現在進行形 | ナノ


アンリミ
2013/03/11 23:18


かつん、かつん、と外回りの階段を歩く兵部の足に迷いはない。
ヒノミヤはそれを追いかけるように歩くが兵部の歩調とは違い、何処か迷いのようなものがある。おっかなびっくり、兵部の様子を伺うようにヒノミヤはついていく。

「兵部、何処まで行くんだ?」

兵部は答えない。
ただ、真っ直ぐ階段を登っていく。ヒノミヤはその背中が何かを語ろうとしてるとは思えなかった。

「何時まで歩くんだ?」

兵部は答えない。
ヒノミヤは困ったように目尻を下げながら兵部のすぐ後ろにぴったりと張り付く。

「なぁ、いい加減教えてくれよ」

兵部の肩に手を伸ばすと兵部はひょい、と身を屈め避けてしまう。地団駄を踏みたい気持ちを堪えながらヒノミヤは兵部に問いかける。

「アンタは、何処に行くんだい?」

兵部の足がぴたりと止まった。

「ヒノミヤ、」

ようやく聞いてくれた口が自分の名前を紡いで、ヒノミヤは何だかそれだけで満たされたような気持ちになる。
兵部は振り返り、ふっと優しげな笑みを浮かべると――、


「君は自由なんだぜ?」



兵部が意識を失ってからもう一週間が過ぎていた。
カタストロフィ号が沈み、パンドラの面子も何処かに姿を消した。
俺は兵部とカタストロフィ号からギリギリだが脱出することに成功し、今は最重要機密としてバベルに保護されている。USEIも先週までの騒ぎが嘘だったみたいに黙りを決め込んでいて、何処か嵐の前を思わせた。
俺はというと日中は目立たないようにして過ごしながらユウギリの手掛かりを探し、日が暮れると兵部が眠っているベッドから離れた位置に安いパイプ椅子を置くという毎日を繰り返していた。そうして今日もまた此処で一日を終える。

「そんなに根を詰めてるとあっという間に潰れるわよ」

声のする方を見ると兵部の姉――蕾見不二子がマグカップを両手に入ってきた。小脇には申し訳程度にしか紙の挟まっていないファイルが抱えられている。
蕾見は兵部のベッドを覗き込みながらマグカップを一つサイドテーブルに置き、もう片方を持って此方へ移動してきた。

「悪いけど、今はそんな気分じゃねぇ」
「あら? なんのことかしら。あたくしは自分と京介の分を持ってきたのよ」

彼女はそう言って意地の悪い笑みを浮かべながら手に持っていたマグカップに口をつける。中身は、兵部がバーでよく口に付けていたミルクを温めたものだろう。白く、仄かに甘い牛乳の香りが流れてくる。
本当に血が繋がってないのかよ、とあの飄々とした皮肉顔を思い浮かべ俺は椅子に体重をかけた。きし、と安い音が鳴るのが何処か不愉快だ。

「あっそうかよ。そりゃ勘違いしてわるぅございました」

不愉快さを理由に敢えてつんけんとした態度で返す。蕾見が幾ら兵部と似ているとはいえ兵部に対して出来なかった態度を彼女にしようという気にはならなかったのも一つだ。
蕾見はくすりと笑った。
どうせろくでもないことを考えているのだろうと思っていたら案の定蕾見は「本当に、犬みたいだわ」と言った。

「毎回思うけど、もっと京介の近くに座ったら?」
「んなこと、出来るかよ。俺はこいつを裏切ったんだぜ? それに、今はバベルに売ってる」
「これは売ってるとは言わないわ。貴方は間違いなく京介を助けた。確かに一回は裏切ったかもしれない。でも、忘れないで。結果として貴方は京介を助けることを選んだのよ」
「それは、単純に味方に裏切られて他に何もなかったからだ」

打算だ。そう呟くと蕾見は少しだけ寂しそうな顔をした。

「何もなくはなかったじゃない」

あの時、俺は死んで、何もなくて、それで一番最初に見つけたのが何かを守ろうとしていた兵部の姿だった。眩しくて眩しくて、蛾が電灯に引き寄せられるように魅せられた。
もし俺の中に選択肢が残されているのだとしたらそれは間違いなく兵部から与えられたもの。ユウギリも藤浦も真木さんも姐さんも、みんな兵部の家族だ。そして兵部を裏切って全てを失った。それでも兵部は輝いて。俺はまた眩しくて目を逸らす。

「そもそも、リミッターが壊れてるから俺は彼奴に近付けねぇよ」
「直して上げてもいいけど?」
「いや、これは俺が兵部から貰ったもんだから」

蕾見は嬉しそうな顔をしながら「それ、直接本人に言ってあげればいいのに」と言った。俺は「言えたら苦労しねーよ」と拗ねたような口調で返す。
蕾見が笑ったのをみて、ゆっくりと視線を兵部の方に向けた。規則正しい呼吸音と胸の動き。
起きない方がおかしい、と褐色の医師が言っていたのと、もしかしたら能力の反動が来ているのかもしれない、と一緒にいた眼鏡の男が顎に手を当てながらぶつぶつと話していたのを思い出す。

「なぁ、真木さん達は」
「まだ、もしかしたら京介を捜してるのかもしれない。あたくし達は今あの海域に入れないことになってるから正確なことは分からないけど」

来てないか。
まあ兵部のことで手一杯で、そんな余裕ないだけなのかもしれないが。

「そうか。……なんか、俺がしたかったことって何なんだろうな」

USEIの命令に従い、船を沈めた。
結果、俺は信頼してくれた仲間を裏切り、家を壊した。ユウギリは連れ去られ、兵部は意識不明。真木さん達は兵部が無事なことも知らずに毎日海に出ている。そして俺は帰る場所を失った。超能力者と普通人の間にいたはずなのに、気が付けばどちらも失っていた。
兵部が手を伸ばしていてくれたのにも関わらず、だ。彼奴はきっと何処までも見透かしてたんだろうな。

蕾見は何も言わずマグカップに口をつけ、そして手に持っていたファイルを差し出した。

「自分に非があると思うのなら、全部終わった後に後悔しなさい」
「これは?」
「向こうの名簿。一番新しいものを用意したんだけど、そこに貴方の名前はなかったわ」
「……だろうな、」

ぎゅっと胸元のリミッターに触れる。弾丸がそのままになっているそれにもうリミッターとしての機能はなく、趣味の悪いアクセサリーのようだ。
だが、これに救われた。実際に救われたのはこの一発かもしれない。しかし、これがなければ俺はパンドラに馴染むことも、ユウギリと遊園地に行くこともなかっただろう。
兵部、お前は何処まで計算してやっていたんだ。願わくは、全て手の内じゃなかったことを。
USEIの捜査官としての立場をなくした俺に、たった一つ残されたものが兵部から与えられたものであること。悔しいけど、それが何処か誇らしい。

「アンタさぁ、もうUSEI側じゃないんだからいっそパンドラに戻ったらどうなの?」
「バベルが言うことかよ」
「あたくしは一つの視点に捕らわれないだけよ」
「悪いが、パンドラに戻るつもりはない。俺は兵部や彼奴らに見せる顔がねぇよ」

男って本当に面倒臭い。
蕾見はそう呟いて、マグカップの中身を飲み干した。

「そのファイルには現時点までに確認されたUSEIの動向と、京介の状態についても書いてあるわ。一応、気になるのなら京介のも見てあげて。それで自分が何をしたのか知りなさい。後悔は後からでも出来るけど、責任は今しか取れない。名一杯償いなさい」
「………………」

償い。ずっしりとした質量で確かに俺の上にのし掛かる。
穏やかな寝息を立てている兵部を見つめ、その管に繋がれた死人のような姿にちゃんと正面から謝りたいと思った。
蕾見はゆっくりと兵部に近づき様子に変化がないことを安堵したような、落胆したような、そんな曖昧な表情を浮かべると兵部の髪に触れ、懐かしむように笑った。

「何処までも世話の焼ける子なんだから」

俺は心のなかで子供って歳じゃないだろうと言いたかったが、きっと蕾見の中ではずっと兵部は弟なのだろうと思い、自重した。
蕾見は此方を向き、先ほどまでの兵部に見せていた顔とはまた違った他人行儀な笑みで言う。

「もし、京介が起きたら、何か温かいものでも飲ませてあげて」

俺は無言で頷いた。それを見て満足そうな顔をすると、蕾見は静かに部屋から出ていった。

「兵部、今ならまだ温かいぞ」

返事がないことを知りつつも言わずにはいれなかった。
暖かい。兵部の周りは何時も優しかった。それが心地好くて、それに気付かない兵部がもどかしい。

俺は考えなかった。
従えばいいと、犬であろうとした。
そんな俺が唯一選べたこと、自らの意志だって胸を張ることが許されるのならば。

「俺は、あんたに生きていてほしいと思う。だけどよ、やっぱりこんなの間違ってる」

半端者だけど、半端者だから、お前が俺に手を差し伸べてくれたように、また手を取ってほしいとも思う。能力があるだの、ないだの、そんなことどうだっていいじゃないか。


夢の中の俺は兵部を追いかける。どんなに走っても追い付けないその背中を目指して。
隣に立ちたかった。対等でありたかった。下らないプライドにすがり付きながらも肩を張り合い、冗談を言い合える、家族じゃない他のなにかに。
でも、もういい。夢は止そう。
俺が立ち止まると兵部は不思議そうに足を止め、振り向いた。

「なぁ、」
「なんだい?」
「俺たちは自由か?」

ふっと兵部が笑う。何を言っているんだ、と馬鹿にするように。

「愚問だな。僕たち超能力者は何にだってなれるし、何処にだっていける」
「それは、お前の言葉か?」
「どうだろう。もう忘れたね。こう見えて結構長生きな方なんだぜ」

兵部は学生服のポケットに手を突っ込んだまま目を細めた。何処か、寂しそうな色合いに言葉が詰まりそうになるのをぐっと堪え、俺は続ける。

「兵部、お前は自由か?」
「……自由だよ、僕たちは何者にも縛られない」
「俺は自由か?」
「自由って言ってあげたいけど、君には選ぶ義務がある」

権利じゃないぜ、と兵部は念を押す。
ふざけたようなその口調が冗談ではないことを知ってる。兵部との距離を詰めるように俺が前進すると兵部は一歩だけ後ろに下がった。
もう一歩進むと兵部は疑わしげに此方を見てくる。

「……なんだよ?」
「約束してくれないか」
「保証はできない」
「全てが終わったら、必ず彼奴らのところに戻ってやってくれ」
「君は?」
「俺か? 俺はもういいよ、もうお前に十分なくらい貰ったから」

距離を詰めて、兵部に手が届くような距離に来ると、もう兵部は抵抗をしなかった。手を伸ばし、その白く柔らかな頬に手を添えると兵部はこそばゆそうに目を細める。
愛しいとは、きっとこのことを言うのだろう。鈍くて、ごめんな。

「許してくれとは言わないから」

頬に当てていた手で顔を固定すると兵部は何も言わず、目を瞑る。唇を一瞬だけ重ね、離すと兵部が薄く目を開きながら「意気地無し」と笑った。

「悪かったな、意気地無しで」
「アンディ・ヒノミヤ」
「なんだよ」
「必ず帰って来いよ、」

兵部ではないが、それは保証できない。何も言えないでいると兵部は俺の頬に手を伸ばし、優しく包み込んだ。

「恨んでなんかいないさ。確かに君は家族にはなれなかったかもしれない。けど、丸っきりの他人だったわけでもないだろう?」
「そうかな」

そうだと、いいな。
不器用に笑ってみせると兵部は不細工だと頬をつねった。

「ヒノミヤ、大丈夫だ。君を信じている」
「お前、俺に裏切られたんだぞ?」
「でも、助けられもしたよ」

兵部はそういって笑う。俺には正直、こいつが裏切りによって復讐心に駆られた犯罪者には到底思えなかった。
兵部はふっと笑みを途切れさせると真顔で

「後から追いかける」

と言った。俺は程々にしろよ、と釘を刺しておく。兵部はどうせまた余計なお世話だとか言うのだろう。



目が覚める。どうやら俺は兵部のベッドの横に座り込んで寝てしまっていたらしい。
俺は立ち上がり、穏やかな寝顔を見せる兵部に「温かいもんでも飲んでからにしろよ」と呟き、ジャケットを羽織った。
USEIでもパンドラでもない、アンディ・ヒノミヤとして負うべきものを背負うべく、病室から出ると案の定蕾見が立っていた。互い、罰の悪そうな顔をしながら、とりあえず目的地に向かう。

「俺は自由だ」




(0)





「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -