止まらなかった。
「井浦は本当に地下が好きね」
堀は言った。
心底理解できないとばかりに。
長く腰の辺りまで伸ばした髪をゆるく手櫛で解かしながら。
「堀さんは興味ないの?自分とは違ったもう一つの世界に」
井浦は笑いながら、地上の電子機器を耳から外し、堀を顧みた。
シャカシャカと賑やかに音を立てる機械を不快とばかりに堀は眉をひそめ、吐き捨てるように言った。
「そんな下なんて見たって仕方ないじゃない。首が疲れるだけよ」
「石川」
「は?」
井浦がポツリと呟いた。
「あそこの紫。いつも上を見上げてるんだ」
「なんで、あんたが名前知ってんのよ」
その声には嫌悪が混じっていた。
この世界での常識。
地下に住まう下等な生物と合流を持ってはいけない。
本当は井浦が使っている電子機器だって、違法である。
そんな井浦を人々は異端と蔑み、気味悪がって近づかない。
「湯浦に教えてもらったんだ」
井浦は言った。
湯浦、それは井浦の親友のようであり兄弟のような曖昧な存在。
ふとした瞬間に現れては消えていく。
井浦にそっくりな見透かしたような男。
堀にしては井浦なんかより湯浦の方が何倍も気持ち悪く思うわけで。
「まだ、生きてたんだ」
つい、言動にトゲが入ってしまう。
「まだ生きてたって酷い話だな。俺はこんなにも元気で立派にお日様を浴びているわけなのに」
嫌みったらしい笑みを浮かべた湯浦が唐突に現れた。
もちろん、名前が出てきたからなんていう理由ではなく。
「井浦。佐竹が呼んでたぞ」
「え…まじで?」
「マジだ。早く行ってやってくれ」
「あぁ!!」
井浦が立ち去るのを見て、湯浦は井浦が居た場所にゆっくりと腰をおろした。
「何の用よ?」
「いや、特に用なんてないさ」
挑戦的に言い放つ堀を軽く避けた湯浦は楽しそうに笑った。
それを見た堀はますます不機嫌となるのを知ってか知らずか。
「堀は地下に行ったことはあるか?」
「あるわけないでしょ」
「俺はあるよ」
湯浦の表情は丁度、見えなかったけど。
言葉に込められた意味は嘘じゃないって語っていた。
「俺は自分の目で見た事実しか認めない。そこが下等だなんて誰が言った。少なくとも、ここで腐るよりはましに思えたよ」
「じゃあ、なんで戻ってきたのよ」
ここより良い世界なんて嘘に決まってるわ。
堀には高い自信があった。
だから、その自信すらあっさりと崩してしまう核心的な言葉は嫌いだった。
核心的な男なんて尚更。
「怖かったんだよ、自分の知らない世界が。俺は井浦みたいに素直に受け止められないからね」
湯浦は寂しそうに笑った。
「だからかな。俺が井浦という存在に光を求めてしまったのは」
「湯浦?」
「堀にだけ、教えてあげようか。
井浦はね、地下の人間なんだよ」
「…っ!!そんなの許されるわけっ…!!」
「だから、皆には内緒」
湯浦は人差し指をたてると小さく片目を閉じて見せた。
それから、堀が落ち着くのを待ってから口を再び開く。
「井浦は地下に帰りたがっている。本人の意志とは無関係に、本能が呼んでいる。俺はイシカワなんて井浦に教えた記憶がないんだ」
堀が理解不能とばかりに目を見開くのを見ると湯浦は口を閉じ、地下を見下ろした。
「井浦を地下に帰さなきゃいけない。けれど、井浦を手放したくなんてない」
悲しそうに目を伏せた湯浦は呟いた。
「俺はどうするべきなんだろうな…」
―――――…