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その男、不愉快につき

「友達」伝いに聞いたところによると、黒髪の彼は赤葦京治という名前らしい。今まで聞いたことのない名字に、ぴったり似合う綺麗な名前。その名前を知った時、私は勝手ながら、彼のご両親は美的感覚に優れた人間なのかもしれないと思った。そして同時にこうも思った。なんだか綺麗すぎて腹が立つ、と。名前だけならとても好感がもてるのに、などと考えてしまったのは、彼のことがかなり苦手であるという証拠。あんな不躾な人を苦手にならない方法があるのなら逆に教えてほしい。
しかしどれだけ苦手意識があろうとも、講義は被るので顔を合わせないように避け続けるということはできないわけで。翌週、私は(寝坊の件も含めて)もう2度と同じ過ちを繰り返さぬよう、細心の注意を払ってその日を迎えた。気合いを入れた甲斐あって、当たり前のことながら寝坊はしなかったし、今日は彼の座っている位置をチェックしてから離れた席を確保することに成功。これを毎週続ければ良いだけだ。簡単なことである。
集中して講義を受けることができたお陰で、先生の呟きなのかポイントなのかよく分からない一言もきちんとメモに取ることができた。もしこのメモが試験で活躍してくれたら、これほど嬉しいことはない。私は満足した気分で荷物をまとめて席を立った。
けれども、このルンルン気分はすぐに強制終了させられるハメとなる。勿論、彼によって、だ。


「今日は近くに座ってくれなかったんだね」
「いちいちあなたのことを気にして座ってるわけじゃないから」
「それは残念だな」
「…何が残念なの?」


彼の発言にいちいち反応していたら話が長くなってしまうし、そうこうしていたら今までの二の舞になってしまうであろうことは容易に想像できていた。というのに、どうも私は彼にクエスチョンマーク付きのセリフを投げつけないと気が済まない厄介な病気にでもかかってしまったらしく、またもや足を止めて彼と会話を続ける態勢を整えてしまった。
たぶん、表情はかなり歪んでいると思う。だって、彼の発言は意味不明だ。あなたのことを気にしていないと言ったら残念だと言われた。それはつまり、私に気にしてほしいということだろうか。いや、それはさすがに考えが飛躍しすぎているな。



「俺はちょっと気になってるのに」
「は?」
「名字さん、面白いから」


面白い、なんて生まれてこのかた言われたことがない私は、暫くポカンとしてしまう。面白い?それは愉快、ということ?私が?ピエロか何かと勘違いしてます?…ていうか、それって私のことを馬鹿にしてるんじゃ?冷静になって考えれば考えるほど、侮辱された感が否めない。
この際だから、私のことが気になっている、というフレーズはスルーしよう。気になるなら勝手に気にしていてくれ。ただ、面白いという言い方はやめていただきたい。…が、そんなことを彼に言ったところで、また私の神経を逆撫でするようなことを言われるのがオチな気がする。
もうこうなったら関わらないでくれとストレートに言った方が話が早いのかもしれない。きっと私は難しく考えすぎていたのだ。どれだけ考え方や趣味思想が噛み合わない相手だとしても、同じ人間ならば言葉で話せば通じるだろう。
というわけで、私は思っていることをそのまま彼にぶつけることにした。非常識と言えば非常識な物言いにはなってしまうけれど、今回ばかりは大目に見ていただきたい。



「正直言って私は、できれば金輪際あなたと関わりたくないと思ってるんだけど」
「はは、ひどい言われようだな。俺、何かしたっけ?」


思い切って、失礼を承知でこちらの気持ちを伝えたつもりなのに、彼にはちっとも響いてなさそうで度肝を抜かれる。しかも、そんな言い方はないだろ、などと怒るならまだしも(いや怒られたくはないけれど)、楽しそうだから理解できない。この人はもしかして日本語が分からない人種の人間なのだろうか。…いや、人の神経を逆撫でするような発言ができるほど巧みな日本語を使うのだ、それはない。
何をしたっけ?と、彼は尋ねてきた。正直なところ具体的に、これをされました、こんなことをされて不快でした、と答えるのは難しい。けれども、現状も含めて彼の言動にイライラさせられているというか、顔を顰めさせられているのは事実だ。
そんな、返答に困っている私に彼はまた言う。私の神経を上手に逆撫でするような挑発的なことを、笑みを浮かべながら。


「もしかしてまたイライラしてるの?」
「……いいえ?」
「名字さん、そんなに怒ってばっかりで疲れない?」
「…例えイライラしてるとしても、誰にでもこんな風になるわけじゃないから」
「それはつまり、俺限定ってこと?」
「今のところそういうことになるかもね」
「なるほど、特別ってことか」


悪い意味での特別なんですけどね、って感じだった。さすがにそれは口に出したりしなかったけれど。ただ、こんなにツンケンした態度で接しているというのに依然として彼は楽しそうで、ますます謎が深まる。これはもう、彼が本格的な馬鹿でこちらの意図が全然汲み取れないタイプの人間だと思って諦めるしかなさそうだ。


「兎に角、私にはもう必要以上に構わないでほしいの」
「努力はするよ」


これ以上話をしていてもやっぱり埒があかないと判断した私は、その会話を最後に講義室を後にした。もし彼が今後話しかけてきたとしてもサラリとかわそう。そう心に誓って。
けれども事態は思ったよりも早く悪化の一途を辿った。その日の夜、私のバイト先である本屋に彼がお客さんとして現れたのだ。そう、最悪である。
どうして彼がここに?そりゃあ大学から近いし、いつか会うかもしれないと懸念はしていた。けれど、何もあんな会話をした今日じゃなくても良いのではないだろうか。内心では不満タラタラだったけれど、それを表情に出すことはしない。私はあくまでも店員として、毅然とした態度で接客を試みることにした。


「いらっしゃいませ」
「…あれ?名字さん?」
「864円になります」
「ねぇ、名字さんだよね?」
「864円お願い致します」
「無視?」
「…構わないでって言ったでしょう?」
「あ、やっぱり名字さんだ」


店員が私だと分かった彼は、非常に嬉しそうだった。勿論私の方はその逆で、ちっとも嬉しくない。わざとらしくお金をゆっくり出す彼に、早速イライラさせられている。後ろに別のお客さんが並んでいれば催促できるけれど、こんな時に限って彼以外にお客さんはいない。平日の夜の本屋なんてこんなもんだ。
私は、もたもたと小銭を出す彼をじっと待つ。そして、漸く小銭を全て出し切ったと思われるところで素早くレジを打った。


「1004円お預かり致します」
「ここでバイトしてるんだね」
「140円のお返しです」
「この近くに住んでるの?」


会話など楽しんでいる暇はないと言わんばかりに、彼からの質問には盛大に無視をかまし、お釣りを返そうと手を伸ばす。が、この男がそんな状況をすんなりと受け入れてくれるはずがなかった。
私が手を出しても、彼は手を出してくれない。だから私はお釣りを持って固まったまま。次のお客さんよ来い、と心の中で念じてみたけれど、やはりお客さんは現れないし、私は顔を顰めるしかない。


「…お釣り、返せないんだけど」
「質問に答えてくれたらもらうよ」
「どうしてあなたの質問に答えなきゃいけないの?」
「この近くに住んでるの?っていう簡単なクローズドクエスチョンに成績優秀な名字さんは答えられないの?」


いやあもうここまできたらいっそアッパレである。どこまでも神経を逆撫でするのが上手な男だ。もしかしたら彼は「神経逆撫で選手権」の日本代表なのかもしれない。私の見立てなら、ここまでのスキルがあれば世界一だって狙えると思う。そんなくだらないことを考えることでイライラを抑え込みながら、近いけどそれが何?と答えた私はヤケクソだ。


「じゃあうちとも近いかもね」


彼は昼間と同じく、やっぱり楽しそうに笑いながら漸くお釣りを受け取ってくれた。ありがとうございましたー、なんてこれっぽっちも思っていないけれど、とりあえず棒読みでもなんでも良いから、早く帰ってくださいという気持ちを込めて言ってやる。本当だったらここで、またお越しくださいませー、も言わなければならないのだけれど、絶対に来てほしくないので言わないでおくことにした。
すると彼は、そんな私の心中を覗き見たみたいに、また来るね、というおぞましいセリフを残して帰って行くから。私は彼の背中に向かって念を送っておいた。どうかこの先、私のバイト中には絶対に絶対に絶対に来ませんように、と。