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2nd Anniversary
thanks a lot !


「ない」
「何が?」
「リップ」
「あー…私持ってないや」


朝、登校してすぐにポケットの中に手を突っ込んだ私は、愛用のリップクリームがないことに気付いた。今日は寝坊してしまったばっかりにドタバタと忙しなく家を飛び出してきたものだから、洗面台か自分の部屋の机の上に置き忘れてきてしまったのだろう。私は自分のパリパリに乾燥した唇をそっと指でなぞってから溜息を零した。
リップクリームなんて、1日なくても死にはしない。そんなことは分かっている。けれども、私はどうにも乾燥しやすい体質らしく、特に冬場になるとすぐに唇が乾燥して切れてしまう。だから私にとっては、リップクリームを忘れたということは重大事件だった。
家を出る前にたっぷり塗りたくったはずのリップクリームの効果は登校中にどこかへ消え失せてしまっていて、既に唇はカッサカサ。仲の良い友達はリップクリームを塗る習慣がないのか(塗らなくても潤っているなんて羨ましい)、持ち歩いてすらいないようで借りることもできない。
まあたったの1日だ。忘れてしまったものは仕方がないのだからどうにかやり過ごそう。気にしなければ案外なくてもどうにかなるだろうし。朝のホームルーム中にはそんな楽観的なことを考えていたけれど、昼休憩を迎えた今、私は非常にイライラしていた。
今日は最悪なことに4時間目に体育があり、グラウンドで持久走などという全身に風を浴びてこいと言わんばかりの内容だった。それによって私の唇はカサカサパリパリなんて可愛い擬音では済まされないほどガッサガサに荒れていて、昼ご飯のパンを齧っただけで切れてしまう始末。飲み物で一時的に唇を潤すことはできるけれど、それも長続きはしない。
ああ、もう。なんで私リップクリームを忘れちゃったんだろう。今度から学校に1本置いとこうかな。ほんのりと血の味が混ざったパンを飲み込みながらペットボトルの飲み物をごくごくと喉の奥に流し込む。まだ午後の授業も残っているというのにテンションはダダ下がりだ。
私は昼食を済ませるとトイレに向かった。荒れた口元を見るのは嫌だけれど、いまだにほんのりと鉄の味がするということは血が止まっていないのかもしれないし、少し洗いたい。そんな時に声をかけてきたのは同じクラスの御幸君だった。名字?と呼び止められただけでドキリとしてしまったのは、私が彼に対して特別な感情を抱いているからだったりする。


「何?」
「口。血出てる」
「ああ、うん。知ってる。今から洗いに行くところ」
「珍しいじゃん。いつもリップ塗ってんのに」
「今日忘れちゃって…」


こんなぼろぼろの唇を見られるのは恥ずかしくて、俯きがちに、ハンカチで口元を隠しながらもごもごと言葉を紡げば、へぇ、と聞いているのかいないのか分からないような生返事をされた。まあそうだよね。私がリップクリームを忘れたことなんて、御幸君にはどうでも良いことだもんね。
そんな自虐的なことを思いつつ、会話が途切れたのを確認してから、じゃあ…とその場を立ち去ろうとしたところで思わぬ出来事が起こった。ん、と。私の目の前にシンプルでオシャレの欠片もないリップクリームが差し出されたのだ。御幸君の手に握られているということは、このリップクリームの持ち主は御幸君ということになるのだろう。今の私には喉から手が出るほどほしいシロモノを見せびらかして、御幸君は何がしたいのか。ていうか御幸君、リップクリームとか持ってるんだ。意外。なんて考えている場合ではなくて。


「えっと…あの…?」
「使えば?」
「え…えっ!でもそれ、御幸君のじゃ、」
「昨日開けたばっかでまだ使ってねぇから」
「いいよいいよ!悪いし!」
「いつも使ってるもんがないと困るだろ」
「でも…」
「また血出るより良いんじゃねぇの?」


確かに御幸君の言う通りではあるし、これが女友達のものだったら迷わず借りていたと思うけれど、未使用のものとは言え、これは御幸君のリップクリームだ。昨日開封されてから今の今まで御幸君のポケットに入っていたものを使わせてもらうということを考えたら、躊躇ってしまうのも無理はない。…けど。
これはある意味チャンスというか、私に訪れたラッキーイベントみたいなものなのかもしれないとも思った。御幸君にリップクリームを借りることなんて、この先きっと一生ないだろう。それならば折角こうして貸してくれると言ってくれているわけだし、お言葉に甘えても良いんじゃないだろうかという心理が働き始めた。


「…じゃあ、借ります…」
「ん」
「ありがとう!」


私は思い切って御幸君からリップクリームを受け取るとお礼を言ってからトイレに向かった。見るも無残な唇を湿らせて血が止まったことを確認してからリップクリームを塗る。ああ、素晴らしい。これで午後の授業に対するモチベーションも上がった。御幸君には新しいリップクリームを買い直して、返す時に何かお礼を渡そう。何が良いかな。
リップクリーム1つで天にも昇る心地まで気分が急浮上した私は、意気揚々とトイレを出る。するとそこで遭遇したのはまたもや御幸君。ありがとう、ともう1度お礼を言った私をじっと見つめる御幸君の視線は、どうやら口元に注がれている。


「さっきの、ちゃんと塗ったんだな」
「うん。お陰様で唇が生き返りました!」
「そりゃ良かった」


ご機嫌な私を見てつられたのか、御幸君がふっと笑った。それを見てドキッとしてしまったのは、やっぱり私が彼のことを意識しているからで。こんな表情まで見られるなんて、今日は最悪な日だと思っていたけれど最高な日の間違いかもしれない。御幸君によって元々浮上していた気持ちは更に上へ上へと舞い上がる。
そんな私に向かって、はい、と。御幸君は掌を上に向けて手を差し出してきた。はい、とは。もしかしてお礼にいくらか寄越せとお金をせびられているのだろうか。まあ確かに、リップクリーム代分ぐらいは払わなきゃいけないかもしれないけど、今ここで?


「ごめん、財布は教室にあって…」
「は?いや、金とかいらねぇし」
「そうなの?」
「当たり前だろ。そうじゃなくて、さっきのリップ。返して」
「え!ダメだよ!私が使ったやつだもん!」
「でもそれ俺のだし」
「それはそうなんだけど…新しいの買って返すから…」
「俺は今使いたいの」


じゃあ最初から私に貸すべきじゃなかったでしょ!と言いたいのは山々だったけれど、そんなことを言ったって後の祭り。私はほとほと困り果ててしまった。私の使ったリップクリームを御幸君が使うということは間接キスになるわけで、それはどうにも憚られたのだ。けれども見たところ、御幸君の方はそういうことを全く意識していなさそう。ということは、こんなに返すことを渋っている私の方がおかしいと思われているかもしれない。それならば私の方も何も意識せず、ナチュラルに返した方が良いような気がする。
私は意を決して(というほどのことではないのだろうけれど)、御幸君にリップクリームを返した。新品だったのに先に借りちゃってごめんね、って自然体を装いながら。すると御幸君はリップクリームを受け取るなり、本当にそれを自分の唇に塗りつけた。私の目の前で。あーあ。本当に使っちゃった。間接キスだよ御幸君。全然そんなこと考えてないだろうけど。こんなこと考えてる私の方がヤバいんだろうけど。…と、思ったのに。


「これってあれじゃん」
「あれ?」
「間接キスってやつ?」
「う、え、なっ、」
「意識しすぎ。バレバレ」
「私のこと揶揄って…!」
「また忘れたらいつでも言って。貸してやるから」


ニヤニヤとした笑みを携えた御幸君の、まるで悪戯が成功した子どもみたいな表情に不覚にもキュンとしてしまって何も言い返せなかった私は、再びトイレの中に駆け込んだ。顔が熱くて、鏡に映った自分を見たらやっぱり赤くなっていて、ドキドキが増していく。なんなのあれ。確信犯だったってこと?ということは、御幸君は私と間接キスしちゃっても良かったってこと?それはさすがにポジティブに考えすぎ?どうしよう。もう少しでチャイム鳴っちゃうのに、こんな顔じゃあ教室に戻れない。
それでも私は、寒いこの季節に必死に顔を手で仰いで熱を冷まし、チャイムが鳴るぎりぎりになって席に戻った。友達は不思議そうな顔をしていたけれど、説明できるような余裕はない。
ちらり、御幸君の席に視線を向けてみる。いつもと変わらぬ後姿…かと思いきや。私の見間違いだろうか。ううん、違う。御幸君の耳、ちょっと赤いような気がする。しかもなんかちょっと項垂れてるし。
寒いから?それとももしかして、私と同じことを考えて照れてるから?折角少しずつ放散できていたはずの熱が戻ってきてしまうのを感じながら、私はぼんやりとチャイムの音を聞く。そっと触れた唇は、既にカッサカサに乾燥しているような気がして。放課後、部活に行く前に、もう1回リップ貸して、って言ったら、御幸君はどうするだろう。良いよ、って平然と貸してくれるだろうか。また?って呆れたように言われるだろうか。声、かけちゃっても良いかな。
御幸君とリップクリームというミスマッチな組み合わせが生まれた理由を私が知るのは、もう少し先、暖かい春が訪れてからの話。

青春は潤む

とみさま、この度は2周年企画にご参加くださりありがとうございました。
そもそも御幸は私の中でリップを持ってなさそうなイメージだったので、ヒロインちゃんのことが気になってて観察してたらいつもリップを使ってることに気付いて自分もなんとなく持ち始めた、という勝手な裏設定を作ってしまいました笑。間接キスも、自分から仕掛けておいて1人で照れてたりすると可愛くないですか…?こういう感じを求めていなかったのなら申し訳ないんですが、私は久し振りにピュアな心を取り戻させてもらいました…ありがとうございます…
ダイヤ面白いですよね!4月からアニメもありますし一緒に沼に沈みましょう〜!