×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -

7日曜日、迷走の先で、完

時は過ぎ、季節は春を迎えていた。
名前は無事に志望大学に合格。明日、月曜日から本格的な大学生活がスタートする。自宅から通える距離にあるので、憧れのひとり暮らしデビューとはならなかったものの、新しい生活が始まるということには心が躍る。
見知らぬ人ばかりの中で自分はやっていけるだろうかという不安と、これから出会う人達と仲良くなれたらいいなあという期待と、半分ずつ。何にせよ、名前はすっかり東京という新しい土地に慣れ始めていた。
さて、明日からは忙しくなりそうだし、今日は家でのんびりしよう。そう思っていた午前10時過ぎ。手元にあったスマートフォンがメッセージの受信を告げる音を響かせた。転校して新しい高校生活をスタートさせた名前は幸いにもすぐに友達を作ることができたので、メッセージアプリのお友達欄はそれなりに潤っている。きっとその中の誰かだろうと何の気なしに画面を眺めた名前は、寝転がっていたベッドから飛び起きた。

何度も目を擦って、何度も画面を見直す。けれどもそこに表示されている名前は間違いなく、及川徹。そう、及川徹なのだ。

誰かと間違えて送った?あの別れから半年以上が経過した今になって?そんな馬鹿な。じゃあ及川君の意思で私にメッセージを送ってきた?いやいやそれこそ有り得ない。

名前の脳内は完全にパニック状態だった。
及川のことは、漸く思い出になりかけていた。忘れることはできなかったが、少しずつ過去のものになろうとしていた。その矢先にこれである。及川徹という字面を見るだけで、あの夏の5日間が鮮明に思い出される。
及川の声も、表情も、1度だけ触れてきた時の手付きも、温度も、全部クリアなまま。大切に、色褪せぬように、鍵をかけて箱の中にしまっていた記憶が、勝手に溢れ出てくる。鍵を開けたのは勿論、及川だ。
名前は恐る恐るメッセージの内容を確認する。


「え、うそ、」


独り言は思っていた以上に大きな声量となって吐き出された。そしてその声が床に落ちきる前に、名前は鞄の中に財布を突っ込んで部屋を飛び出す。リビングにいた父と母に、出かけてくる、とだけ言い捨てて玄関の扉を勢いよく開けて、走る。走って、走って、最寄りの駅に着くなり滑り込むように電車に乗り、目指すは東京駅。
息が弾む。全力疾走したから、というだけではない。心が逸っているからだ。
もう1度、スマートフォンの画面を指でなぞり及川からのメッセージを確認する。そこに表示されていた文章はシンプルに一言だけ。

「今、東京駅にいる」

エイプリルフールは過ぎてしまったが、嘘かもしれない。でも、本当かもしれない。東京駅は広い。だからこんなに急いで向かったところで会えるかどうかすら分からない。それでも身体が勝手に動いていた。
スマートフォンの画面と睨めっこした末、名前は勇気を振り絞ってメッセージを打ち込む。相手は当然及川だ。東京駅のどこにいるのか、それだけでも分かれば会えるかもしれない。会ってくれないとしても、その姿を一目見られるかもしれない。ほとんどが不確定な情報だった。それでも良かった。少しでも可能性があるのなら。

東京駅に着いた名前は改札口を出る。メッセージの返信はない。やっぱり嘘か、はたまた揶揄われただけか。及川のたった一言のメッセージだけでここまで来てしまったが、東京駅にいるかどうかも分からない以上、万事休すである。
どうしよう。折角ここまで来たが、帰るしかないのだろうか。スマートフォンを握り締める。きょろきょろ。忙しなく人が行き交う駅構内。ダメだ。やっぱり及川に会うなんて夢のまた夢だった。俯く。その瞬間、握り締めていたスマートフォンが震えた。メッセージではない。これは着信だ。
名前はきちんと画面を確認することもせずに通話ボタンを押した。及川であると信じて。


「ごめん、急に、」
「及川君…?」
「東京駅の、地下の、えーっと…鈴?」
「鈴?」
「鈴があるところ」


久し振りの会話なのに、何の脈絡もなかった。きちんとした挨拶もない。しかしお互い、そんなことは気にしていなかった。気にする余裕がなかったのだ。
名前は及川の言葉を脳内で整理する。鈴というのは東京駅の待ち合わせスポットとして有名な、あの銀の鈴のことだろうか。だとしたら、待って、それって。
もう1度きょろきょろと辺りを見回す。なんという偶然か、名前がいる場所は鈴の近くだったのだ。及川がいるかもしれない。違う。絶対にいる。目を凝らして探す。しかし、いるはずなのに見つからない。
その時だった。


「見つけた、」
「え、っ」


背後からスマートフォンを持っている手を掴まれた。慌てて振り返る。そして相変わらず端正な顔をその目で捉えた名前は、呼吸を止めた。掴まれた手に握られたスマートフォンは通話終了になっている。


「及川君…、」
「来てくれると思わなかった」
「それはこっちのセリフだよ…」


8ヶ月と少し。長い人生の中の、たったそれだけの期間会っていなかっただけ。恋人でもない、ただの友達。元クラスメイト。それなのに、こんなにも胸がいっぱいになる。危うく視界が滲みそうになるほど。

及川としては、もっと早く名前に会いに来るつもりだった。本当は高校最後のバレーの試合を勝ち進んで颯爽と東京に降り立ち、その時に連絡をするつもりだったのだが、予定が狂ってしまった。
これはもう会うべきじゃないという天からの思し召しかもしれない。そう思ったりもしたが、どうしても諦めきれなかった。何度も思い出す。忘れようとしても忘れられない。それどころか、記憶の中の名前はどんどん鮮明になっていく。
だから及川は決めた。東京の大学を受験し、4月になったら、東京に降り立ったら、名前に連絡しようと。それが今日である。
久し振り、とか、元気にしてた?とか、そういう当たり障りのない挨拶をする余裕さえなかった。自分でも意味が分からなくなるほど会いたいという気持ちが急いていたのだ。連絡したからといって名前と会えるかは分からない。そもそも連絡に気付いてもらえるかどうかというところから不安だった。それでも及川は信じていた。信じるしかなかった。名前は自分に会いに来てくれると。

どこに急いでいるのか、セカセカと歩いて行く人達は2人の様子など気にも留めない。突然の再会に戸惑い、勢いだけでここまで来てしまったがこれからどうしようかと狼狽えている男女のことなんて、誰も注目して見たりはしないのだ。
今更のように「久し振り」と言葉を紡ぐ及川に、名前は同じ言葉を返すことしかできない。どうしてここにいるの?どうして連絡をしてくれたの?どうして会おうと思ってくれたの?どうして、どうして。尋ねたいことが渋滞していて、優先順位がつけられない。


「去年の誕生日は最悪だった」
「え?」
「お前にフられてヘコんだけどもう会えないし、話ができる状態でもないし、練習でも調子悪かったし、岩ちゃんに怒鳴られてボール投げ付けられるし、ケーキはないって言われるし」
「それは全部私のせい…?」
「分かんないけど、でも最悪だった」
「ごめんなさい…」


突然の攻撃を受け反射的に謝った名前だったが、冷静になって考えてみると自分のせいではないんじゃないか、という考えに行きつく。しかし反論の余地もなく、及川は言葉を続ける。


「好きだって、伝えることもできなかった」
「……え?」
「俺、自分から告白するの初めてなんだけど」


久し振りの再会。付き合ってもいない男女が、勢いだけで再会した。それだけでもすごいことだ。それなのに、及川は容赦なく奇跡みたいな言葉を積み重ねていく。


「そもそもちゃんと誰かを好きになったのも初めてなんだけど、どうしてくれんの?」
「そんなこと急に言われても……、」
「お前はまだ俺のこと好きなの?」


ぐいぐいいく及川にたじろぐ名前。行き交う人はやっぱり見向きもしない。
まだ及川のことが好きなのか。そんなの、答えは分かりきっている。好きだ。ずっと。色褪せない思い出にしたいから箱の中にしまっていたぐらい。
でも、まさかまた会えるなんて、会いに来てくれるなんて、好きだと言われる日がくるなんて、名前は予想だにしていなかった。会えただけで十分だと思っていたのに。いつも及川は「十分」以上を与えてくる。
及川はかつてのような爽やかな笑顔を浮かべない。ありのままの自分を曝け出す。名前がそれを望んでいると知っているから。真っ直ぐに見つめて、名前の言葉を待つ。


「好きだった…ずっと」
「過去形?」
「…好き、です、」
「……はあ……良かった…」
「おっ、いかわ、くん、!」


項垂れた勢いのままもたれかかってくる及川に、名前はわたわたする。これにはさすがに数人の通行人が視線を寄越してきた。恥ずかしい。けれども拒めない。
大都会のど真ん中で、まさかこんなドラマチックな展開が自分の身に降りかかることになろうとは。名前はいまだに信じきれずにいた。しかし触れている温度は確かに及川のもので間違いない。
名前は恐る恐る大きな背中に腕を回してみる。反応はない。今度はふわふわの茶色い髪を撫でてみる。それでも反応なし。…かと思いきや。頭を撫でていた手を掴まれた。至近距離でくるりと大きな瞳に見つめられる。名前はまた、呼吸が止まる。


「俺、こっちでひとり暮らしするから」
「へ?」
「大学こっちだし」
「うそ、」
「名前のこと追いかけてきた」
「……なんか及川君、意外と重たい、ね」
「物理的なやつじゃなくてメンタル的な部分のこと言ってる?」


じとりと睨みつけてくる及川に苦笑で返す名前。つまりは肯定である。


「いっそ俺の重さで潰してやるから」
「わ、私だって押し返せるぐらい重たいし」
「あっさり俺のことフっといてよく言うよ」
「…今度は、1週間で終わらないでね」
「当たり前でしょ」


「今年の誕生日は去年の分まで祝ってもらうから」などと理不尽なことを言いながら、及川は綺麗に笑う。取り繕った笑顔ではない。だから余計に胸が疼く。その胸のじくじくとした感覚は、2人の期間限定の恋の終わりを告げていた。