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旦那と出会ったのは、春の終わりの初夏のことだった。

まだ、これで夏じゃないっていうか梅雨ですらないっていうのが信じられないくらい暑い日のことを今でも鮮明に覚えている。

俺の実家、雨生家は代々言霊師という術師を生んでは外に出し、引き入れるというサイクルの例えるならマッチポンプのような仲介業を行っている家系だった。
各家系、長子が家を継ぐのは当たり前のことだが、家を継ぐ以外の次男三男、また才のない者が流され辿り着くのが雨生家。
それぞれの家系の血縁が結び付き、時折生まれる才のある子を他所へと出し、次の子が生まれたら代わりに回してもらう。
雨生家は潰れないし、名家も保険となる。
ある意味、雨生家はあらゆる名家の血を網羅した血とも言えた。
もちろん、純血を好む家計にはとことん目の敵にされたらしいが。

そんな雨生家の長男として生まれた俺にはちゃんと血の繋がっていた一人の姉がいた。
雨生家次期当主の最有力候補とまで言われていた姉は若くして雨生家としての才覚を表し、何処と何処の血を繋げれば良い血が生まれるかを正確に計算してみせた。
端からそれを眺めていた俺にはそういった才能はまるでなく、俺の興味は常に血を計算してみせる姉にあった。
血と血を難しそうな顔で選別する姉はさながら神の使いっぱしりのようで見ていて飽きなかった。
だが、そんな期間も長くは続かず、俺の焦点は次第に血の選別以上に姉という目に移っていく。
嗚呼、一体、姉の目には世界がどのように見え、血はどのように映るのだろう。その黒い瞳を抉り取ったら、どんな反応をするのだろう。
その血はきっと何よりも美しいものに違いないし、散り行く姿はそこいらの花々よりも儚いものなのだろう。

強く雨生の血を引き継ぐ母と力の弱い言霊師の父を持つ俺は何故か雨生の血より濃く、言霊師としての血が出た。
そして純粋な好奇心による殺意を隠すには幼すぎた俺はその言霊師の血を理由に言霊の才を磨くという名目で姉から離され、本家から閉め出されるように分家に移され、幼少を過ごすことになる。

色々と小さい頃から問題視され続けていた俺ではあるが無事に言霊師としての実力を満たしたのが、俺が十七を過ぎた年のことだった。
更に紙様をもらったのは雁夜さんの意志で三年待って二十歳になってから。
間の三年間は普通に暮らしてみたり、思い出したように本家に顔を出してみたり、雁夜さんのところで紙様の準備を手伝ってみたりとよくよく思い返すと人生で一番自由に過ごした時期だったのかもしれない。


すっかり慣れ親しんだ雁夜さんの家は良くいえばアットホームな生活感に溢れていて、悪くいえば切りがない。
ギシギシと軋む床を楽しみながら歩く俺をいつも雁夜さんは嫌味かと言って苦笑いをしていたのを覚えている。
雁夜さんの家は面白いものが溢れていた。
俺の知らない知識があちらこちらに転がっていて、どれも俺の興味を惹くには十分なものばかりだった。
さすがに蟲が出てきた時は引いたけど。

そして俺が二十歳を迎えた年の十三日の金曜日、今日、俺は雁夜さんから紙様をもらう契約をしていた。



じりじりと蒸すような暑さの中、冷房が壊れたとかいって扇風機を倉庫まで探しに行ってしまった雁夜に龍之介は暇を持て余していた。
この家に置いてある書物など、もうとっくに読みきってしまっていたし、特にやることもなく団扇で扇いでいると、かたりと扉が動く音がした。
雁夜が戻ってきたのだろうかと一瞬だけ考え、違うのだと龍之介はゆるく首を振る。
雁夜さんの音じゃない。

観察するように耳を立て、目を細めた。
ついでにいつでも立ち上がれるように姿勢を立て直す。

かたん。

また音がした。
今度は襖が数センチ開き、そこから長い爪が見えた。
くいくいと、此方に来いと言わんばかりに曲げられる指にゆっくりと立ち上がり、近づいた。
警戒しながら襖に手をかけると、

バンッ!

大きな音を立てながら襖が勢いよく開き、中から出てきた大きな手に腕を掴まれ、中へと引きずり込まれた。

「…っ、」

呼吸も止まってしまうんじゃないかってくらい心臓がばくばくし、掴まれた腕が下に強く引かれバランスを崩すように膝が折れると、そのまま床へと押し倒される。
どんっと後頭部に鈍い痛みが走った。

「……ったぁ!」
「…汝、術師なりや?」

ぞくりと内側を撫でるような低い声に涙で歪んだ視界を無理やり抉じ開け、此方を覗くギョロリと大きな瞳と目が合う。
ストレートとは言い難いウェーブのかかった黒髪が後ろに撫で付けられていて、男の痩せこけた蒼白い頬がつり上がり、青い唇が弧を描かれた。
骨張った巨体と痩せた体がミスマッチな男の目を食い入るように龍之介は見つめた。

「…ぁ、」

今にも零れ落ちてしまいそうな目玉が此方を見るたびに不覚にも背筋がぶるりと震えた。
ぎゅぅうっと胸が締め付けられ、息が苦しくなって身動ぎ一つ出来ないくらいガチガチに固まってしまっている俺にそれは更なる笑みを深める。

「怖がらなくても結構です。私は別に貴方を取って食おうというわけではないのですから」

長い爪が頬を掠め、ピリッとした痛みが走った。
その箇所を何度も、温い液体を広げるのを楽しむように指が這う。
むず痒いような感覚に耐えきれず這っていた手を押さえると、それは目を見開き、反対の手で俺の手を眼前まで持ち上げた。

「…おぉ!これはなんと優美なっ!」

急に大きな声を上げられ、軽く引きながらも会話を成立させるなら今しかないと口を開く。

「…そう、なの?」
「…えぇ、これは今まで私が見てきたものの中でも十本の指に入る代物です。許されることなら今すぐにでも切り落とし、ホルマリンに浸けてしまいたい。…いや、貴方の膓から覗く原色に染められた白はさぞ美しいのでしょうね」

僅かに目を細める姿と話に軽い感動を覚えつつも話を聞いてくれそうな雰囲気を逃すわけにはいかないので話を続けようと言葉を探す。
いやー実は指が八本だったり十二本だったりしないかって疑ってるんですーなんて言ったらどうなるんだろう。
八つ裂きに引き裂かれワタをほじくりかえされる俺を想像して、くすりと笑みが浮かんだ。

「…ははっ…なにそれ、超COOLじゃん」

ねぇねぇ、ぎょろ目さん?
ぎょろ目さんは何をしてたの?
なんで俺のことを呼んだの?


伸ばした手がそれの頬を掴み、引き寄せる。
抵抗はない。

「…三年前より、私の書物を読み漁っていたのは貴方ですか?」
「うん。あれ、あんたのだったの?」
「無邪気な様相で物思いに耽る姿、ずっと拝見しておりました」
「そう、そうなんだ」

ゆっくりと咀嚼される言葉に目元を弛める。
嗚呼、触れた手がこんなにも熱い。

「ねぇ、ぎょろ目さん」

浮かんだ問いが消える頃、やっと自分の胸が高鳴っていることに気がついた。





「リュウノスケ?どうしたのです、そんなところで」

後ろから掛けられたジルの言葉に龍之介ははっと我に帰る。
頬に手を当てても、そこにはもう傷口は残ってないし彼が広げた赤もないのを思い出す。
何年前の話だろう。
紙様をもらう約束をしていた龍之介を雁夜の部屋から連れ出したジルが無理やり龍之介の隣についたのは。
いや、無理やりというのには少しばかり語弊がある。
あの時、確かに龍之介はもうジルしかいないのだと確信していた。

「ぎょろ……旦那、」

今でも鮮明に思い出せる思い出は旦那と過ごす日々と愛すべき日常の退屈たち。
間違って悪魔を呼んで、どっかの戦争を引っ掻き回した挙げ句に誰よりも幸せに死んでいくより楽しい死にかたをしてみせよう、なんてね。

「指切っちゃった、キスしよ」

ぷつりと犬歯で人差し指を噛みきり、旦那に差し出した。







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