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――――――……



人は人を恨む。妬む。嫌う。
それは感情があるからだ。
嬉しいと思う気持ちの傍ら並ぶ醜い感情の数々は反面と呼ぶには近すぎて、気の迷いと想うには馴染みの深いものだった。




いつからか、この世界の蝉は鳴かなくなった。静かすぎる夏を迎えた自分たちはそれの原因を知らない。ただただ五月蝿いと思えた蝉の声のない夏は暑くて、不気味なまでに大人しかった。

大内は朝からずっと作業部屋に閉じ籠り、古い蓄音機の解体を行っていた。解体…というのもこの蓄音機、もう何年も使われてなかったようで修繕は不可能だったのだ。直すのが無理でもせめて構造だけは知っておきたい、そんな好奇心に従い大内は作業を続けている。音のない夏は時間感覚を狂わせ、閉鎖された空間は日付感覚を惑わせていたが、暑さだけは健在らしく大内は額から流れる汗を汚れた手拭いで拭った。
何時だろう。そろそろ何か食べないとバテてしまいそうだ。そう思い、作業を止めた時、

「大内、」

からん、と氷のぶつかる音がして古い木の戸が小さく軋んだ。名前を呼ばれ顔を上げるとそこには家主である湯浦が氷の浮かんだグラスを片手に、戸のすぐ横にある柱に身を預けていた。
夏でも決して肌を見せることのない湯浦でも今日は少し暑いらしく、不敵な笑みを浮かべているその顔に少しだけ苦渋の色が浮かべている。素直に脱げばいいものを。

「悪いな、青汁しかなかったようだ」

そう言って青汁を差し出す湯浦の顔は意地の悪そうな笑みを浮かべていた。どうやら、わざとらしい。だが、

「…助かる」

水分は十分嬉しい。見計らったようなタイミングでやってくる湯浦はよく人を馬鹿にしたような顔をしていると言われているが、案外気遣いの出来る男なのである。人を馬鹿にしたような顔をしてるのは間違いないが。

「そうか、良かった。実はさっきお前に出そうとしていた麦茶を飲み干されてしまってな」
「……誰か、来てるのか?」
「もう帰ったよ」

此処に長居する物好きなんて和泉くらいさ。そう湯浦は笑った。
彼以外に麦茶を飲み干していくような親しい相手はいただろうか。少なくとも自分は知らない。そんな疑問を素直に顔に出してしまっていたのか湯浦は部屋の中を物色しながら答えた。

「双子を知らないかって聞かれた」

それから自分が弄っていた蓄音機に目をつけ、くすりと笑みを浮かべる。

「教えてやろうか?」
「…いや、いい」

自分でやるから。そう答えたら湯浦はそうかと言い、部屋から出ていってしまう。嗚呼、結局誰が来たのか聞けなかった。でも、まぁ…。

「……別にいいか」

湯浦から受け取ったグラスに口をつけ、傾けると口内いっぱいに青臭い香りが広がった。



湯浦は言った、「何かをするっていうのはつまり誰かに恨まれるっていうことだ」
「逆説、何もしないっていうのはつまり誰にも恨まれないのではなく、誰にも相手にされないのと同義である」、と。
「人に恨まれないで生きていくなんていうのは不可能なんだよ」湯浦の言葉は非難であり、同情であり、そして何より救いであった。





湯浦が寝ているところを自分は見たことがない。
それはきっと自分が他人嫌いだからだと思っていた。

深夜、トイレに起きた自分は湯浦の部屋から聞こえる電子音に誘われるように歩みを進めた。そこで見たものは、

「…何をしている」
「充電をしている」

あっさりと返す湯浦は首筋の裏辺りに大きなコンセントを差し込んで静かに目を閉じていた。

「不思議に思わなかったか?俺がどうして夏でもマフラーをしているのか。どうして物を浮かせるのか」

ゆっくりと開かれた湯浦の瞳には意志というものがなく、冷たい無機質のようだ。いつもと同じ不敵な笑みを作る口角の下につぅっと真っ直ぐ線が伸びて、さっきまで自然に話せていたはずなのにかくかくとロボットのように湯浦が口を動かしながら話す。

「ダカライッタダロ?マホウツカイハハイヒンナンテアツメナイッテ」

丸みを帯びていた湯浦の肢体がマネキンのように硬くなる。関節が盛り上がり、まるで、まるでこれでは、

「コノセカイデセミハナカナイ。ナゼナラ、サイショカラセミナンテコノセカイニソンザイシテナカッタカラダ」

カクン。そんな音を立てながら湯浦の首が、頭が百八十度、真下を向いてみせた。

「ゃ、いやだ…」

足が震えて、頭が痛くなる。湯浦がゆっくりと立ち上がる。ブツン。首筋に刺さっていたものが電気を帯ながら床を跳ねた。

かくん、かくん。

不器用で不恰好な、まるでカラクリ人形のような動き。じわじわと近寄ってくる湯浦に喉の奥で小さく悲鳴が上がる。

「ナニガイヤナンダ?オマエモ、

オナジダロ?



湯浦にがっしりと腕を掴まれ、視線を落とすとそこには角張った無骨な鉛があった。鉛はまるで指のような、手のよウナ、腕ノヨうなカタチで真っ直ぐジ分にノビテイテ。

「ア、アァ…」

ノドカラデタコトバサエ、ムキシツ。


嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌いや嫌嫌嫌イヤ嫌嫌いや嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌イヤ嫌嫌iya嫌嫌嫌いや嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌ヤ嫌嫌イヤ嫌嫌イヤ嫌嫌嫌嫌嫌嫌イ嫌嫌嫌ヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤアヤイヤイヤアイヤイヤイヤアヤイヤアアヤイヤイヤイヤイヤイヤアヤイヤイヤアイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイイヤイヤイヤイヤアヤイヤイヤアヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア、



「大内、大内」

身体を揺さぶられる感覚に目を覚まし、瞳を開けるとそこには無機質ではない湯浦の顔があった。少し心配そうに此方を見つめる湯浦はいつもと違って、マフラーなどしてなかった。当たり前だ、寝るときまでマフラーをしているわけがない。

「…ゆめ、だったのか」

そっと一息吐くと湯浦が怪訝そうに顔を歪める。

「夢?まさかお前、人の部屋に入り込んで、起こして、寝惚けてたで済ますつもりか?」
「…湯浦の部屋?」

聞き返すと湯浦は呆れたような顔をして、そうだと頷いた。確かに見渡してみれば、このラジオの溢れた空間は間違えようもないくらい湯浦の部屋であった。

「はぁ…本当に寝惚けてたようだな」
「…すまない」

頭を下げると湯浦は別にいいと流し、ちょっと早いが今日の仕事を始めようと立ち上がった。自分も頷きながら、湯浦に従う。
着替える湯浦の首筋を見たが、特に何もなかった。夢なのだから当然である。だが、一つだけ気になることがあった。

「湯浦、」
「なんだ、まだいたのか。どうした?」

上半身裸で振り返る湯浦の日に晒さないからか白い肌と細い腰が目に入る。服を脱いだ湯浦は怖いくらいに線が細く、いつもより若く年相応に見えた。いや、そんなことより、

「…蝉は今、何処にいるんだ?」

一瞬質問の意図が掴めなかったのか、きょとんと目を丸くしていた湯浦だったが、いつもの意地の悪い笑みを浮かべると口角をニィッと上げながら答えた。

「さぁな、案外、地下の方が居心地が良くて居着いてしまったのかもしれない」
「…地下?」

どうして地下なんだ?

尋ねるとより一層湯浦は愉しそうに目を細めた。人はこれを人を馬鹿にしたような顔と言う。

「蝉の幼虫は地上では育たない、地下で暮らすんだ」

だから、面倒臭くなって出てこなくなったのかもしれないな。


お前が他人とのコミュニケーションを拒んだように。




大内は基本外には出ない。理由は自分以外の知らない誰かがそこにいるからだ。知らないことが怖い。怖いから自分は内側でいいと大内は閉じてしまった。

だから、今日も大内は一人何かしらの作業に没頭するのだった。

「お前は少し光を浴びた方がいい」

なんて湯浦がよく言うが、全然外に出ないわけではないのだから別にどうというわけでもあるまい。
黒く細い箱のようなゲーム機に挿入するらしい円盤型のディスク。データを保存する小さなチップ。少し前に見た白い大きなカセットとは全く違ったもので、湯浦が回収してきた所謂廃品の一つである。円盤の仕組みはなかなか面白かったが、いまいちこの本体の構造が理解できない。
湯浦に聞いてみようと立ち上がり、移動したのだが、どうやら客が来ていたらしい。玄関を上がってすぐの部屋から湯浦と男の声が聞こえてくる。後にしよう、と引き換えそうとして足を止めた。

「…だから、…って、……聞け、て……、」

言い争ってる?湯浦が?まさか、そんなわけない。彼奴は常に大胆不敵というか余裕綽々というか、自身を決して見せようとはしない。見透かしたような余裕の塊であった。だから、そんな湯浦の様子に小さな好奇心のようなものが芽生え、壁に身を隠すように息を潜めてみることにした。

「はぁ…もう、いい加減にしてくれ。俺は何も知らない」
「アンタは何も知らなくない」
「だから、何も知らないって言ってるだろ」

少し苛立ったような湯浦の声は初めて聞いた。

「俺はアンタが知ってることを知ってる。それを教えてほしい」

湯浦は何を知ってるんだ?いや、そもそも自分は湯浦の知らないことを知らない。この機械だって、そうだ。両腕で抱えていた黒い箱を見下ろした。

「頼む、教えてほしいんだ」
「教えるも何も…」

切羽詰まったような男の声と困ったような湯浦の声。どうしよう。自分が出てきたところで何になる。だけど、湯浦が困ってるし、お世話になってるんだから助けたいし。でも、自分なんかが。嗚呼、どうしよう。どうしよう。なんて自分が悩んでいると新たに声が加わる。

「あれ?湯浦、お客さん?」

和泉だ。良かった。いや、本当にこれで良かったのか?自分は何も出来なかったのに。

「ちょうど良かった、和泉。悪いが今日は終わりにするから帰ってくれ」
「ま、待ってくれ!」
「駄目だ、待てない」

さよなら。そういうとピシャリと玄関を閉める音がして、暫く外が五月蝿かったが次第に大人しくなっていった。それから湯浦が溜め息を吐くのを感じた。

「助かったよ」
「なにあれ、クレーマー?」
「そんなところだ」
「…ふぅん」

湯浦にもそんなことあるんだ。和泉が小さく呟いた。

「お前が来てくれて良かった」

それは自分への当て付けか。湯浦を助けられなかった自分に対しての。
安堵したような湯浦の声が頭に響く。もし自分が助けていたらあの甘い声も自分のものだったのだろうか。柔らかな笑みも、感謝の言葉も、信頼関係すらも。

「……ちがう」

そんなわけない。

ぽっかりと穴が空いてしまったんじゃないかってくらいの虚無感が溢れて、ふらふらと作業部屋に向かった。

嗚呼、嗚呼、頭が痛い。



がたん。


何かが落ちる音に湯浦の視線は廊下へと向けられた。
何もない?

そう思いつつも角の廊下を覗き込んでみるとそこには大内に渡したはずの黒いゲーム機が落ちていた。

「大内?」







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