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「も、もと?」

向き合ったのはいいが、一向に口を開こうとしない弟の様子に秀は首を傾げた。
吉川は言えよ、と肩を揺する。

「―うるせっ!!」

もとは唐突に吉川の手を振り払うと秀に近づき、両手で秀が逃げないように肩を掴んだ。

「ね、姉ちゃんっ」
「おっ…おうっ!!」

緊張したような秀の様子にもとは緩く微笑むと秀に顔を寄せ、頬にキスを落とした。

「へっ…!?」

咄嗟に頬を押さえた秀に、もとは一歩だけ後ろに下がった。
自分に敵意はないと言うように。

「好き。でも、安心して。もう止めるから」

姉ちゃんは自分の幸せを掴んで。

それだけ言い残すともとは走り出し、何処かへ去っていく。
何処と無く遠い目をした吉川は秀に近づくとぽんっと肩に触れた。

「残念?」
「まさか、弟が正しい道を選んでくれて嬉しいよ」

橋の向こう側に見えたのは頭を下げながら誰かと歩いている弟の姿。
思わず、笑みが浮かんだ。

「つか、井浦。俺に言うことない?一応、本気だったんだけどさ」
「あ、」

忘れてたとばかりに吉川を見上げる秀の頬はうっすら紅色に染まっていた。


この世界で頑張る君に。


「姉ちゃん!!また俺の歯ブラシ間違って使っただろ!!」
「え?マジ?あははは!寝惚けてたかも!」

んじゃ、いってきます!!


ここ最近、秀が明るいと母は笑っていた。
少し前までの含んだような笑みや脅えたような表情がなくなったと。
恥ずかしいのか、本人は決して認めようとはしないけど。
もとも少しずつ変わってきている。
たまに女の子を家に連れてくるようになった。
秀は着実に変化してきている日常に笑みを浮かべた。

「秀!おはよう、相変わらず早いな」
「んー、普通だろ?」

石川は極端に秀を庇うことをしなくなった。
何かに負い目を感じているような暗さも影を潜め、きっとなくならないんだろうけど、弱く小さくなっていく。
より対等にこの幼なじみを同じフィールドに立っているようで誇らしくなる。

「あ、お姉さんだ!」
「げっ…お前かよ」

北原は相変わらず、もとの気持ちに気がつくことはなく、なんだか申し訳なく思う。
でも、それも弟がきちんと恋をしているのだと思うと嬉しくなる。

「井浦!何、朝から走ってんだよ」
「井浦ちゃんは元気だねぇ」
「ちょっと!ギュってしないでよ!!」
「あはははは!!」

自由に怯えることなく走ることがこんなにも気持ちがいいなんて知らなかった。
駆け抜ける風に身を委ねて、快活に笑う。
その先にはきっと君がいてくれる。
だから、私は迷うことなく走る。

「由紀!!」

振り向いた君に思いっきり抱きついた。
そして、笑顔で君を受け入れよう。

「ありがとう」


――――…


「あの…井浦ちゃんに荷物を預かってまして」

柳は戸惑いがちに小さな包みを井浦に差し出した。


「これは…」


この世界で頑張る君に

終わりのない幸せを


「なんだったんですか?」
「ん…いや、なんでもない」

思わず、溢れた笑みに蓋をして、私はこの世界で今日も生きる。


――――――…






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