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トム・アンド・ジェリーにプレゼントを


去年のクリスマスはめちゃくちゃベタなことをした。柄にもなく緊張して、そのせいもあってか若くもないのに歯止めが効かなくなるぐらい彼女を抱き潰して、眠った彼女の左手の薬指にどうにかこうにか指輪を嵌めて、ほとんど眠れぬまま朝というか昼を迎えて、余裕ぶって軽い口調でプロポーズなんかしちゃったりして。本当はこの上なく余裕がなかったくせに。
恐らくこれからの人生において、あの日よりベタで恥ずかしいことはできないのではないだろうか。それぐらい、ベタなことをしたという自覚はある。
そして今日、夫婦になってから初めて迎えるクリスマス。夫婦って響きにはいまだに慣れなくて照れ臭い。しかし、それ以上に、幸せだった。幸せって単語で片付けるのは陳腐で嫌だけれど、それほど賢くない俺には他に適切な表現が思い浮かばないのが悔しいところだ。
結婚式を無事に終え、新婚旅行も国内でのんびり済ませて、結婚後の幸せのピークってやつはそれで終わるのかと思っていた。けど、巷でよく聞く「結婚はゴールじゃない、スタートだ」というのは本当だったらしく、今のところ幸せはスタートしてからずっとゴールを迎えていない。俺の見立てによると、ゴールは死ぬ時だと思っている。そんなことを本気で考えるぐらいには浮かれっぱなしだった。たぶん客観的には浮かれているように見えないと思うけれども。
そんなわけで、俺は1ヶ月ぐらい前から今年のクリスマスはどうしようかと考えていた。去年を超えるサプライズはどう考えても無理。プレゼントも、去年以上のものは絶対に準備できない。というわけで俺は1ヶ月も前から考えていたくせに、普通にチキンやケーキを食べてゆったり過ごすのがベターかなという結論に至っていた。
普通が1番っていうか、普通がこんなに幸せなんだなって実感したいっていうか、とりあえず、名前がいればそれでいいや、みたいな。あれ、これって惚気?幸せボケ?俺、こんなキャラじゃなかったのになあ。


「仕事、本当に休んで大丈夫だったの?」
「マスターが良いって。むしろ休めって言うから出勤したら怒られんの」
「ふーん」


クリスマス当日の今日は、計画通り、昼に2人で買い出しを済ませ、夜ご飯は頼んでおいたチキンとケーキを食べた。家でゆっくり2人きり。テレビから聞こえてくる音も、一段と明るく華やかな気がする。
家のベランダからはちょうど街路樹のイルミネーションがピカピカと輝いているのが見えるから、気分はたっぷりクリスマス。テレビの横にちょこんと飾られているクリスマスツリーが、俺たちの浮かれ気分を引き立てているように見えた。


「そういえば新人くんは元気?」
「元気なんじゃないの」
「今日も頑張ってるのかなあ」
「あー、うん、そうね。期待の新人くんだから頑張ってんでしょ。たぶん」


ふわふわしている俺を落ち着けようとでも思ったのだろうか。名前の口から飛び出してきた「新人くん」の単語に、俺の心が少し冷たくなるのを感じた。
10月から俺が働くバーに入った新人くんは、今時の若者にしては珍しく礼儀正しく爽やかだ。俺ほどではないにしろ、180cm近くあるであろう身長。笑顔を作るのも上手だし、話術にも長けているように感じる。勉強熱心で、カクテルのことについても覚えが早くて優秀。最近では新人くん目当てのお客さんも増えてきたらしいから、この職業には向いているんじゃないかと思う。
お客さんが増えるのは良いことだ。優秀な後輩ができるのは単純に嬉しいし、教え甲斐もあってこちらも刺激を受けている。しかしひとつ、気がかりなことがあった。それは、名前がその新人くんを気に入っている様子だということ。
最初は、俺の後輩だから愛想良くしているだけなのだと思っていた。けれど、11月に入ってからというもの、店では俺より新人くんと話すことの方が増えている気がするし、何より名前の方から新人くんに話しかけていることが多いのだ。
それぐらいのことで浮気だなんだと責め立てるつもりはない。本来なら、自分の妻が後輩と仲良くしてくれるのは喜ばしいことだと思う。けれども困ったことに、俺はそれを快く思えずにいた。
分かっている。これは単なる嫉妬だ。名前は正真正銘俺の妻だし、自分が好かれているという自信もある。だから嫉妬なんてする必要がないことも頭では理解できているのに、心の方が追いついていなかった。


「忙しいかなあ。大丈夫かなあ」
「……そんなに心配なら店行ってくれば?」
「え」
「新人くんのこと気に入ってんでしょ」
「別にそういうわけじゃ」
「俺の作ったカクテルは飲まないのに新人くんの出したやつは飲んでるし」
「それは、」


それは、何だろう。続きが聞きたいのに言葉を詰まらせている名前は、少し様子がおかしい。これは何か隠していると、直感で悟る。
そう。俺が引っかかっているのは、1ヶ月と少し前……ちょうど新人くんが入ってきた直後ぐらいから、名前が俺の作ったカクテルを飲んでくれなくなったことだ。体調が悪いから、とか、今日はそういう気分じゃないから、とか、理由は色々あったけれど、俺の作ったカクテルだけ飲まないというのは、どうにも納得がいかなかった。
家でも飲まない。店でも飲まない。それ以外は特に変わりないのだけれど、バーテンダーという仕事をしている俺にとって、自分の作った酒を飲んでもらえないというのは、精神的にかなり辛いものがある。
クリスマスの夜だ。こんなにギスギスした雰囲気で過ごすつもりなんて全くなかった。しかし、先に俺の機嫌を損ねたのは名前の方なのだから、全面的に俺が悪いわけではないと思う。
少し言い方がキツすぎたかな、とも思ったけれど、今更引き下がることもできず。先ほどまでは愉快に聞こえていたはずのテレビからの音が、やけに耳障りに聞こえた。


「鉄朗、あの、実は伝えておきたいことがあって、」
「なに」
「いつ言おうかなってずっと迷ってたんだけど」
「そんなに勿体ぶるようなこと?」
「言うのがちょっと怖くて、なかなか言えなくて、」


やけに神妙な面持ちで俯く名前に一抹の不安を覚える。なんだこの空気は。もしかして新人くんのこと好きになっちゃったとか言わないよな?俺たち結婚してまだ1年も経ってない新婚ホヤホヤ幸せ夫婦だと思ってたんだけど。そう思ってたのは俺だけってこと?
いつものソファでいつも通り隣に座っている名前は、やけに小さく見えた。ごくり。喉がなる。


「実は私、」
「ちょい待ち。まだ心の準備できてない」
「ごめん」
「いや、俺の方こそごめん。はー……どうぞ」
「えっと、あの、実は私……妊娠してるの」
「…………は?なんて?」
「赤ちゃん、できちゃったの」


予想外すぎるカミングアウトに、俺の頭は完全にフリーズしていた。妊娠。名前が。赤ちゃんができた。名前の腹の中に。誰との?……いや俺だろ。俺じゃなかったら大問題なんだけど。
少しずつ働き始めた脳でこの2ヶ月弱を振り返る。今思えば新人くんが出していたのはノンアルコールばかりだったかもしれない。妊娠していたらアルコールはタブー。酒を拒むのは当然だ。
俺が働くバーには喫煙席と禁煙席があるのだけれど、そういえばこの1ヶ月弱、名前は常に禁煙席側に座っていた。今までは喫煙席側にも座っていたのに。妊婦なら煙草の煙を吸うのは避けた方が良いから、その行動にも辻褄が合う。新人くんは禁煙席側の担当が多い。対して俺は喫煙席側の担当になることがほとんどだから、話す機会が減るのは必然。
こうして考えてみれば、名前が妊娠しているかもしれないと察するタイミングはいくらでもあったと思うのに、俺ときたらもしかしたら新人くんに目移りしてるんじゃないか、なんて、とんでもなく見当違いなことを考えて嫉妬までして。馬鹿にもほどがある。
自分の駄目さ加減に頭痛がして、俺は思わず溜息を吐きながら片手で顔を覆って項垂れた。すると隣から、ごめん、と。震える声で謝罪の言葉が聞こえた。ギョッとして慌てて顔を上げれば、目に今にも溢れそうな涙を溜めている名前を視界に捉えて、また自分の馬鹿さ加減に嫌気がさす。
反省も後悔も後だ。今するべきは、そんなことじゃない。俺は名前の頭を自分の方に引き寄せた。


「それは俺のセリフでしょ。名前は謝らないといけないようなこと何もしてないんだから」
「でも赤ちゃんできちゃったんだよ?」
「すげー嬉しいですけど」
「え、でもさっき溜息吐いたじゃん……」
「それは別件で」
「このタイミングで別件のこと考える!?」
「だからごめんなさいって」


こればっかりはもう謝り倒すしかなくて、頭を撫でながら何度もごめんを繰り返した。名前は「いいよ」とも「許さない」とも言わず、ただ大人しく撫でられ続けている。
やがて、漸く心が落ち着いたのか、それとも落ち着けていたものが爆発したのか。どちらかよく分からない涙をぽろぽろと流しながらぎゅっと抱きついてきたのを、俺はただ受け止める。


「もう……!赤ちゃんなんていらないって言われたらどうしようかと思ってずっと不安だったのに……っ」
「うん。ごめん。でもそれ有り得ないから」
「そんなの分かんないよ……だって子どもの話とかしたことなかったじゃんかぁ……」
「そうね。ごめんね」


名前と、名前のお腹に宿った小さな命を、まとめて抱き締める。クリスマスプレゼントはなしでいいよね、と話していたくせに、名前は去年の俺があげた指輪より素晴らしくて、びっくりするプレゼントを用意していたようだ。


「産んでもいい?」
「駄目って言うわけなくない?」
「ちゃんとお父さんになってくれる?」
「え。俺の子だよね?」
「当たり前でしょ!」


お父さんという響きにニヤニヤしてしまうのを隠すようにケラケラと笑う。
さて、暫く一緒にお酒を楽しむことはできなくなってしまったけれど、それはそれとして。今度名前がうちの店に来た時は、俺がとびっきりのノンアルコールカクテルを用意しよう。

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