選ばれなかったのか、なんて」
虚しくなるような笑い声。
耳が、胸が、心臓が痛くなるような痛々しい笑い声。
これは八つ当たりだ。馬鹿な男の馬鹿な嫉妬。
本当は笑えるはずがなかった。殺してやりたいくらい憎いし、泣きたいくらいに悔しい。でも、せめて恋敵の前では笑顔を浮かべていよう。それがセトの精一杯の意地だった。
「そろそろバイトの時間ッスね、それじゃ、俺はこれで」
何か言いたそうな顔で此方を見てくるシンタローを無視し、セトはそそくさと逃げるように部屋を出た。
それからセトは外に出ると、ずるずると壁際に座り込んだ。
目に手を当てると、熱く火照っているのに気づいた。
「あーぁ、最初に好きになったのは俺なんスよ?カノ」
こんなに、こんなにも愛してるのに。
どうして、俺を選んでくれなかったんスか?なんて理不尽だって分かってる。
「カノのこと泣かせたら、腹に石詰めてやるッスよ」
セトが出ていってしまった後、シンタローは一人考えていた。
『助けになりたいと思った!!』
『俺じゃなくてっ!どうして、アンタが!』
『アンタがっ!俺は一番憎いっ!!』
セトの本音と、セトから聞いた事実。
『また、捨てられてしまう、愛してもらえない、』
『義務感で笑ってる』
そんな恐怖がもし俺と一緒にいることで少しでも薄れるというのなら、俺は、
「幸せを願ってもいいのかな」
「カノさん、」
笑ってほしい話。
なんて、馬鹿みたいにただ願ってしまうのです。
――――――――
にこにこ笑うカノに絆され、カノがずっと笑っているようにと願うシンタロー。
そのくせ、自分は笑わないものだから、カノは意地でも笑わせようと笑う。
でも、だんだんとシンタローは楽しくても嬉しくてもあんまり笑わないんだなぁ…とか、そういう人間もいるんだ、とか気づく。
自分は笑わないくせに笑えだなんて、変なの。
でも、シンタローを笑わせようとしてるうちにカノは気づいてしまう。
シンタローを笑わせようと頑張れば頑張るほどに、自分は自然に笑ってしまっているのだと。
自分もシンタローの笑顔を見たいと思うようになっているのだと。
シンタロー笑うと凄く嬉しくて、無邪気にはしゃいでいる自分がいるのだと。
嗚呼、僕はシンタローくんに笑っていてほしいんだ。
なんて自覚してしまえば、もう落ちてしまうのは時間の問題だった。
でも、そういうのって素敵じゃない?
カノじゃなくても、愛してくれる人。
それは愛じゃなかったのかもしれない。
それでも、嬉しかったんだ。