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なんとなく、井浦くんの心が離れていってるのは分かっていた。
その原因が何なのかも、嫌というほど知っている。


「仙石さん、帰ろ」

生徒会室に顔を出しに来る井浦くん。
最初の頃は待ちきれないと言わんばかりに何十分も前から押し掛けてきて、ありったけの笑顔を振り撒いていたというのに。
今では事務的に終わる時間帯を見計らってやってくる。その顔には冷たい愛想笑い。
それでも、君は笑っていてくれるんだね。

「あぁ、今行くよ」

荷物をまとめ、生徒会室から出ていく。井浦くんの隣に並ぶと井浦くんが少しだけ目を逸らしたような気がして、一歩前に出た。
井浦くんの顔が見えない。当たり前だ。でも、だから、今だけは愛想笑いを止めてもいいんだよ。

道中は一切の無言。気まずい沈黙が続く。
手を繋ぎたくて後ろを振り返ると、井浦くんがハッと顔を上げ、少しだけ広がっていた距離を埋めた。でも、やっぱり遠くて。
違う、違うんだよ、井浦くん。後ろじゃなくて横に来て欲しい。
立ち止まり、井浦くんの方へと手を伸ばすとサッと避けられてしまう。

「…ぁ、」

やってしまった。
そんな怯えたような井浦くんの表情に泣きたくなる。
どうして?

いや、本当は気づいてるくせに。馬鹿みたいに薄っぺらい希望にすがりつく。
すがりつき、縛り付けていた。

「…手、繋ごう」

不思議そうな顔をしたものの、従ってくれる井浦くん。ありがとう。
触れた温もりが心地よくて、目を細めながら井浦くんの方を見ると井浦くんは泣きそうな顔をしていた。

「……言ってもいいよ」

呟いて、井浦くんの手のひらをぎゅっと握り込んでから、すっと力を抜いた。井浦くんの手は最初から重ねていただけなので、俺が握ってないとすぐに離れてしまいそうだった。
それでも、離さなかったのは俺の未練。
俯いて、暫く何かを考えていた井浦くんがゆっくりと重たい口を開く。

「別れたい」
「うん」

頷くと井浦くんはバッと信じられないものを見る目で此方を見つめてくる。
それからくしゃりと顔を歪め、ばかと小さく呟いた。

本当はずっと前から少しずつ井浦くんの心が離れていってるの、知ってた。
知っていたのに、何もしないで無視し続けていたのは俺。どうして、俺はこんなにも深く井浦くんを愛していたというのに、井浦くんとの距離がどんどん遠くに離れていってしまうのだろう。
考えようとも思わなかった。愛している、そんな事実だけで満足していた。君もそうだったらいいな、なんて幻想。

「愛している、そんな陳腐な一言が欲しかったんだ」

井浦くんが遠くを見つめながら言う。ほら、君もそんなわけがなかった。

「俺はこうやって君と手を繋いでいれたら、それで良かった」

価値観の違い。俺たちの間にあった壁はこんなにも脆く薄っぺらい。でも、届かなかった。二人が動かなかったから。

「俺は仙石さんとは違う…言ってくれなきゃ、信じられなかった」

残酷な言葉が胸を刺した。俺は君が望めば、そんな言葉いくらでもあげたというのに。君にとって俺の愛なんて信じるに値しなかったんだ。それでも、俺は君を、

「愛してる」

その一言を呟くと、井浦くんの瞳が濡れていき、きゅっと堪えるように唇を噛み締めた。
それからぎゅっと俺の手のひらを痛いくらいに握り締め、大粒の涙を溢れさせた。

「遅いよっ…もう遅いっ…」

どうして、俺は伝えてあげられなかったのか。
どうして、ちゃんと愛してあげられなかったのか。
後悔の念が幾重にもなって襲いかかってくる。

ちゃんと分かって、付き合っていたはずなのに。

気づくのが遅いんだよ。

どうして俺は愛せなかったんだろ。

「どうして…そんな仙石さんを好きになったはずなのに、分かっていたはずなのに、愛せなかったんだろっ」

何度も繰り返し言う井浦くんの手をそっと握り返した。
涙で濡れた顔を空いた手で何度も擦りながら、俺に頭を下げてくる井浦くんに言葉を失った。違うよ、本当に謝るべきなのは俺の方なんだ。

「ごめん、愛してた」

頭を撫でようとしていた手を避けるようにして、井浦くんが顔を上げた。
その顔は涙で濡れ悲壮感の漂っていたさっきまでのそれとは、まるで違っていて。井浦くんはすっきりとした顔で微笑んだ。

「ありがとう、ごめんなさい」

でも、涙は止まってなくて。その綺麗な愛想笑いは君の専売特許だねと俺も小さく笑ってみせた。
笑えているかどうか自信はない。もしかしたら、みっともなく泣いているのかもしれないし、酷い顔をしているのかもしれない。
それでも、笑みを絶やさなかった君に少しだけ習おう。

「さよなら、」

この貫くような胸の痛みがどうか、癒えますように。俺だけでありますように。



もし、もう一度だけチャンスがあるなら。
俺はもう一度、君を愛することだろう。
今度は今度こそは失敗しないように。
そんな機会何処にも存在しないことを知っておきながら。



愛なんて、

所詮は陳腐で偏屈と偏見の塊なんだ。だから、永遠なんてものが存在しないのかもしれない。


それでも、俺は間違いなく君を愛していたんだ。



――――――………







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