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彼奴は俺の名前を呼ぶとき、決まって女子や目上の人に話をするみたいに『さん』付けをする。
気にはしなかった。
何故なら、生徒会長も男だけど『さん』付けだからだ。
どんな基準で決めているのかはしらないが、彼奴の中ではそうなっているのだろう。
別に呼び名なんて、どうでもいい。


「お前いい加減、秀に意地悪するの止めろよな」

呆れた顔の石川が言う。

「別に、意地悪とかしてないけど」

そう返した俺に石川は溜め息を吐いた。
休み時間、今はいないが、よく一組に来る井浦の声は教室に響く。
言うなれば井浦は喧騒とした雰囲気を背負って来るような男だ。
ウェルカムと素直に手招きが出来るほど俺の人間性はできてない。

「秀が吉川は自分にだけ冷たいって気にしてたぞ」

まるで世間話のように言われるそれは説教と呼ばれるもの。
透は優しいから、井浦に甘いから少しでも落ち込んだ様子を見かけると放ってはおけなくなる。

「勝手にそう思い込んでるだけじゃないの」
「なぁ吉川、お前は秀の何が気に食わないんだ?」
「全部」
「ぜん、…全部ってお前なぁ…」

疲れた顔の石川には分かるまい。
別に当たりたくて当たってるんじゃない。
ただ、彼奴が笑ったり誰かと話したりしてると無性にムカついてならないのだ。
それが理不尽なことくらい当に気が付いている。
気がついてはいても、どうしようもできないのだ。

「本当は嫌いじゃないくせに」

ポツリと溢された一言に言葉が詰まる。
分かってるなら、言うなよな。

「…ばぁか」

だから、俺の人間性は出来てないんだよ。



最初はもっと気軽に話せた。
彼奴は明るくて話の幅が広くて、いやそれは今も変わらないんだけど、絶対に怒らない。
怒らないから距離感が掴めない。
俺が何しても笑って、ときに傷付いたような顔をしても次にはけろりとしていて。
透は甘やかしながらも怒るときは怒ってくれるけど、井浦はどちらかというと笑って全部流してくれて、どんなことでも受け止めてくれる感じだった。
分からない。
どうして嫌がってくれないのか、分からない。
どうしたらいいのか分からなくて、ずっと彼奴を見ているうちに変に意識してしまうようになって、それが恥ずかしくて冷たく当たってしまう。
怒られるとか嫌われるとか思っていたのに本当、怒らないから。
気がついたら、彼奴のことで頭が一杯になっていた。



放課後の補習を受けているのはどうやら俺だけらしい。
やる気のない先生が適当に出した課題プリントはあり得ないくらい難しかった。
問一すら答えられないとか、こんなことなら堀に声をかければ良かった。
ていうか、なんで透いないの。
あまりに静かすぎる教室は不愉快ではあるが眠るには適しすぎて、このまま終わりまで寝て過ごそうかとも思えてしまう。

「ふぁ…ぁ、」

大きく欠伸をしたのを見計らったかのように扉が音を立てた。

「あれ、吉川さんだ。補習?」

そこから顔を出したのは某所で首位を独走している男…井浦秀である。

「悪い?」
「いや、悪くはないけど…」
「井浦は?井浦は何してたの?」
「ん、あぁ…俺は、ね」

困ったように笑う井浦はやはり怒らないし、不愉快そうな顔なんて一切しない。
俺、今めちゃくちゃ感じ悪かったんだよ。

「ちょっと、呼び出されてて」
「没収されたの?」
「あ、いや…その…、」

歯切れの悪い井浦の様子に首を傾げる。
なんか、言い難そうというか。

「…こ、くはく…され、まして……今日、補習あるっていうから…石川いるかなぁ…って」
「……っ、」

井浦が告白された。

その事実に頭を鈍器で強く殴られたような衝撃が走る。
そりゃ井浦は明るいし話題いっぱい持ってるし、その気になれば彼女できることくらい分かってる。
動揺を悟られないように小さく深呼吸をした。

「…、ふぅん…可愛かった?」
「うん、」

嗚呼、でもやっぱり駄目だ、落ち着かない。
なんで、なんでちょっと頬が赤いの?
嬉しいの?
彼女が出来たのがそんなに。
止まらない疑問を全部ぶつけたら井浦はなんて反応をするのだろう。
そのとき井浦は怒ってくれるのかな。

「…付き合ったり、とか…、井浦もリア充の仲間入り?」
「あ、…いや。付き合ってはないです」
「は、はぁ!?なんで!?いつもいつも煩いくらい彼女欲しいって喚いてたじゃん!」
「わ、喚くって酷いなぁ」

苦笑いをしながら俺の目の前に来た井浦は話を逸らすように俺のプリントを覗き込んだ。
やっぱり怒らないし。

「あんま難しいのは分かんないけど、教えようか?」

井浦に教えられるなんてと思う反面、先に帰られるのも癪だと思ってしまう。
嘘だ、本当は一緒にいたい。
渋々といった風を装い頷くと井浦が嬉しそうな顔をした、気がした、と思わせて。


「…それで、ここにこれを代入して、」

井浦の説明は意外にも無駄がなくて分かりやすかった。
たった一問、一人では解くことの出来なかった問題も井浦の説明を加えるだけで半分も埋められた。
基本的な問題だと肩透かしを食らったような顔をしていた井浦を見る限り、どうやら俺の頭が悪いだけらしい。

「井浦はさ、どうして告白してきた子?と付き合わなかったの?」

世間話の一環にしてはデリカシーのない話題。
でも、やっぱり井浦は気を害した様子ではなかった。

「んー、好きな人がいるから、かな」

珍しくヘッドフォンをしていない井浦は何でもないように答える。
ベタかな、なんて照れながら笑う姿に胸が締め付けられた。

「あ、でも、全然脈がないっていうか…」

誤魔化すように付け足された一言。
なにそれ、脈がないとか。

「ふぅん…どんな子?」

「吉川さんみたいな子」

「…は、」
「な、なんちゃっ「なんで俺じゃないの」

早口で逃げようとする井浦の言葉を遮り、机に身を乗り上げ井浦の腕を掴んだ。
びくんと井浦の肩が跳ねた。

「井浦、ねぇ井浦?」

理解が追い付いてないらしい井浦は目を白黒させながら瞬きを繰り返す。
理解出来ないなら、何回でも言うよ。

「なんで俺じゃないの」

鼻と鼻の先がくっつきそうなくらい近い距離感。
井浦は必死に目を逸らそうと身を引こうとするが、許さない。
逆に強く腕を引き寄せれば、井浦は体を後ろに逸らしてきた。

「井浦は怒らないよね、絶対に怒らない。なに考えてるか分かんないよ」

かしゃんと乾いた音を立てながら安いシャープペンシルが机から転がる。
もし俺に似た子が井浦を好きになって取られるくらいなら、あぁ違うな。
井浦の好きな子に俺が似てるっていうなら俺は、その子になりたいんだ。

「俺、井浦のこと好きなんだけど」

「あ、」

固まる井浦の頭部を掴み、思いっきり唇をぶつけた。
かつんとぶつかる歯と歯の音が教室に空しく響く。
手を離すと井浦はばっと口を押さえ、一歩後ろに下がってしまう。

「…吉川さんも、なに考えてるか…分かんないけど、」
「それ、どういう意味?」
俯いて見えない井浦の顔に内心、嫌われてしまわないか不安で押し潰されてしまいそうになる。
でも、それでも、こんな態度しか出来ない俺を井浦は怒ってはくれないのだろうか。

「だって、いつも俺に冷たいじゃん」
「そ、れは…その」
「嫌われてるのかと思ってた」

そんなわけない。
嫌いなわけないじゃん。

「ばっかじゃないの、嫌いとか言ったことないんだけど」
「…っ、なんだ…そう、だったんだ」

か細く、途切れ途切れの声で話す井浦がゆっくりと顔を上げる。

「…良かったっ、」

一言、それだけ呟いた井浦は顔をくしゃりと歪ませると瞳から大粒の涙を溢れさせた。

「ねぇ井浦、井浦が好きなのは誰?」

溢れる滴を拭おうともしない井浦の頬を掴み、袖口で強引に拭ってやるが、次の瞬間には新しいので濡れてしまう。
言葉の意味にかあっと赤く染まっていく井浦に笑みが浮かんだ。

「教えて」

顎に手を当て、顔を強引に此方を向かせる。
井浦は口を数回はくはくと動かした後、小さく口を開いた。


スターチスでも誓おうか


良くできましたと言わんばかりに井浦の頭を撫でてやると、ぼふんと音が上がったのではないかと疑いたくなるくらい井浦の顔に朱が差した。
それから勢いよく井浦が手を振り払い、数秒気まずそうに目を逸らした挙げ句、教室から飛び出して言った。


「追いかけ…たら、って言っても俺まだ補習あるんだよなぁ」



――――――…


スターチス(Statice[別名:リモニウム])

『永遠に変わらない心』
『変わらない誓い』







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