「秀っ!」
世界中を巡り、辿り着いたゴールには少しだけ髪の伸びた秀がいた。
耳が隠れるくらいまで伸びた髪に秀と初めて出逢った時を思い出す。
緊張して、怖がっていて、敵意を向けていた頃の井浦秀。
周りに敵がいないことを確認すると剣を下ろし、秀へと近づく。
触り心地のよい髪や柔らかな身体。
思い出すだけで笑みが溢れた。
「…―っと」
秀が口を開く。
小さく呟かれた言葉に首を傾げた。
「やっと来たんだ」
今度はハッキリと聞こえた。
「あぁ、秀を迎えにきた」
手に触れるとぱしんと弾かれた。
思わず秀を見ると嫌な笑みを浮かべており、初めて見る顔に戸惑いを覚えた。
「なに言ってんの?」
「…秀?」
信じられないとばかりに秀の顔を見つめた。
それに対し、秀は最大限顔を歪め、笑う。
「早く殺しなよ。俺を殺しに来たんでしょ?」
「なに、言って…」
「奴隷の俺を買って加護して自己陶酔した後、要らなくなったら魔王に仕立てあげて、英雄にでもなるんでしょ?」
殺せよ。
疲れたような顔で秀は笑った。
秀の笑顔を見たいと望んでいたのは他でもない俺の筈なのに、どうしてもそれが偽物にしか見えなくて。
見たくなかった。
「殺さない…秀を殺すわけがないだろ」
「魔王まで救う救世主気取り?悪いけど、あんたが殺さないなら俺があんたを殺すよ」
ゆっくりと古びた剣を取った秀。
今にも壊れてしまいそうなその剣と秀に、決められた運命の一端を感じたような気がした。
「俺は、秀が好きだ」
「俺はあんたみたいな偽善者が、大嫌いだっ!」
一瞬の迷いを振り払うように振り上げられた剣が垂直に落ちてくるのを感じ、石川は一歩後ろに下がった。
「秀!」
「剣を抜け!!」
「…っ!!」
ガキンと鈍い音が響き、続けざまに繰り出される攻撃をガードするように胸の前で鞘を構えた石川に井浦は声を張り上げた。
ガツガツと反響する音に井浦の剣の限界が近いことを悟ると石川は唐突に剣を振り上げ、井浦の刀身に鞘をぶつけた。
「…っ!?」
バキンと剣が折れ、衝撃を殺しきれなかった井浦が床に転がる。
「秀…」
「…王子がっ…、調子に乗るなっ…」
ゆらゆらと覚束ない足で立ち上がった井浦は折れた剣を再び、構えた。
「おい!それ以上はっ」
「うるさい!剣を抜け!!
石川!!」
初めて名前で呼んでくれた。
嬉しい筈なのに、どうしてか悔しくて。
今にも泣いてしまいそうなくらい顔を歪め、叫ぶ秀に俺は剣を抜いた。
それを見た秀は満足そうに笑って、何故だか目頭が無性に熱くなった。
「そんな剣で俺に勝てるわけがないだろ」
目を腕で擦り誤魔化すと挑発的に秀を威嚇した。
大丈夫。
急所を外し、軽く気絶させるだけでいいんだ。
深呼吸をし、笑った。
誤解なんて、これから解いていけばいい。
だから、まず俺はこの戦いが終わったら君に真っ先に伝えたいことがある。
「…そうだな」
意味深に笑うとそのまま考える隙すら与えぬ動きで突撃してくる秀。
短剣のような構えのそれが届く前に秀の足を薙ぐように剣を振るう。
小さく足が跳ね、避ける。
勢いのまま剣を返し、脇腹を狙うように持っていくと今度はしゃがむように体位を下げ、避ける。
そして、下に下ろそうとしている剣の動きに合わせ、一気に前へと前進する。
小回りの効く無駄のない動きに、こいつはもともと奴隷なのだと唇を噛んだ。
用途が効くように仕込まれている。
首へと伸びる短剣に一回後ろに下がり、距離を置いた。
「一回ごとの動きが大きすぎて剣が追い付いけてないから全体的に遅くなる。遅くなるってことは隙ができるってことだ」
深追いをせず、石川のミスを指摘してみせる井浦に石川は違和感を覚えた。
何故、追ってこない。
首を傾げた石川に井浦は再び剣を構えた。
「石川は世界を救ったら何を変える?」
「…変える?」
「そう、勇者は魔王を倒して明るい未来を切り開く。石川、お前は何を変えることが出きる?」
一瞬、言葉に詰まった石川の隙を付くように井浦が駆け出した。
素早い突きに石川は咄嗟に剣を前に翳し、身を守る。
それからぶつかってきた井浦を勢いよく弾き返す。
軽く肩を薙いだのか、秀の肩から赤が滴る。
トントンとバランスを取るように後退をする井浦に石川は口を開いた。
「俺は何もしない」
「…ははっ」
出血を確かめるよう肩を押さえた井浦が吹き出した。
「それでも勇者かよ、未来の英雄かよ。何か変えてみせろよ」
「俺には無理だ」
ひとしきり笑った井浦は真っ赤に濡れた手をだらんと下げ、肩の力を抜いた。
やっと見れた本当の笑顔のような気がして嬉しくなる。
「帰ろう、秀」
「嫌だ。嫌いだって言っただろ?」
「それでも俺はやっぱり秀が好きだ。無理矢理にでも連れて帰る」
気のせいか?
最初、お前を見た時よりお前が生き生きとして見えるんだ。
陰りのない笑顔に引き寄せられるように剣を突き出した。
嬉しそうな顔が見れるのが俺にとっては凄く幸せなことで、絶対生きて一緒に帰るのだと誓った。
「知ってるか?」
秀が口を開いた。
「なにをだ?」
「このゲームにはタイムリミットがあるってことだよ」
右を指差した秀に釣られるように視線を逸らすとその隙に秀が突っ込んできて、今までと違っていたのは秀が確実に動脈を狙っていたこと。
間に合わない!
咄嗟に剣を横へと薙いだ。
ぶんっと空を切る音に秀なら簡単に避けてしまうのだろうと半ばやけくそだった。
だが、腕に残ったのは確かな手応え。
驚いて正面を見るとそこには今まさに口から血を吐こうとしている秀がいた。
「…秀!!」
「…―ゲホッ」
カランと渇いた音で転がった二本の剣。
一本は折れ、もう一本は真っ赤に染まっていた。
膝から崩れ落ちたその身体を抱くと異様なくらい軽いことに気がついた。
こいつはこんなにも細かっただろうか。
「なんでっ…なんで避けなかった!!」
「…っ…かはっ」
べちゃりと口から溢れた液体と腹部から漏れ出す液体が辺りを濡らす。
「…い、しか…」
「なんだ!?」
「…××××…」
「…――っ!!」
涙を溢しながら言う秀の言葉が何処か遠くにあるように感じて、胸に力一杯抱いた。
行くな行くな行くな行くな行くな行くな行くな!!
「秀…帰ろうっ!そしたら、…お前の故郷に行こう。誰にも邪魔されない、今度こそ幸せになろうっ…」
「い、しか…」
「ずっとずっと今度は手離さないから!約束するからっ…!行くな!!俺を…っ!……一人にしないでくれっ…」
「いしか…」
「好きだ…どうしょうもないくらい、初めて会った時からずっと…結婚しよう……秀、必ず幸せにするからっ…」
「石川!」
止まらない言葉の羅列に秀が割り込む。
悲しそうに顔を歪め、頬に手を伸ばしてくる。
ぎゅっと上から重ねるように押さえると少しだけ嬉しそうな顔をした。
「…俺はもういいから」
「いやだっ!!」
「…もう運命は変わらないから」
「そんなのっ…」
井浦が行ってしまわぬようにときつく抱き締める石川。
けれど、止めどなく溢れる液体がもう無理だと笑った。
朦朧とした意識の中で井浦は思う。
思えば、悪くない人生だったと。
奴隷として飼い殺されるだけだった自分を本気で愛してくれた唯一の人。
俺には幸せ過ぎたくらいだ。
彼には一度も言ったことなどなかったが、一瞬たりとも考えてしまった自分がいて、きっとこれは罰だ。
報いだ。
身の程をわきまえず、高望みをしてしまった俺への。
だから、せめて、彼が苦しんでしまわぬように俺は悪くなければならない。
決死の力を振り絞り、石川の首に指を当てた。
「これは、…呪いだっ…ゲホッ」
「秀?」
指にこびりついた朱色を石川の首へと、一直線に描いた。
「…わすれ、るなっ…」
俺は運命を赦さない。
「お、れはっ…―ガハッ」
「秀!もういいっ…それ以上喋るな!!」
俺は恨むよ、憎むよ。
やっと手にいれたはずの幸せを壊した、この運命を。
「…俺は世界で一番、お前が大嫌いだ」
「……っ…」
「こんな、運命なんて…いらなかったっ…」
「秀っ…」
どうして。
どうしてですか?
なんでいつも幸せは俺の手から逃げていくのですか?
こんな、運命なら。
こんな、世界じゃなかったら俺はお前を愛せたかもしれないのに。
「な、でっ…」
知らない方が幸せだったはずなのに。
教えてくれなくても良かったのに。
ただ、無のままで死んでいきたかったのに。
「お前に出逢わなきゃ良かった…!」
目から溢れる液体で視界が曇り、石川の顔がよく見えない。
嗚呼、見えないのなら見えない方がいい。
でも最後に少しだけ笑った顔が見たくなって。
でも、それは赦されないことだから。
「よ、くも…俺を殺してくれたな…愛してるなんて全部、嘘だったじゃ――……ゲホッガハッ」
びちゃびちゃと逆流していく血液に邪魔され、言葉すらろくに発音できない。
届いてるか?
俺はお前を。
世界で一番。
「…この…っ…うそつき、がっ…」
「信じてた」
言えなかった、最後まで。
嘘つきは俺の方なのだと涙を溢し、力を抜いた。
パタリと落ちてしまった腕と閉じた瞳に全身から血の気が引いた。
「…しゅう?」
軽く揺すったが、起きない。
「秀…」
反応がないと大きく揺すると傷口からこぽりと赤い液体が溢れだし、首がガクッと後ろに仰け反る。
真っ白な喉が痛々しく、首筋にいくつもの鬱血があることに気がついた。
「秀!」
こいつはあの空白の時間で一体何をされてきたんだ?
「おい!!」
いくら呼んでも返事はない。
そうだ。
そうだよ。
当たり前だ。
俺が秀を切ったんだ。
殺したんだ。
『…わすれ、るなっ…』
きぃんと頭に響いた。
馬鹿、馬鹿だなぁ。
「…ぁははっ」
俺が秀のことを忘れるわけがないだろ。
思わず笑みが溢れ、そして憤りを感じた。
どうして分からない?
ドウシテワカラナインダ?
「ふざけんなよっ!!」
大きく床を殴り付け、そして深呼吸をした。
大丈夫。
まだ、間に合う。
「石川さま!魔王は?」
建物の出入口まで行くと外で待っていた仲間が駆けつけてきた。
真っ赤に血塗られた自身の身体に傷が一つもないのだと思うと無性に泣きたくなってくる。
散々、言ってた癖に。
なんでそんな中途半端なんだ。
「悪い…少しこっちまで来てくれないか?」
仲間が近くまで来るのを確認すると、剣を抜いた。
ザシュッ…なんて音と共に地に伏せる仲間の頭を靴底で踏みしめ、止めを刺すように首を切り落とした。
なんで?と言うかのように見つめてくる虚ろな瞳をぐにゅりと指で抜き取ると拳に転がし、笑った。
「可笑しいよなっ…可笑しくて堪らないんだ」
石川は笑う。
狂ったように笑う。
やがて駆けつけた別の仲間が国王に告ぐだろう。
いや、もしかしたら逃げ出すかもしれない。
更に言えば、狂気に呑まれた石川に殺されてしまうだろう。
されど、この事実は変わらない。
悲しいまでに変わりようがなかった。
『世界を守った救世主は世界で一番不幸になりました』
それは、きっと歴史を大きく変えてしまった瞬間。
これでもまだ運命の手の内だと言うのならば。
「秀…今、俺が運命を壊してやるからな」
石川は笑う。
邪心に満ち溢れた眼で世界を歪ませらながら。
――――………