「鹿野さん! 表の掲示板見た!? あれって本当なの!?」
「陸上部のキジくんって!」
あー知らない、知らない。僕ってばほら、今回は完璧被害者じゃん?
朝、寮を出て正門をくぐると速攻女子に囲まれ、質問攻めを喰らった。横にいた筈のキドは気が付けば昇降口を通りすぎている。華麗なる裏切りだ。
「んーごめん。まだ来たばっかでよく分からないんだけど、説明してもらえるかな?」
なら話が早い。とばかりに般若のような形相の女子達に手を引かれ、掲示板まで連れていかれる。
新聞部の新作かぁ……嫌な予感しかしないや。
「あ、」
掲示板に見慣れた後ろ姿を見つける。制服の袖と裾を捲り、中に緑のパーカーを着込んだその姿を見間違えるわけがない。セトだ。
朝から会えるなんて、とここ数年で恐ろしいくらいに乙女化の進んだ脳内が桃色の花火を打ち上げた。
「せ――「鹿野さん!」
声をかける前に誰かに掻き消される。周りがきゃー、と黄色い声を上げた。
振り返れば、そこには赤い顔をしたキジくんが。嬉しそうな表情で僕に向かってやってくる。
なんてタイミングが悪い。周りも周りで気を遣ってか道を開けていた。余計なお世話過ぎる。視線を戻すとセトと目があった。セトは黙って僕を見る。
視線は限りなく冷たく、侮蔑を孕んだもの。当然だ。僕は男で相手も男で僕は女の格好をしていて、そして何より男が好きなんだ。
いや、少し違うかな。性別なんて関係なく、セトが好きだった。
この気持ちに気付かれてしまえばきっと今以上に彼は僕から離れていってしまう。事情があるにしろ、彼はそれを知らない。知らないからこそ、離れられる。
セトのクラスは僕のクラスと階段を挟んで正反対にある。だから廊下で擦れ違うこともない。話しかけるなら今しかない。けれど何て言えばいいのか分からない。
昔はあんなにすらすら話せて話題なんて腐るほどあって時間は足りなかったのに、今ではもう何も分からない。もっと一緒にいて話したいのに、話すことがないなんて。
僕が逡巡している内に飽きたのかセトは僕から視線を外し、自身の教室へ向かおうとする。
「あ、待って……!」
思わず腕を掴んでしまう。セトの肩が怖いくらいに跳び跳ねた。周りが息を呑む中セトは気怠そうに振り返り、セトの腕を掴んでいた僕の腕を逆に掴み上げた。そして僕の肩を押すと掲示板のすぐ横の壁に押し付ける。
「――、ぁっ!」
「鹿野さん!」
キジくんが飛び出し、僕とセトの間に入った。最悪のタイミングでぶち壊した癖に、こういう時だけ無駄に格好いいじゃないか。
セトに掴まれていた腕を引き剥がしてくれる。押し付けられていた肩も痛かったので有り難い。
「カノ、いつまでもあの頃のままでいれると思わないでくださいッス。それに、……最初に裏切ったのはカノじゃないッスか」
酷く低い声。変声期を終えた男の声だ。僕の声より高い。最後の方だけ小さく伝え、キジくんを一瞥するとセトは去っていく。
いつまでもあの頃のままでいれるとは思ってもいない。けれど、僕は。
「鹿野さん、」
キジくんが優しく肩に触れた。
優しい、まるであの頃のセトのようだ。だから彼に甘えたくなる。これはもう一種の本能に近かった。昨日知り合ったばかりとかは関係ない。
駄目だ、これ以上彼に近づいてはいけない。無意識の警鐘が僕の甘えを抑え込む。
「もう大丈夫だよ。いつものことだから」
笑って取り繕って、それから幻滅させよう。僕がいかに汚くて狡い存在なのか。それさえ知ってしまえば、もう近寄ってこないだろう。関わってこないだろう。それが互いにとっても一番だ。
だから、僕は彼を幻滅させようと言葉を探す。しかし、僕が言葉を見つけるよりも先に彼は真剣な面差しで僕と向き合った。
「俺、宣戦布告してきます!」
「えっ!?」
「……あ、いや、忠告だ。忠告してきます! 俺の鹿野さんに手を出したら俺が許さないからって!」
「いや、僕は君のじゃ――ぅんっ!?」
遮るように口付けられ、固まってしまう。キジくんは周りの声など聞こえてないかのように嬉しそうに笑うと僕の頭を撫で、軽いリップ音を立てながら顔を離した。
それから僕の額に唇を落とし、身を翻す。
「それでは、行ってきます!」
彼はきっと笑顔でそう言った。背中しか見えないけど、その鍛えられた背中を見間違えることはもうないだろう。いや、間違えたこともないんだけどね?
駆けていく彼の背中を見送るのは二度目だ。完全に姿が見えなくなると、やっぱり力が抜け、壁際にずるずると座り込んだ。周りのギャラリーから顔を隠すように膝の間に顔を隠す。
卑怯だ、卑怯すぎる。普通そこは慰めたりするだろ。引くというより、ずっと惹かれた。突拍子もない行動に含まれているであろう優しさを思うと堪らなく胸が苦しくなってしまうのだ。
「吊り目さん、彼、どうでした? やっぱりきゅんとしたりしちゃいました?」
顔をあげるとエネちゃんが笑顔でマイクを向けた。スクープだとでも思われているのだろう、ムカつく。
何か言い返してやろうとした時、横からマイクがかっさらわれた。そちらを向くとクロハがにまにまと笑いながら僕の足の間を見ていた。
「カノちゃん、あんまり可愛いパンツ見せてるとセトじゃなくても壁ドンしちゃうぜ?」
「……〜〜っ! や、ちょ、どこ見てんのさ!」
スカートだから膝を立てると中身が見えてしまうことを忘れてた。慌てて座り直すと周りからはブーイングが上がる。
クロハはまた笑ってスカートの裾を掴むとサービスしてやらねーの?、と一言。また歓声が上がる。さっきまでの雰囲気とは一転して下世話なものだが朝の掲示板にいつも以上の人が集まっていることに変わりはない。公開処刑も甚だしい。
「うっさいなぁっ! やるわけないじゃん!!」
クロハが屈み込んでいるのをいいことに膝で顔面を蹴り上げた。
「――ったぁっ!」
顔を押さえ悶絶するクロハを無視し、立ち上がるとエネちゃんが苦笑いを浮かべながら逃げていく。
「自業自得って感じかな?」
「そう思ってるなら最初に止めてやれよ」
アヤノお姉ちゃんとシンタローくんが人だかりから出てくる。アヤノお姉ちゃんは可愛かったからなぁ、なんて訳のわからない言い訳をしながらギャラリーの前で手をパンパンと叩いた。
「はーい、皆お開きにしよう! カノくんが困ってるよー!」
アヤノお姉ちゃんの一言でギャラリーが綺麗に散っていく。流石一年中マフラーを巻いて風紀委員と喧嘩してると定評の生徒会役員だ。人望は無駄に厚い。
「さあ、クロハくんもいつまでも踞ってないで教室に向かう! 放課後までに反省文を五枚書いてくること!」
「はあっ!? なんでだよ!!」
「公然でカノくんのスカート捲ってパンツ見たでしょーが」
「文脈が違う! パンツが見えてたから俺はスカートを捲ったんだ!!」
「いや、余計に悪いよ、それ」
クロハがアヤノお姉ちゃんに噛み付いているのをいいことに先に行こうとするとシンタローくんと目があった。
シンタローくんは二人のやり取りを見て放置することを決めたらしい。僕の頭を撫でながら不器用に笑う。
「エネには俺から収束させるように言っとくから、あんまり気に病むなよ」
「……気に病んでるように見えた?」
「まあな、お前は顔に出さないから分かりにくいけど、雰囲気で分かるよ」
皆、優しいんだよなぁ。
「ありがと」
素っ気ないかもしれないけど、これが精一杯だ。これ以上は泣いてしまいそうだから。
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次回、ちょっと話が動きます。